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Nomad image通信『菜園家族だより』第5号(2003年9月30日発行)

第5回“菜園家族の学校”のご報告

厳しい残暑をようやく秋風へとかえる台風が近づく中、2003年9月20日(土)、滋賀県立大学(彦根市)A4棟−205大教室において、第5回“菜園家族の学校−大地に明日を描く21”が開催されました。

回も、約140名ものご参加がありました。“夏休み”の間に、「構想」への賛同・活動への励ましのお便りをお寄せ下さっていた、石川県鳥越村や大阪府交野市、東京都三鷹市といったご遠方の方々も、お越し下さいました。

また、毎回スタッフとして頑張っている小貫ゼミ3・4年生の学生たちが、モンゴル調査旅行の写真展示をし、今夏の報告を行いました。

秋、“後期”のスタート。月に一度のこの集いが、一層自由闊達で、世代を越え新鮮な刺激を与え合うような場となることを願うものです。

以下、1・2・3部について簡単にご報告します。

1≪上映の部≫〜甦る大地の記憶〜 映画『四季・遊牧ーツェルゲルの人々ー』の鑑賞

13:00〜14:30は、三部作 全6巻,7時間40分の完全版より、第2部「春を待つ、そして夏−試行を重ねる−1993年早春〜夏」上巻を鑑賞しました。この巻では、新しい自主組織“ホルショー”を結成した遊牧民たちが、分校設立やカシミヤの販路開拓など、地域再生に奮闘する姿が描かれています。急速な市場経済化の波にとまどいながらも、寒さに耐え生まれ出た小さな仔ヤギたちを前に、家族とともにふるさとの山で生きることの喜びを再認識するのでした。

次回10月は、待ち望んだ緑の季節、高山部に居を移し短い夏を精いっぱい謳歌する、第2部・下巻を上映します。以後、毎月1巻ずつ順に鑑賞し、12月に最終巻(第3部・下巻)をむかえるよう予定しております。

『四季・遊牧』のご感想より

★厳しい自然の中で真剣に生きる姿は、振り絞った知恵の結果の創意工夫が、力強く生きていける自信を持たせてくれるのだ、という感動を与えてくれました。
(大阪府堺市・63歳・女性)

★いつも以上に考え深い内容でした。最も心を打たれた場面は、やはり、一行が首都ウランバートルに到着したときの表情です。

人それぞれに価値観は違うと思いますが、どちらが人間らしい生き方であるか考えたとき、その答えは、家族の元に帰った時のツェンゲルさんの笑顔にあると、強く感じました。
(滋賀県大津市・28歳・女性)

★ツェルゲル村にいる時のツェンゲルさんたちの柔和な眼ざしと、カシミヤの販路を見出すためにウランバートルへ行った時のうつろな眼ざしとの対比の中に、彼らの行く手の厳しさを感じた。資本の論理が彼らの慎ましい幸せな生活をかき乱さないよう祈るとともに、21世紀の現在の日本に住む私たちの生き方を考えさせられた。
(滋賀県草津市・51歳・女性)

2≪トークの部≫〜心ひたす未来への予感〜 「菜園家族」構想を語る

15:15〜17:30までは、「菜園家族」構想を基軸に、私たち自身の未来を語り、考えました。

(1)「菜園家族」構想の提起

最近おきた最も衝撃的な出来事は、名古屋市東区の宅配会社での立てこもり・爆発事件ではないでしょうか。これは、つい先日9月16日火曜日に起きた出来事にもかかわらず、なぜか3日目にはもう新聞・テレビ報道から姿を消し、総裁選・組閣の空騒ぎの中で、すっかり忘れ去られてしまいました。

しかし、高校生の娘さんと会社員の息子さん、パートをはじめた奥さんを家族とする52歳の男性が、3ヶ月分の給料25万円の支払いを求めて、このような行動に追い込まれていった顛末は、生産手段から切り離された不安定な人間の実態を鋭く映し出した、きわめて象徴的な出来事であると捉える必要があるのではないか。そして、自分自身の問題として受け止め、もっと深く掘り下げ、みんなで考えてゆく必要があるのではないか、と思われるのです。

はじめは「今日は、15分ぐらいで簡潔にお話ししたいと思います。」と言っていた小貫雅男滋賀県立大学人間文化学部教授も、この出来事に言及した時、気持ちが高ぶったのか、結局、「菜園家族」構想の今日的意義についての力説は、40分におよびました。

人類の長き歴史を、人間の生産手段からの分離、という観点で辿るとき、現代という時代は、その分離の一貫した流れの末にあることが分かります。このことによって、私たちが今おかれている不安定で困難な状態の原因が浮き彫りになると同時に、それを克服する未来への方途が明確になってくる、と説明していました。

生産手段、それは大多数の人間にとって、土地であり生産用具でした。生産力の低い原始の段階では、人は生産手段を共有し、共同体メンバー全員で自然に働きかけ、その恵みを分かち合って生きていました。

それが、次第に用具が改良され農耕が発達し、生産力の向上が余剰を生みだすようになると、生産手段をもつ者ともたない者の分化の歴史がはじまります。それは、古代の奴隷制、中世の農奴制と形態を変えながら、産業革命を経て、資本主義的生産様式が熟すにつれ、決定的になります。農民家族は、長年、根を張って生きてきた大地という基盤から切り離され、商品経済の中で、自らもまた自己の「労働力」を商品として売るよりほかに生きる術をもたない、不安定な根無し草となって、都市にあふれ出ざるをえなくなったのです。「労働者」の誕生です。

周期的に見舞う恐慌と失業、過酷な長時間労働、低賃金、いたいけな児童の酷使、劣悪な生活環境、家族の崩壊などに、「労働者」は苦しみました。資本主義のもたらすこうした人間疎外を克服すべく、19世紀以来、実に様々な努力が重ねられてきました。しかし1990年代、ソ連という苦い経験の印象が、社会主義の否定にとどまらす、それが本来、希求してやまない自由・平等・友愛という人類の永遠の理想そのものまで否定し、その実現をめざした世界中のあまたの人々の営為をも忘れ去らんばかりの傾向を生み出しました。

21世紀を迎えた今も、問題の本質は変わっていません。過去の失敗から教訓を引き出し、土地をそれぞれの手に戻し、大地に根ざした「菜園家族」が、地域の中で支え合って生きる新たな未来像、“高度に発達した自然循環社会”への壮大な回帰をめざして歩みだしたいものです。

(2)林昭男さん・知子さんからのコメント

第5回のコメンテーターに、滋賀県立大学環科学部名誉教授で建築家の林昭男先生と奥様の知子先生をお招きしました。

林先生は、環境親和型建築の研究に長年携わってこられたと同時に、ご自宅でもそれを実践しようと、この『たより』第3号でもご紹介したように、東京・杉並という大都会にありながら、「菜園家族」の試みをされています。お庭と車庫の上とを有効に活用し、様々の野菜や果樹を育てる中心となっておられるのは、目白大学人間社会学部教授の知子先生です。

スライドとOHPをまじえての両先生のお話から、既存のものを活かし、工夫を重ねることの妙を強く感じました。木造建築の良さを現代にアレンジしたデザイン・地下に至るまで種々の目的に合わせた部屋の重層構造・太陽光や風通しなどを意識したエネルギー節約など住居での工夫に加え、それを囲む庭では、生き生きと「菜園」の作業が楽しめるとともに、古くから生えていた木々を受け継いだ工夫が、やすらぎの環境を醸し出す・・・・・。

大都会のただ中にあって、この「菜園住宅」は、昭男先生の設計、知子先生の菜園、建築家の長女、地下の部屋でアフリカダンス教室を開く次女、「菜園」の新鮮な野菜に笑顔がこぼれるお孫さんまで含めて、三世代&三世帯複合家族の皆さん全員のまさに「共同作品」だなあ、と感嘆いたしました。

知子先生が述べられていたように、都市では、過重な仕事に忙殺され心のゆとりを失うサラリーマン、ワンルームの「個室」暮らし・「孤食」・コンビニ依存症の若者というように、家族や地域コミュニティーの空洞化が極限まで進んでいます。そのような中で、「菜園」や人が集まる家の工夫は、近所との交流の契機にもなり、現代の街づくりにとって重要な要素を包含していると、思いました。

(3)質疑応答・意見交換

十分に時間がとれなかった中にも、いくつかのご提案をいただきました。今後の運営に生かしてゆきたいと思います。

3≪交流の部≫〜語らいと喫茶〜

17:30から、内モンゴル留学生たちによるモンゴル乳茶、六甲 弓削牧場(神戸市北区)の生チーズ等をいただきながら、交流が続けられました。

☆前回(7月19日)のコメンテーター林昭男さんのご紹介☆

(林さんに書いていただいたものを、そのまま掲載させていただきました。)

“菜園家族”の住まいについて

“菜園家族”にとって、住まいはどうあればよいのでしょうか。小貫先生は、住まいについて、『菜園家族レボリューション』のなかで、次のように書かれています。

「“菜園家族”は、自分の一定の田や畑などの農業用地を私有し(1)、ゆとりのある敷地内には、家族の構成や個性に見合った(2)、そして世代から世代へと住み継いでゆける(3)、耐久性のある住家屋(4)(農作業場や手工芸の工房やアトリエなどの複合体)を配置することになります。もちろん、建材は日本の風土にあった国内産の材木(5)を使用することになります。」(p51)

私はこの文章を読んで、小貫先生は今の日本の住宅をめぐる現状を深く洞察され、将来の方向を示されたものとして感服しました。 そこで、この考えに基づいて私見を述べたいと思います。
“菜園家族”の住まいの要件として、次のことがあります。

(1)農業用地がある。

農産物を栽培することが暮らしの基本に据えられる“菜園家族”にとって、“土”がなくてはなりません。すでに農業を営んでいる人は、その土地を活用することとなります。

しかし、いろいろなケースが考えられます。身近にある遊休地を借りたり、市民農園を利用したり、また都市で暮らしながら週末農業のためにかなり離れたところに土地を求めている人もいます。地方都市に居住している人であれば、野菜をつくる程度の広さは、ちょっとした工夫で確保できるはずです。都会のアパートの屋上を菜園として利用している人も少なくありません。

菜園家族の形態は、多様な可能性があります。

(2)時々の暮らしに適合している。

家族の人数や構成は変化するものです。子育て、子供の成長、親の高齢化など、家族の暮らしと住まいの関係は変化します。従って、住まいには可変性が要求されます。細かく仕切られた間取りよりも、広い空間を建具や家具などを上手に使った空間構成が望まれます。暮らしの変化に耐えることが可能なものです。

(3)世代から世代へと継承できる。

世代をこえて住み続けることができるような住宅でなくてはなりません。日本の住宅の寿命は、25年〜30年といわれています。住宅を消費財として考えるのではなく、大切な文化的資産として育てていく気構えが住まい手に必要です。

(4)耐久性に優れている。

日本の民家のなかには、風雪に耐えて100年をこえて生き続けているものがあります。それらの家屋は、しっかりとした構造と住まい手の愛情に支えられて寿命を保っています。住まいの要件として、使うほどに味の出てくるようなものでありたいと思います。そして、作業場や仲間の集まる場所も併設されることが考えられます。

(5)建材は、国内産のものを活かして。

輸入住宅もある時代ですが、建材は国内産を使うべきです。できれば、近くの山の木を活用したいと思います。日本の山は、いま荒れています。山の保全のためにも、国内材を活用することが望まれます。産直形式で流通をはかろうとしている人もいます。

以上、列記したことは、基本的要件ですが、もう一つ、最も重要なこととして“環境への負担を少なく”することを考えるべきです。

それは、資源やエネルギーを節約し、CO2の発生をおさえ、浪費的な暮らしから、物を大切にしながら、豊かさを味わうことができるような暮らしへの転換をはかることです。

【林昭男プロフィール】

1932年  群馬県前橋に生まれる
1955年  早稲田大学建築学科卒業
1958年  早稲田大学大学院修士課程修了 今和次郎、今井兼次、吉阪隆正に学ぶ。

1960年〜 一級建築士事務所 第一工房パートナー 作品:大阪芸術大学学園総合計画 中部大学、筑波大学などの施設計画 公共図書館・住宅など多数。

1986年〜 林昭男建築研究室主宰 作品:西尾呉服店、ノイエス朝日など環境親和型建築の試作。

1995年〜 滋賀県立大学教授(環境科学部環境計画学科)作品:杉の木の家・井荻の家サスティナブルなデザインの研究と教育につとめる。

2003年〜 滋賀県立大学名誉教授 日本建築家協会会員、日本建築学会終身正会員

訳書:『エコロジカル・デザイン』
シム・ヴァンダーリン+スチュアート・コーワン著 林昭男+渡和由 訳
発行:株式会社ビオシティ 1997年

☆ゼミの学生たちがモンゴルへ調査旅行に出かけました☆

小貫ゼミ3回生の5名(伊藤麻希子・大野那津子・岡田和正・栗林佳織・幸崎誠司)が、8月4日から25日まで、モンゴルへ調査旅行に行って来ました。

モンゴル国立大学日本語学科のムンフツェツェク先生ご一家のご指導のもと、首都ウランバートルから西へ400?のアルハンガイ県ウギーノール郡に赴き、遊牧民の皆さんから大地に根ざした暮らしを学びました。

自分たちが寝起きするゲルを、大草原のただ中に建てることからはじまり、ヤギの乳搾り、乳製品づくり、羊の屠殺、燃料用の畜糞拾い、毛糸紡ぎ、子供たちとの交流などなど、すべてが初めての経験。その率直な感想をぜひ伝えたいと、今回“学校”で報告しました。

5人に強い印象を残したのは、家族のあり方です。力を合わせてふるさとの大地に働きかけ、自らの生をつなぐという、人間・家族の原点。モノが溢れていても何か空虚な日々ではなく、自分たちの手でつくり出す、たしかな幸せがそこにはあります。「最小限の物で、最大限の幸せを得ている」と、幸崎君は語っていました。

帰国時に降り立った、世界の超巨大都市・東京は、どのように映ったでしょうか。4月以来、渡航の手配から調査目標の設定に至るまで、すべて自分たちで話し合い積み重ねた準備過程も含め、このモンゴルの鮮烈な体験は、きっと一生忘れ得ない“原点”として5人の心に深く沈積し、日本で自らがどう生きるかを考える礎となるにちがいありません。

☆アンケートより☆

(今回のアンケートでは、モンゴル調査旅行についての報告をおこなった学生たちへの励ましも、多数いただきました。本当にありがとうございました。)

★林先生ご夫妻のお話で、2年間もかけて家族で話し合われ、理想的な生活を送っておられることに、拍手を送ります。太陽熱、雨水をとり入れられていること、私共もこれに近い家をと、家族で話し合い、実現させたいです。
(大阪府茨木市・66歳・女性・知的障害のある人たちの作業所にて“さをり織”指導ボランティア)

★林先生のお話をお伺いして、25 年前に建てた、竹で編んだ壁に土粘土を練り込んだ、日本の湿地にあった昔ながらの工法で、昔ながらの大工さんが建てて下さった我が家を大切にしていきたい、という思いをより強くしました。いずれは私たち夫婦だけになるであろう我が家を、まずはバリアフリーにリフォームし、風のぬける道、デッキ(縁側)、ささやかな菜園、環境にやさしいスローライフな生き方を目ざしていきたいと思います。
(滋賀県彦根市・58歳・女性・主婦)

★東京の街の中で、家の新築と併せて菜園をつくってしまった、というお話に驚きました。都市のヒートアイランド化防止のため、屋上緑化が進められてきていますが、この「菜園住宅」は、ヒートアイランド化防止、農作物を作ることやおいしいとりたての野菜、緑に囲まれた癒しと快適な暮らしなど、多くのメリットがあると感じました。「菜園住宅」を街づくりや住宅政策などにも取り入れられるといいですね。

ちなみに、かやぶきの村で有名な京都府美山町の北村集落では、各民家に菜園がついていて、かやぶき屋根とともに、美しい農村景観を形作っています。

また、この“学校”でもよく問題になるのは、農家でない方が菜園に取り組みたい場合、農地(畑)をどうするか、ということです。一方では耕作されない田畑が増加しており、これから、このミスマッチを地域や日本全体でどうしていったらよいか、ということが課題になると思います。
(京都市・52歳・男性・地方公務員)

★太陽熱利用の暖房の話は、私にとって本当に好タイミングでした。現在、所属するNPOで、来年春 開所に向けて“高齢者も障害者も子供も若者も、誰もが集い、それぞれが自分らしく生き生きと過ごせる場所づくり”を計画しており、その設計について検討している、まさにその時だったからです。

資金のない私たちにとって、居心地の良い場所をつくるためには、精一杯、知恵をしぼり、自然で体に良いものを効率良く・・・・・ という難題にぶつかっていたのです。林先生のご説明で、「あ!こんな方法があるのだ」と驚き、ドキドキしました。
(滋賀県彦根市・44歳・女性・NPO事務局員)

★林先生のお屋敷は、昔、仕事で関わった北欧のログハウスを思い出させました。こういう暮らしは、おそらく誰もが夢見る理想ですが、経済上恵まれない場合も、何とかこれに近いものを実現させるには、どうしたらいいのだろうか、と考えたりもします。

小貫先生のお話では、レスター・ブラウンの「エコ・エコノミー」と、伊田広行氏の「スピリチュアル・シングル宣言」に思いが行きました。これらは「菜園家族」構想と相反する部分もありながら、私の頭の中では根底でつながっており、それぞれカバーしあって、よりバランスの取れた未来像となって映るのです。
(兵庫県尼崎市・34歳・女性・翻訳通訳)

★私の考えるところ、家族は生活共同体であり、小貫先生の「構想」のように、労働を共有して一体化強化とまでは、なかなかいかないのでは、と思います。たいへん貧困な状況では、労働共有は当たり前となりますが、父一人の稼ぎで生活できる状況では、無理ではないか。重要なことは、国民皆農といいますか、食料を皆で作ることが大事である、と国民皆がとらえること、その様々な体験と価値感教育をしていくことと考えます。
(滋賀県八日市市・51歳・男性)

★私は、東北の某農山村(3夫婦9人兄弟)の大家族に生まれました。有畜営農で、馬、牛、羊、ヤギ、ウサギ、アヒル、小鳥(カナリヤ、ヤマガラ、メジロ・・・・・)、猫、犬など、動物園の中に育ったようなものです。水田8反、畑6反、山林6町歩、家畜当番は1週間交代、ほかに風呂の水汲み、縁側・居間などの雑巾がけ・・・・・。食物・おやつは、凡て山や川でとれたもの。

当時は何も不自由とは思わず、それが当たり前、何事も見よう見まねで、作業はもちろん、勉強等も決して現代のように強制されることなく、のびのびと育ったような気がします。

いつも家内と2人で参加させていただいています。先生方のお話を聞く度に、幼少時代のことが懐かしく思い出されます。もっと知人、友人にもPRしたいと思っています。
(滋賀県能登川町・70歳・男性)

★「家族が基盤の、高度に発達した自然循環型社会」を目ざしながら、私たちが今、できることがある、という小貫先生のお話は、とてもすばらしいと思いました。労働しか売るものがない私たちは、今、何と不安定で不安な時代にいるのか・・・・・。自分自身でも、もっと深く考えたいと思います。

生さんたちの一人一人の報告に、心を打たれました。物があることが幸せにつながるのではなく、何もなくても幸せになることができるということは、すばらしい視点だと思いました。海外旅行に気軽に行ける世の中ですが、大して学ばない旅行が多いもの、本当に良い経験をされましたね。
(滋賀県大津市・55歳・女性・会社員)

★学生諸君の報告の中で、都市と田舎との落差についての感想が共通してあり、モノが豊かでなくても、人々が生き生きと生きていて、幸せそうに見えた、という話にも感心しました。やはり近代経済学を越えた新しい経済理論の成立が待望されます。近代価値学説を転換する理論が必要ではないか、という気がします。
(京田辺市・77歳・男性・大学名誉教授)

★学生さんの話、上手くまとめられて短時間に話をされていて、驚き感心しました。服装もお似合いでしたよ。

モンゴルの遊牧民は、家族の結 びつきが強く、日々、助け合わざ るを得ない生活をして、そこに「足るを知る」幸せを感じている。人間も自然の一部ということを自覚しているのではないでしょうか。

その点、都会人はちょっと傲慢なところがあるのではないかと思います。最近、環境とかいわれていますが、まだまだのようです。

とどのつまり、最後は、自分自身が何をもって幸せやなあ、と感じるかということなのでしょうね。
(大阪府和泉市・61歳・男性・定年退職)

★学生さんのお話、感動しました。今まで本や映画で見聞きしていましたが、生々しい実体験を聞き、自然と共生して家族が生活する、人が生きる基本的な姿をリアルに理解できました。学校での知識教育より、生きる上で大切な体験をされたと思い、もっと多くの人が体験できればすばらしいなあ、と思います。
(奈良市・64歳・男性・定年後、自然菜園をしています)

★学生さんの体験は尊い経験として、これからの若者の中にどんどん伝わって行けるものなら、素晴らしいと思います。伝えられる場とチャンスを自分自ら作ることも、より積極的な動きではないでしょうか。また、それを広げてあげられる環境づくりも、今回の参加者の中からも出てこれば、と思います。
(大阪府堺市・63歳・女性)

☆新着情報&ご参加者のうごき☆

◆ご夫妻で毎回、“学校”にご参加くださっている福井陽児さん(55歳,滋賀県大津市仰木の里)・富久子さんから、「8月下旬より、近隣の真野という所で休耕田を2反借り、菜園をはじめました。」とのうれしいご報告がありました。福井さんは、7月の“学校”の折、「少子高齢化のすすむ仰木の里は住宅地であるが、周囲は畑や田んぼ・棚田に囲まれている。休耕地も多いので、それを利用して何とか“菜園家族”ができないだろうか。」という旨のアンケートをお寄せ下さっていました。“夏休み”の間に、その第一歩をふみ出されたのですね。

☆ご参加者のお便りから☆

家族、農、そして感動

東京都三鷹市在住 黒須正雄さん(57歳)

2000年11月に“四季・遊牧”の映画を世田谷区民会館で丸1日、目と耳をフル活動させて鑑賞して以来、自分の週末農業を通してそれまでに考えてきた、自分の食べるものは自分で作ろうから始まり、農的生活/百姓生活を自分の「終の住処」で実現しようとしていたことと、重ね合わせて考えるに至りました。

20代・30代を通じて商社マンとして、「世界の安い地域で生産し、高く売れる地域で販売する」ことに何も疑問を持たずに、相手の国情やその地域の人々の生活など全く考えずに、自分の家族との生活を脇に置きざりにしてまでも、「貿易立国日本」の為、ひたすら走り続けていた時代があります。

ただ、30代後半、モントリオール駐在の時、当時5歳の娘に起こった生死にかかわる出来事で初めて立ち止まり、“家族”のことを考え、周りにいたカナダ人たちの質素でも生活を楽しむ、何でも自分でやるといったライフスタイルまでもが、新鮮に見えるようになりました。

それでも帰国後、38才で退職し、レコード会社を設立し、50歳までにお金を稼ぎ、人より10年早く晴耕雨読の生活をしよう、と考えたのが、更にあらぬ方向に向かう事になりました。結果的には、41〜42才にかけて、過労と心労からダウンし、仕事を続ける事はドクターストップと相成り、会社は人に譲る事になりました。この時初めて、健康、家族、等々改めて考え直すにいたり、大きく人生の舵を切る事にもなりました。家族との生活、お金で繋がらない仲間達との健康的な生活を、ゆっくりと、仕事も中味を選んで自分で納得のいく仕事を中心に、徐々に変えて行くように心に留めました。

現在の仕事の上では、今の子供たちを取り囲む環境がとても気になります。自分が身を置くアニメ業界の、そこで製作されているテレビ番組や映画の多くが、子供の心に何等かの悪影響を与えているのではないか、と懸念されることが多いからです。

自らは、子供時代に見た作品の感動をそのまま、大人になっても持ち続けられる作品、家族で対話の出来る作品を企画制作したいと考えながら、仕事をしています。しかし現実は、現在の視聴率最優先のテレビ局相手には限界も感じ、収益をあげる為には、目をつぶらざるを得ないことも多くあります。従って心あるテレビ局のプロデューサーや心ある番組提供スポンサー探しに多くの時間を割かざるを得ないのも現状です。当分辛抱強く環境整備を進め、主張し続けながら思いを実現しようと考えています。

子供の心の発育には、「家族、農、そして感動」がキーワードだと感じるに至ったのもやっと最近のことです。そして“菜園家族”の集まった地域が、ひいては、その地域全体で子供を育てることになるのではないでしょうか。その時には、毎日のように起こっている少年犯罪もなくなることは、確信出来ます。

“菜園家族の学校”に参加する事で、あらためて、活き活きと自分達の目標に向かって真剣に、でも楽しそうにやっている方達の話を伺い、新たな出会い、発見がある事を楽しみにしております。この数年、個人的に続けております琵琶湖近くに「終の住処」を見つけ、農的生活を送り、その地域に何か少しでも役立てればと言う勝手な目論見の実現の為にも、大いに刺激になります。

そして学校に参加して、何よりも感じる事は、考えている事を実行する為には、その地域に住むことが最善であることを、またその為には、自分が地域の方々といかに上手く溶け込んでいけるかだと言う事も、実感して解る時でもあります。特に東京生まれの東京育ち、しかもマンション暮らしと言う「故郷」を持たぬ人間にとって、“家族を単位とした地域”で生きることの体験がないために、地に足がついた地域共通の言葉と体験で情報交換が出来るのを見聞きする事は、よい刺激を受けるのかもしれません。今後とも時間の許す限り出席させていただこうと思います。

2003年8月15日

*黒須さんからは、2001年の大君ヶ畑・“里山研究庵”スタート以来、幾たびかお電話やお便りをいただいておりましたが、今回のお便りであらためて、ご遠方にもかかわらず、毎回“学校”に駆けつけて下さる、その深い思いを知りました。マスメディアがますます短小軽薄化してゆく昨今、それでも黒須さんのような心ある作り手の方が、頑張っておられるということは、本当に貴重であり、励まされる思いがいたします。

☆次回(10月18日)コメンテーター柾木高さん・摂さんのご紹介☆

(柾木さんに書いていただいたものを、そのまま掲載させていただきました。)

【柾木高 プロフィール】

○1950年、大分県中津市生まれ
○1974年、大阪府堺市で中学校教師を経て、非常勤講師などをしながら画業に専念する。
○現在、国画会準会員。堺市在住。

【菜園家族について】

文庫本『菜園家族レボリューション』を読んで、一言で言うならばまさに“わが意をえたり”という感じをもちました。本書を貫く「拡大経済批判」・「大地への回帰」といった考えは、今までの私の生き方にも通底するのではないかと思います。

それに読み進むうちに、私の育った60年代の状況が甦ってきました。まさに「菜園家族」だったのではないかと。おそらく私の世代以上の農村部で育った人は、同じような感想を抱いたのではないでしょうか。

ただ現在のような状況から見ると楽園のように思えても、当時は汚いもの・きついものとしか思えなかったのは、何かが欠けていたからだと思います。

螺旋的回帰といわれる「菜園家族」も、容易に楽園とはいかないはずです。さらに現在の状況で「菜園家族」的な生き方を貫く先駆的家族になろうとするなら、並み並ならぬ決意が必要でしょう。

しかし閉塞的な状況の中で、「菜園家族」には人生を託すだけの魅力は十分にあるのです。そしてそれは夢物語りだけではないはずです。

【農は芸術なり】

「芸術」を拡大解釈して、「生活は芸術なり」といってもよいかと思います。住まいから身の回りのもの、道具・食物・衣類に至るまで、本物志向でいたいですね。

また、「農」は自然とは深い関係にあります。自然はまた必然でもあります。「芸術表現」は「自然認識の深さにある」というのが私の持論ですが、「農」はまさに自然のあるべき姿でこそが望ましいのです。

【縮小経済生活について(早い話がビンボー暮らし)】

小貫先生よりコメンテーターにとの話があってから、今までの私の来し方を振り返ることにもなりました。わがままにして家族へのしわよせが多かったと思います。

古来より画家にパトロンはつきものです。あるいは財産があるかです。その両方ともない私が辞職をしたわけですから、家族が食べるだけの収入を得なければなりません。それは週2日ほどの非常勤講師と自宅で絵を教えるというものでした。従ってほとんど自宅で家族と過ごすことになります。

非常勤講師の20数年間は、まさに週休5日制でした。堺市の下町の戦前からの長屋の一角は、私にとって別天地です。わずかの路地や庭には、子供たちが撒いたドングリで、コナラ、クヌギ、カシ、ツバキ、ビワ、クルミ、クリなどが繁り過ぎて刈込みが大変です。野菜作りなども試みましたが、土と日当たりが悪くてうまくできませんでした。

一家6人がわずかな収入で暮らす悲喜劇は、様々な痕跡を残します。親ニナッタガ運ノツキです(泣き笑い)。

【次男 柾木摂 プロフィール】

○1979年、大阪府堺市生まれ
○現在、滋賀県立大学人間文化学部大学院修士課程在学中。
○学部生の頃より、中央アジアや新疆ウイグル地域に興味をもち、2002年3月から1年間、新疆大学に留学。調査のかたわら、カシュガル、トルファンおよび中国各地をめぐり、自然や人々の暮らしを写真におさめる。その成果を修士論文に執筆中。

◆新聞の記事から◆

〜窓論説委員室から〜
「菜園家族」

毎月第3土曜日の昼すぎになると、琵琶湖のほとりにある滋賀県立大学に人が集まってくる。遊牧地域論の小貫雅男教授が、この4月から始めた「菜園家族の学校」の参加者たちだ。

まず、モンゴル遊牧民の記録映画『四季・遊牧−ツェルゲルの人々−』を見る。小貫さんが1年間、現地に住み込んで撮影した。厳しい自然の中で、大地に根づいて生きる人たちの姿が映し出される。

次に、小貫さんが自ら提唱する「菜園家族」構想について話す。現金収入を得る会社勤めは週2日、あとの5日は菜園で農作物をつくり、自立した生活をめざす。できれば3世代同居で、と説く。

ゲストも招く。7月は山間の過疎地、徳島県上勝町参事の山部倍生さんが「高齢化が進み、10年たつと山を手入れする人がいなくなる。若者に来てほしい」と語った。 最後は、お茶を味わいながら全員で語り合う。

たっぷり5時間。いつも百数十〜200人が参加し、減る気配がない。学生、定年間近の人、引きこもりの若者を世話している人、古い民家で暮らし始めた人・・・・・。話を知った人が、北海道から沖縄まで全国からやって来る。

「熱心な人が残って、10人ほどになれば研究会に」という小貫さんの予想は外れた。「長びく不況や行き詰まり感のなかで、都市への過度な人口集中や拡大型経済を見直したいと考えだした人が、こんなに多かったとは」と驚く。

小さな学校の試みが、どんな実を結ぶのか。楽しみである。

【朝日新聞論説委員・大峯 伸之】(2003年7月30日付朝日新聞・夕刊)

☆“学校”のお知らせ☆

次回以降の“菜園家族の学校”のコメンテーターは、以下のように予定されています。

*10月18日(土):柾木高さん(画家,大阪府堺市在住)・摂さん(大学院生,新彊ウイグルの地域研究)
“農は芸術なり”と言う。画家としての父は、「菜園家族」構想をどのように受けとめ、若い世代の息子は、自分自身の夢をどう描くのか、世代を越えて親子で未来を語ります。

*11月15日(土):池田 博昭さん(池田建築計画 代表,一級建築士,滋賀県八日市市)
24年平均で砕いて建て直す、工業化量産住宅が圧倒的な現代日本。今一度、木という優れた自然素材と、伝統の技術や知恵を見直したい。鈴鹿山中に森を訪ね、また様々な職人さんと語り合いながら、「近くの山の木を使って家を建てる」森と野を結ぶ人々の連携づくりをめざして、行動を重ねておられます。

編集後記

「いまの日本がどのような道をすすんでいるのか・・・・・自然破壊、文化破壊、人間破壊の潮流・・・・・」。本多勝一記者がルポルタージュ『そして我が祖国・日本』で、巨大工業開発と都市化、それと表裏一体の関係にある公害問題や農山村の自然と集落の崩壊を報告したのは、1970年代半ばのことでした。当初、世界の“秘境”や戦火のベトナム、アメリカなど、海外での取材を中心としていたこの記者が、「いろんな国や民族を見てきたが、それでは日本はどうなのか」と、内側から問題を追求することになったのは、ふるさと信州・伊那谷の素朴な暮らしが、高度経済成長とそれにつづく「列島改造論」の中で激変するのに愕然としたからでした。 その後日本は、世界から“バッシング”を受けるほど貿易黒字を貪り、空前のバブル景気におどり、さらなる“発展”を遂げました。そして、バブルがはじけた今もまた、“成長”をもう一度と、グローバル経済の要求する果てしない“競争”の渦に自ら身を投じています。私たちは、本多記者が警告した人間不在の“発展”のあり方を、残念ながら30年間、本質的に変革することができずに来てしまいました。

今夏、モンゴルの大地に学んだ学生たちは、これからどう生きてゆくのか、帰国後こそ、新たな勉強と模索のはじまりなのかもしれません。それは、21世紀を生きる私たち皆の共通の課題でもあります。そして我が祖国・日本。世界の人々は、それを見ています。(伊藤恵子)

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