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Nomad image映像作品の制作

a.『四季・山村ー朽木谷の人々ー』

撮影からはじまって編集へと、制作作業の長い道のりをやっとの思いで脱出した『四季・遊牧ーツェルゲルの人々ー』は、今、自主上映運動の中で、多くの人々からあたたかく迎えられている。

実は、この作品の編集中にも、滋賀県に唯一ある行政村、朽木村に何度か足を運んでいるうちに、モンゴルの山岳砂漠の村、ツェルゲルとイメージを重ねながら、「森と砂漠を結ぶ」次の「森の村」の作品として、『四季・山村 ー朽木谷の人々ー』の構想が、浮かびあがってきた。

高島郡朽木村は、滋賀県の西北部に位置し、標高およそ一〇〇〇メートルの丹波・比良連峰に囲まれた山の里である。西南は京都府、北東は福井県に接している。京都の百井峠に源を発し、琵琶湖に注ぐ安曇川本流と、この流れに注ぐ麻生川、北川、針畑川の渓流。深い森が迫る曲がりくねった急流に沿って、暗い山道を登ってゆくと、時々忘れたころに数戸の農家が小さな集落を成して、渓流に沿った斜面にへばり着くようにあらわれる。

こうした急流と森林と猫のひたいほどの田畑が、朽木谷の人々の暮らしの舞台になっている。年間降水量は多く、山間特有の豪雨による災害をくりかえしてきた。 福井県境にある野坂山地に積雪をみると、まもなく朽木谷に北東の季節風が吹き荒れる。谷筋じゅうが黒い雲におおわれて、“高島しぐれ”が毎日降り、やがて雪へと変わってゆく。朽木谷は、冷害にもよく見舞われ、村人は飢饉にそなえ、ひえを蓄え、狭い耕地を無駄なく活用し、植林、伐採、運搬、炭焼き、一部では養蚕、畜牛を営み、降りつもる雪の下では、女たちは遠い昔から麻布を織って暮らしを立ててきたという。

若狭からこの朽木谷を経由し京へ通じる若狭街道は、古くから栄えた往来である。塩さばをはじめ北陸の海産物が、谷筋沿いに担ぎ運ばれてきたので、これらの道を「鯖街道」と呼んだ。五月には子持ちの鯖が大量に獲れるので、この道筋にあたる朽木谷の人々は、なれずしを漬ける。この鯖のなれずしは、山間高冷地に適した保存食で、今も朽木谷の集落のいたるところで漬けられ、ひっそりと今に食べつづけられてきた。

私たちは、この朽木谷の過去と今を重ねながら、そこに生きる人々の姿を心に描き、その思いをあたためつづけてきた。こうした中で、偶然とはいえ、不思議なことではあるが、グリーグの“ソルヴェイグの歌”が、くりかえし脳裡によみがえってくるのである。それは、遠い地に去った恋人の帰りをひそかに待ちつづける、もの静かな中にも意志の強い北欧の女性の哀切にも似た心の動きを奏でながらも、重苦しい“閉塞感”を打ち砕く、新しい時代の到来を思わせる幽かな明るみを帯びた旋律が、随所に見え隠れする。

日本の一角のこの朽木谷から、何かが見えてくるのではないかという期待。二〇世紀末の世界の状況を打ち破る、何かがそこにはあるのではないかという予感。この思いは、鉛色に重く垂れこめる、北欧の冬の空のような重圧に圧しひしがれながらも、この旋律にくりかえし浸りながら、次第に、同じ美しい主題に到達してゆくことに気づくのである。

晩秋が過ぎ、朽木谷に雪がちらつくころになったら、撮りはじめよう。

春はまたやって来る。

b.『四季・山村ー大君ヶ畑の人々ー』

準備中

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