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Nomad image通信『菜園家族だより』第3号(2003年6月30日発行)

第3回“菜園家族の学校”のご報告

梅雨の中休み、久しぶりの青空のもと、2003年6月21日(土)、滋賀県立大学(彦根市)A4棟−205大教室において、第3回“菜園家族の学校−大地に明日を描く21”が開催されました。

≪上映≫、≪トーク≫、≪交流≫の3部から構成されたこの集いには、今回も、大学のある地元にはじまって、京都・奈良・三重・大阪府全域・神戸・西宮・尼崎・加古川など関西各地から、さらには遠く鳥取からもご参加いただきました。

約160名のご参加者の中には、1・2回目に引き続いての方も多く、顔見知りの和やかさが生まれる一方、ちょうど1週間前の6月14日早朝に放送されたNHK『ラジオ深夜便〜“こころの時代”』などでこの集いのことを知り、初めてご参加された方もおられました。

忙しい日々の暮らしの中で、月に一度、湖東の小都市・彦根にまで足を運ぶのは、たいへんなことです。このテーマに対する関心の高さを感ずるとともに、毎回、充実した内容にしてゆきたい、という思いが沸々と湧いてきます。

以下、1・2・3部について簡単にご報告します。

1≪上映の部≫〜甦る大地の記憶〜 映画『四季・遊牧ーツェルゲルの人々ー』の鑑賞

13:00〜14:20は、三部作 全6巻,7時間40分の完全版より、第1部・上巻「厳冬に耐える−再生への模索−1992年秋〜冬」を鑑賞しました。この巻には、ダイジェスト版後編には登場しない、長い冬への入り口の時期が描かれています。

次回7月は、本格的な冬が到来する第1部・下巻を上映します。以後、引き続き毎月1巻ずつ順に鑑賞してゆき、12月に最終巻(第3部・下巻)をむかえるよう予定しております。

『四季・遊牧』のご感想より

★今回で3回目の参加です。毎回違った視点からの話に、「こんな見方、考え方もあるんだ」と興味をそそられ、驚かされているところです。今回の映像の方も、1・2回目(に見たダイジェスト版後編)とは少し違って、何かとても懐かしい風景に出会ったような気持ちになりました。モンゴルに行った事はないのですが・・・・・。
(大阪府南河内郡千早赤阪村・54歳・女性・施設職員)

★ツェルゲル村の人々を見て一番に感じたことは、地に足の着いた暮らしを送っている、ということです。お金を使わないで、自分や知り合いの人の家畜などの力を借りて、(引越しという)大仕事をやってのける様子を見たときに、日本の道路網にはりめぐらされた状態が、時にはお金を浪費してしまう憎い存在であるかのように思いました。
(大阪市・24歳・女性・会社員)

★“お金で買えないものがある”という言い方がありましたが、今ではもう“お金で買えないもの”を失ってしまい、“お金で買えるもの”だけが残ったように思えます。『遊牧』を観ているとそう思います。
(大阪府堺市・55歳・女性・パート)

2≪トークの部≫〜心ひたす未来への予感〜 「菜園家族」構想を語る

小休憩後、14:35〜17:10までは、「菜園家族」構想を基軸に、私たち自身の未来を語り、考えました。

(1)「菜園家族」構想の提起

倒産・失業・リストラ・就職難・雇用の非正規化・過酷な残業・過労死など、働く場をとりまく環境は、最近、ますます厳しさを増すばかりです。それらは、年齢層や性別を問わず、今や私たちすべてに及んでいます。能力主義が煽られる中、互いに励まし守り合う仲間や場さえ、失われつつあり、ひとりひとりが孤立したまま、いつしか競争原理に飲み込まれてゆきます。

こうした奔流に抗して、人間らしい暮らしのあり方を取り戻すためには、どのような社会の枠組みを描いたらよいのでしょうか。小貫雅男滋賀県立大学人間文化学部教授より、現代という時代をどう認識するか整理した上で、週休五日制による三世代「菜園家族」構想の骨子と意義について、話がありました。

今回、特に重要な点として強調していたことは、森と海を結ぶ流域循環型の“地域圏”の形成の必要性についてです。市民・自治体・企業が話し合い、三者協定を結び、一体となってその実現に向けて試行を重ねてゆくのです。

日々の現実の中で、「理想かもしれないが、無理だ」と、虚しい諦めが先立つかもしれない。しかし、資源の限界性や地球環境をとってみても、現在の“拡大経済”が、この先もこのまま存続することはできないのも、また明らかである。そして何よりも、主人公は、それぞれの“地域圏”に暮らす私たちひとりひとりであり、私たちの望む暮らしのあり方は、私たち自身の手でつくってゆくことができるのではないだろうか。「余命幾ばくもない」身ではあるが、子供や孫たちの世代の未来を展望し、流れをつくってゆくことを生き甲斐にしたいものだ。・・・・・

このような小貫先生の言葉に、これからの時代を生きてゆくことになる若い世代の私たちこそ、頑張らねば、と勇気づけられます。

(2)向山邦史さんからのコメント

第3回のコメンテーターに、山梨県甲府市で塗料会社を経営する向山邦史さんをお招きしました。コメントに先立ち、NHK『特報首都圏』の「“分かちあい”はできますか〜失業時代 迫られる新たな働き方〜」(25分間)を観ました。この番組では、最近日本でも現れはじめたワークシェアリングのいくつかの形態を取材しています。前半の市役所での様子に続き、後半で、向山さんの経営する会社での試みが紹介されました。

「これ以上、経済成長は見込めないのだから、それに逆らって企業だけ成長しようすれば、無理が出るのは当然。我が社では、計画的に売上削減するとともに、一人当たりの労働日を週4日に減らし、その分新たな雇用を生み出す形のワークシェアリングを実践に移している。・・・・・」

番組に続き、さらに向山さんからお話をうかがうと、驚くことばかりです。向山さんは、毎朝4時から出勤の時間まで自ら畑に立ち、自然農に取り組んでおられ、さらには、「自給自足会社」をめざし、この度、畑5反を購入、週3日の休日には土に親しむという生活スタイルを、社員の皆さんにも、奨めているのだそうです。

これまでにお寄せいただいたアンケートには、「“菜園家族”構想に賛同はするが、実現は難しいのでは」というご意見も多々ありました。そう考える最大の理由のひとつとして挙げられているのは、「会社が変わるとは思えない」という壁です。しかし、今回、企業経営者の中からも、向山さんのような発想の方が出てきているのだという実例に触れ、変革への可能性が、皆さんの胸をひたしたのではないでしょうか。 番組中、若い社員の奥さんが「3日も休みがあるなら、アルバイトに行って現金を稼いできてほしい」と語っていました。そうした思いが変わるためには、どのような社会的条件が整えられていったらよいのでしょうか。小貫先生は、産業革命の渦の中、19世紀前半のイギリスにおけるロバート・オウエンの苦渋に満ちた試みの経過に学ぶ時、やはり“地域圏”という“場”の形成の重要性が大きくクローズアップされてくる、と考えているようです。

(3)質疑応答・意見交換

4月の会で、滋賀県中主町の吉川さんから、耕作放棄地の情報がありましたが、その後早速、守山市の小川さんが、1反借りて野菜作りを始められたそうです。ご友人で有機栽培の先輩・守山市の臣さんご夫妻、吉川さんとともに中主町から毎回ご参加されている森田さん・実川さんたちと、リンケージが広がっているようです。

また、馬を愛する愛知川町の夏原さんからは、「転校」報告がありました。近々、長野県望月町の田舎家へ移住されることになったそうです。

この集いでは、多角度から「菜園家族」構想を考え話し合うと同時に、行動に移されている皆さんの報告・情報交換の場としても充実させ、その中で課題を明らかにし、「構想」を鍛錬してゆくことができればと思っています。

3≪交流の部≫〜語らいと喫茶〜

17:20から同じ会場で、内モンゴル留学生たちによるモンゴル乳茶、六甲 弓削牧場(神戸市北区)の生チーズなどをいただきながら、交流がつづけられました。≪トークの部≫を受けて、何か不思議な希望に包まれているようでした。

☆前回(6月21日)コメンテーター向山邦史さんのご紹介☆

昭和18年(1943年)3月生まれ、今60歳の、還暦を迎えたお爺さんです。

仕事は、向山塗料という16名で、建築や工場への塗料卸業がメインで、年商9億円規模です。別会社でフェニックスという環境グッズの販売、BDF製造販売などの会社もしています。

高度経済成長期には、社員の尻を引っぱたいて売上をバンバンあげて、ゆくゆくは上場をと考えた時期もあるほどの、ガチガチのいわゆる社長でした。

が、半数の社員が1年で入れ替わったり、独立してライバルになってしまった社員もいたりなど、様々な問題が噴出して、強度のノイローゼ(精神病の一歩手前)で1年半ほど何時死のうかと思い悩みました。

いつとははっきり判りませんが、徐々に当たり前の精神状態に戻ってくる過程の中で、人生を変えてしまうほどの出会い、経験が何度もありました。(この時の体験から、挫折、困難なことは、後になって必ず肥やしになってくれることを学びました。その意味では、現在いわれている不況、不景気も、必ず良い結果をもたらしてくれる有難いものなのでしょう。)愛知県一色町の石川てる英さん、ネットワーク地球村の?木善之さん、七福醸造の犬塚敦統さんなどで、私の歩んできた道とは随分違う人たちばかりでした。

この人たちと接触が多くなる中で、私が善としていた会社を大きくする、お金儲けをガンガンにしてゆくなどの価値観が崩れてゆきました。結局、この地球と言う星しか住めるところがない。この星が住めないようになったら、私や家族だけでなく、すべての生命が困ってしまう、ということでした。このことが私の現在の思考の大半を占めています。

10年前の経営計画発表会で、コンセプトを「私たちの仕事は、地球を美しくすることです」と定め、本格的に会社と地球環境との共存の道を探ってきました。大量消費、大量廃棄を止めるべく、売上を年々計画的に減らしたり(6〜8%)、ISO14001を取得したりしました。売上減は利益減になり、倒産の方向に進みますが、徹底した「もったいない」で、固定費を削減しているために、赤字ではない運営を続けています。母なる地球環境に満足してもらえる経営を目指す「GESM」を実現するために、ワークシェアリングをし、一週間に4日働いて3日休み、会社で現金収入を得、会社以外で農業をして自給自足をする屯田兵会社、「自給自足会社」を目指しております。

「自給自足会社」を作るために一番難しいことは、社員が「幸せの根本はお金」と思っており、一寸やそっとでは考えが変わらないことです。お金に対する考え方が変われば、「自給自足会社」への動きは、一気に加速すると考えているのですが・・・・・。

価値観を変えるということは、生き様、哲学が変わることですから、抵抗が大きいのも当たり前のことです。気長に急いで早く目標とする仕組に軟着陸できるよう、社員と行動を重ねてゆきます。

今日は有難う御座います。

☆アンケートより☆

(今回お寄せいただいたアンケートは、20代・30代の若い世代からの前向きなご感想が多いのが特徴的でした。親の世代にあたる向山さんや小貫先生が、なお未来にむけて夢を描いておられる姿に触発されたのでしょうか?)

★「菜園家族」構想は、きっと気づ きはじめている1人1人が、生活の部分、部分で、「こうだったらいいなー」と思っていることを形に、見えるようにしてくださった、そういうふうに感じました。また、向山さんの実践をお聞きし、信じて進むこと、そして1人の大きな1歩に、勇気と未来への期待を感じました。
(奈良県橿原市・30歳・女性・元農業科教員,現在模索中)

★向山さんのような強い意志と、実現するバイタリティーにたいへん感心しました。

大きな流れを作り出す一端になりたいと思います。自分に何ができるのか考えるために、また来たいと思います。
(大阪府寝屋川市・30歳・男性・会社員)

★楽しかったです。目からうろこというか、今まで私の中でもやもやしていたものが、すっきりしたような気がします。これからの生き方を考えるのが楽しみになりました。
(滋賀県大津市・30歳・女性・会社員)

★だれもが安心して生きていける社会を築いていくために、今後、菜園家族の構想は、キーワードとなっていくことでしょう。
(奈良県橿原市・32歳・女性・大学院博士課程)

★まず、人の多さと地域の幅広さに驚きました。彦根市内だけの集まりだと思っていたら、奈良や鳥取からも来られている方がいて、意外でした。農業と生活の問題に対するみんなの関心の高さを感じます。最近、ゼミでこういった話をする機会があって参加したわけですが、学校で習うまでもなく、興味の高い人も多くいるんですね。

小貫先生の話は、社会の流れやこれからの仕事のあり方を分かりやすく説明してあったので聞きやすかったです。

現在、就職活動中で、不況をまさに実感しているところです。現在の経済のあり方の限界の話は、とてもリアリティがありました。でも、実際、企業をまわっていても、ワークシェアリングの話をされるところは、会ったことがありません。

向山さんの話を聞いて、ご本人もおっしゃっていましたが、とても特異な企業だと思います。
(滋賀県彦根市・23歳・女性・学生)

★小貫先生が冗談でお話された、「ぼくは、もういなくなるからいいんですが・・・・・。」に尊敬の念を憶えます。「(この構想は)空想でしょうか?!」との問いかけをいただいて、私たちの世代へとバトンタッチしてゆく、幸せな世界を作っていこうとして下さる心に感謝です。WAKUWAKU自治体がイメージできて、楽しかったです。私も、待つのでなく、創造する世界へ、1歩ずつふみだしていきます。これからも、学び行動していきます。
(大阪市・37歳・女性・アロマセラピスト)

☆ご参加者のお便りから☆

滋賀県立大学名誉教授(環境科学部)・建築家,東京都杉並区在住 林 昭男さん(71歳)

5月17日の集まりは、帰京の時間がせまっておりましたので、交流会まで残ることができませんでした。当日、アンケート用紙に私の“菜園家族”についてスケッチを書いていたのですが、持って帰ってきてしまいました。

私の家では、妻が熱心に庭で野菜をつくっていますので、いつも新鮮なものを食べています。

2003年6月1日

*林先生は、昨年度まで本大学環境科学部環境計画学科にて、建築計画・デザインの研究・教育に携わっておられました。現在も、環境やエネルギーや素材に配慮しながら、家族の居住空間をいかに創造するか、新しい時代における木造建築の可能性を研究し続けておられます。

5月17日の第2回“菜園家族の学校”に、はるばる東京から駆けつけて下さり、後日、上記のような絵図入りのお便りをお寄せ下さいました。都会での「菜園家族」のひとつの可能性として、また本格的な「菜園家族」時代への移行期におけるひとつの形態として、示唆を与えるものではないかと考え、ここにご紹介いたしました。

9月20日の第5回“学校”に、コメンテーターとしてお迎えする予定です。

☆次回(7月19日)コメンテーター山部倍生さんのご紹介☆

(山部さんに書いていただいたものを、そのまま掲載させていただきました。)

【四国で一番小さいまちから】

私のふるさと「上勝町」を少し紹介します。四国の東の端っこ、紀伊水道に接した徳島市、小松島市から西へ車で1時間ぐらい入った山村、四国では、一番小さい町(人口が少ない)であります。私が就職した昭和41年(1966年)頃は、約5,000人、最近、減少傾向は鈍化したものの、平成12年(2000年)、2,100人余りになってしまいました。

町の最大の課題は、全国平均の100年も先を行く高齢化、率は 44%で、出生数は10人余り、既に超高齢化社会になってはいますが、木の葉を商品化した「彩」と呼ばれる商品では、年間2億円ほどの売上があり、65歳以上のおばあちゃん達が担い手なんです。

その他、ゴミの分別34品目で世界一厳しい町とか、第三セクターの株式会社が5つあり活性化に頑張っているとか、話題が豊富な町でありますので、全国からの視察者が毎年2,000人以上訪れているような元気な町でもあります。

【持続可能な地域づくりへの挑戦】

しかし、冷静に地域社会の将来展望に立つとき、持続可能かどうか、大変厳しいと言わざるを得ないのであります。タイムリーな若者定住施策により、人口の若返りをやっていかない限り、社会は持続できなくなるでありましょう。

現在の笠松町長が就任し、7つのプロジェクト課題を提起し、「この7つの解決方策ができれば、上勝町の課題は日本社会全体の縮図であるから、日本を救うことにつながる」と職員を叱咤激励しているところです。

【団塊の世代の私】

昭和23年(1948年)1月生まれ55,5歳であります。水呑み百姓の長男でしたので、地元の農業高校を卒業後、役場へ就職し現在に至っていますが、兼業農家として農的生活は継続しています。妻に負担のかけっ放しですが、棚田とすだち園少々を私のポリシーとして続けております。これまで事業畑を主に異動し、平成3年(1991年)からは異質の客商売(町営の温泉保養センター)を5年間やりました。その後、産業課で4年余り勤務したあと、菌床椎茸関係の第三セクターの経営が悪化し、再び現場へ出向して再建の仕事に2年7ヶ月携わりました。

昭和23年(1948年)1月生まれ55,5歳であります。水呑み百姓の長男でしたので、地元の農業高校を卒業後、役場へ就職し現在に至っていますが、兼業農家として農的生活は継続しています。妻に負担のかけっ放しですが、棚田とすだち園少々を私のポリシーとして続けております。これまで事業畑を主に異動し、平成3年(1991年)からは異質の客商売(町営の温泉保養センター)を5年間やりました。その後、産業課で4年余り勤務したあと、菌床椎茸関係の第三セクターの経営が悪化し、再び現場へ出向して再建の仕事に2年7ヶ月携わりました。

◆新聞の記事から◆

〜支局長からの手紙〜
「自給自足会社」

売上目標を年々下げ、それでいてきちっと利益を上げる会社があることは知りませんでした。甲府市上町の塗料会社「向山塗料」。彦根市の県立大で毎月第3土曜日に開かれている「菜園家族の学校」で、社長の向山邦史さん(60)の話を聞くことができました。

社員は16人。以前は拡大経済の信奉者で、社員の尻をたたいては「もうけろ、もうけろ」。株式の上場を夢見て自分に付いてこれない社員は次々と辞めさせ、社員の半数が入れ替わる年が続いたそうです。

しかし、辞めさせた社員が独立してライバルになったり、家族関係の悩みから次第に心身ともに追い込まれていきます。「死にたい」と願うような状態が1年半ほど続いた後、それまでの金もうけ一辺倒の価値感が音を立てて崩れていきました。

10年前、「母なる地球に満足してもらえることが一番の目標」とする経営計画を発表。ピーク時には13億円を超えていた売上を年間6〜8%ずつ減らす目標を掲げました。

「御用達」が経営理念。顧客との信頼関係を何よりも大切にする一方で、経費節減の努力を続けています。クーラーは一切使わず、雨水はトイレの水に活用する。ファクスも15年以上大切に使い、車も黄色信号になったらエンジンを切ってガソリンを倹約する徹底ぶりです。

けちなのではありません。ゴミ問題に象徴されるように大量生産、大量消費の社会が行き詰まり、このままでは未来を託す子や孫の命が危ういという問題意識が根底にあるからです。地球の温暖化が進む中で、近い将来に食べ物さえも手に入れるのが困難な時代が来るという暗い予感があるからです。

向山さんは、「自給自足会社」の理想を掲げ、会社の近くに田畑を借りて社員とともに野菜作りなどに取り組んでいます。週4日は会社で働き、残る3日は農業をする構想を持ち、実現に向けて社員と話し合いを続けています。

「私は変わり者」と向山さんは言いますが、その取り組みは多くの示唆に富んでいるように思います。それぞれの生き方を見つめ直そうと、琵琶湖のほとりで始まった「菜園家族の学校」。面白い人が次々と集まってきました。

【大津支局長・塩田 敏夫】(2003年6月29日付毎日新聞)

編集後記

高度経済成長が生み出した「核家族」。競争原理が冷酷なまでに徹底して浸透する今、もはや その「核」さえも分裂しているようです。老若男女を問わず、“使い捨て自由”が罷り通る労働市場に放り出さ れ、少子化や育児、教育、家事、介護など、家族をめぐる悩みが噴出しています。 子育てから老後までを見渡し、誰もが生きがいある暮らしを送るためには、どのような家族像、地域像が描けるのでしょうか。

今回も、親子で、ご夫婦で、ご友人同士で、多数ご参加いただきました。今後も、世代と性別を越えて、様々な角度から「菜園家族」構想を語り合い、深めてゆきたいものです。(伊藤恵子)

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