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Nomad image通信『菜園家族だより』第9号(2004年6月15日発行)

第9回“菜園家族の学校”のご報告

吹雪の中の12月の会からしばらく「休講」にさせていただいておりました“菜園家族の学校―大地に明日を描く21”ですが、皆さまのご熱意に支えられ、新緑の季節をむかえた2004年5月15日(土)、滋賀県立大学(彦根市)A4棟−205大教室において、再び開講することができました。

今回で、第9回目。数ヵ月のブランクがあったにもかかわらず、昨年度から引き続いて「2年生」に「進級」された方々、そして今回からの「新入生」の方々、合わせて約150名もの皆さんが、いつもの時間、いつもの場所に続々とお集まり下さると、本当にうれしさが込み上げてきました。遠くは島根、岡山、東京、長野などからも、はるばるお越しいただきました。

学生スタッフも、卒業・進級にともない、多くは新しいメンバーになりました。昨年度のスタッフがそうであったように、市民の皆さんと交流する中で、じわじわとかけがえのないものを学んでゆくことと思います。よろしくお願いいたします。

なお、昨年度ゼミ卒業生たちの卒業論文・修士論文を、新4回生たちが編集部となり、この度、卒業作品集『私は生きていく』としてまとめました。広く市民の皆さんにもお読みいただければと、5月の会で配布させていただきました。

以下、1・2・3部について、ご報告します。

1≪上映の部≫〜甦る大地の記憶〜

映画“モダン・タイムス”の鑑賞(13:00〜14:45)

本年度前期(5月と7月)の≪上映の部≫では、天才的喜劇役者であり監督であるチャールズ・チャップリン(1889〜1977)の映画から2作品を鑑賞するとの予定を、春先に皆さまにお知らせしたのですが、これまでのモンゴル・遊牧の世界から一転、なぜ“菜園家族の学校”でチャップリンなのか?と一瞬、首をかしげられた方もおられたのではないでしょうか。

現代日本の私たちは、大地から離れあまりにも遠くに来てしまいました。昨年度の“菜園家族の学校”では、このような現代人を、田畑や道具といった自らの生産手段を失い、干からびた細胞のようになってしまった存在として人類史の中に位置づけ、様々な角度から考えてきました。

「世界の喜劇王」としてその名をあまりにも広く知られるチャップリンですが、激動の20世紀、近代化と戦争の渦に巻き込まれる人間をどう捉え、表現し、伝えたかったのか、21世紀、新たな混迷の時代をむかえた今、もう一度じっくりとその作品を見直してみたいと、企画したのです。以前にご覧になったことのある方々も、時代がかわり、また「菜園家族」構想をふまえた今、再度鑑賞されると、きっと新たな視点が生まれるのではないでしょうか。

ということで、まず5月には、“モダン・タイムス”(1936年,1時間28分。監督・主演:チャールズ・チャップリン,共演:ポーレット・ゴダード)をとりあげ、皆さんで鑑賞しました。

どんな「喜劇」がはじまるのだろう、と見ていると、題名の次にまず、「これは、産業の機械化に抗して、人間の幸福を追求する物語です」という意味の字幕が入るのに、驚かされます。

☆映画“モダン・タイムス”について☆

1920年代、世界に先駆けてフォード・システム(ベルトコンベアーによる流れ作業方式)を編み出したアメリカでは、いち早く大量生産体制と大衆消費社会が確立しました。街には安価な商品が豊富に溢れ、人々は未だかつて経験しなかった「豊かさ」を享受します。

しかし、こうした経済と社会のあり方には、大きな落とし穴がありました。自らの生産手段を失った多くの人々は、機械化された工場に労働者として雇われ、単調な作業の繰り返しの中で、自らもその歯車と化してゆきます。そして、容赦ない大恐慌に見舞われれば、そうした職さえも失い、さまようのです。

チャップリンは、このような資本主義の本質をその時代のただ中にあって鋭く捉え、それを喜劇という形で、誰にでも分かるように表現しました。およそ70年も前のアメリカが舞台なのに、21世紀の私たち自身の姿にあまりにも重なって見えてくるのは、不思議なくらいです。

題名はまさに“現代(モダン・タイムス)”。チャップリンが問うた当時の「現代」の姿から、21世紀の「現代」、私たちは何を学び、どんな未来を展望できるのでしょうか。

ラストシーンは、この映画の圧巻です。ついには、使い古された雑巾のように捨てられたチャップリン扮する労働者が、非情の都会に浮浪する少女とともに、喧噪の大都会を背に、丘を越え、前方に広がる田園風景の中へと歩いてゆきます。

それは、70年が経った今もなお、21世紀の人類に行くべき道を暗示しているかのようです。社会の底辺に生きる人間へのあたたかい視線と、慧眼としか言いようのない未来への洞察力に、ただただ驚嘆するばかりです。

こわばった表情で道を突き進もうとする少女に、チャップリンは、「ほほえみを忘れないで」とでもいうような身振りをします。そのやさしい笑顔は、それまでのストーリーの中での役を離れ、監督として、私たち見る者を大きな愛で包んでくれるようです。「喜劇」とは、こういうものであるのか、とハッとさせられました。

皆さんは、どのようにご覧になったでしょうか。次回7月は、“独裁者”(1940年,2時間05分)を上映します。

2≪トークの部≫〜心ひたす未来への予感〜「菜園家族」構想を語る

15:00〜17:15までは、「菜園家族」構想を基軸に、私たち自身の未来を語り、考えました。

(1)「菜園家族」構想の提起

前回までの小貫雅男滋賀県立大学人間文化学部教授のお話では、産業革命以来、人間が自らの田畑や生産用具を失ったことで、いかに家族や地域が空洞化してしまったのか、またそれが、今日、様々な局面であらわれている経済や社会の問題の根本原因になっていることについて、考えてきました。

とくに12月の回では、“いのち”の摂理を見つめ、生物個体の細胞の構造と機能をミクロにさぐることによって、そのことに迫ってみました。つまり、ひとつひとつの細胞が、細胞核のまわりにみずみずしい細胞質を満たしているのと同じように、それぞれの家族が、生きるに最低限必要な生産手段(田畑や道具)を確保した時、はじめて生き生きとした暮らしが甦るであろう、ということです。

このようなみずみずしい家族が生きてゆくには、さらに、場の存在が重要になってきます。今回は、それを“森と海を結ぶ流域地域圏”として設定し、考えてみました。

日本列島を縦断する山脈。この山脈を分水嶺に、太平洋側と日本海側へと水を分けて走る数数の水系。かつては、この豊かな水系に沿って、集落が点在し、人々は、この流域循環の中で、土地土地の自然にとけ込むようにつつましく暮らしていました。

森の豊かな幸は平野部へと運ばれ、それとは逆に平野や海の幸は、森へと運ばれていきました。こうして、森や平野や海は、互いに補完し合いながら、それぞれのかけがえのない独自の資源を無駄なく活用する、特色ある森と海を結ぶ流域循環型の自立した地域圏を、長い歴史をかけて築きあげてきたのです。

ところが、日本列島を覆っていた森と海を結ぶこの流域地域圏は、戦後の高度成長がはじまる1950年代半ばから70年代後半までのわずか20年足らずの間に、いとも簡単に崩されてしまいました。工業製品輸出型の“拡大経済”を指向し、効率の悪い農業や林業などの第一次産業は犠牲にするという道を突き進んだ結果、大都市の超過密化と、農山村の過疎高齢化を招きました。森の集落は衰退し、流域循環系はズタズタに断ち切られてしまったのです。

21世紀は、この流域循環型の地域圏をいかに甦らせることができるかが、最も重要な課題になってきます。個々の「菜園家族」もこうした場にあって、お互い支え合ってこそ、はじめて生き生きと暮らすことができるのです。

それには、子供からお年寄りまで、様々な世代の住民・市民が参加して「郷土の点検・調査・立案」の活動をおこなうことが梃子になるでしょう。自分たちで地域を歩き、発見し、詳しく調べ、展望する。これはきっと、未来志向の楽しい活動になるはずです。「点検・調査・立案」。この繰り返しが、地域認識を深め、かつ地域を変革する主体形成にとっても、不可欠のプロセスになるのです。

(2)森 孝之さん・小夜子さんからのコメント

第9回のコメンテーターに、京都市嵯峨嵐山から、森孝之さん・小夜子さんをお招きしました。

1999年12月にびわ湖ホールで開催した『四季・遊牧』を観る“お弁当二つの”上映会にご参加くださったのが、私たちとの出会いです。

孝之さんは、高度成長時代、企業社会のただ中に身をおきながら、いち早くその限界性に気づき、京都・嵯峨野の地に黙々と木を植えつづけ、動植物と共生する循環型の生活空間を築きあげて来られました。

ここには、奥さまで創作人形作家の小夜子さんの人形工房や展示室、カフェテラスもあり、一般開放もされています。

今回は、1999年にテレビ東京「人間劇場」で放映された番組『究極のエコロジーライフ〜京都嵐山に愛を見た』(45分間)も見せていただきました。映像から、ご夫婦の長年のコラボレートの結晶であるこのエコライフ・ガーデン“アイトワ”という空間と、そこでの暮らしが、より具体的に伝わってきます。

汚れた水を外に流さないようにと、庭の中に水路をめぐらし、浄化の循環までつくりあげられているのには、驚かされました。

シイタケもお二人で栽培しておられます。収穫後、そのひとつひとつを丁寧に、糸に数珠つなぎに通してゆく小夜子先生の手。それを明るい窓辺の竿に干してゆく姿が、個人的にはとても印象的でした。

モンゴル・ツェルゲルで、遊牧民の家族たちが、貴重な高原の白キノコを同じように糸に通して乾燥保存し、大切に食べていた姿を思い出したからでしょうか。

食べるものを本当に大切にする、やさしい手をそこに見た思いがしました。それは、ものをつくり出すことのできる“確かな手”でもあると感じました。小夜子先生の生み出されるひとりひとりのお人形が、やさしい中にも凛とした眼差しをしているのはなぜか、分かるような気がしました。

孝之さんと小夜子さんは、お二人とも、子供の頃、病床の父を母が農業をして支えた、という共通の体験があるそうです。

限りある資源を使い尽くすようなこれまでの生活のあり方から、「日々の太陽の恵みの範囲で生きる」ライフスタイルへの転換を。消費から創造の時代へ。コピーからオリジナルの時代へ。新しい文明のあり方のお話にも、実践を重ねてこられた方だからこその力強さがあります。その実践の歳月は、“アイトワ”で風にさわめく木々が、大きく成長した姿そのものです。その時間をかみしめたいと思いました。

(3)質疑応答・意見交換

現在、都会にいるので、田舎暮らしの土地をどのように見つけてよいか、なかなかよいきっかけがない、とのご質問に、森孝之さんから「ご夫婦でお弁当でもつくって、リュックを背負って歩いてまわるのが一番ですよ。」というアドバイスがありました。さすがに力強い一言でした。

また、鹿児島がふるさとだという男性からは、そこでも例にもれず過疎化がすすみ、田畑や山林の扱いに正直、困っているのが現実であろうとのお話が出ました。  そうした地域を生かしてゆくことが、これから本当に求められています。

3≪交流の部≫〜語らいと喫茶〜

17:15から、内モンゴル留学生たちによるモンゴル乳茶、六甲 弓削牧場(神戸市北区)の生チーズをいただきながら、交流が続けられました。

コメンテーターの森小夜子さんの創作人形の作品集やポストカードの展示もありました。貴重な作品の中から「一番強い子」〜モンゴルをご一緒に旅したお人形だそうです!〜もお持ち下さいました。

会場のあちらこちらで、いつまでも熱心な交流の輪がつづきました。

☆前回(5月15日)コメンテーター森 孝之さん・小夜子さんのご紹介☆

(森孝之さんに書いていただいたものから、掲載させていただきました。)

数年前から、“サラリーマンしながら40年かけて森を創った森さん”と呼ばれるようになりました。そこは病床にあった父が敗戦の前年に買い求め、妻子を西宮市から疎開させ、農業で生き延びさせようとした3反の畑地でした。父が健康を取り戻した1950年頃から放置されており、ウルシやススキが生い茂っていました。

18歳のときに開墾を始め、母の見よう見まねの農法で菜園作りを始めたわけです。工業デザインを学びたくて、一浪して大学に入りましたが、その年から植樹を始め、やがて農業と林業を合体させた庭作りを目指しています。現在では、燃料、果物、薬効、香料などを期待できる樹種が、日陰作り、防風、生け垣、目隠しなどの役割を担いながら、約200種1000本繁っています。

就職先は、大阪の総合商社でしたが、社会人2年生の時に通勤の便が悪いこの土地に金融公庫で小さな家を建てました。社会の流れに逆行と笑われながら半自給生活を目指し、廃水の分別も始めました。今では自生する野生動植物を尊重する循環型のエコロジカルな生活空間になっており、エコライフ・ガーデンと呼んでいます。

職場結婚の妻は、私の両親の面倒も見る専業主婦になりましたが、自己流で人形作りを始め、創作人形作家の肩書きも持ちました。1986年の春に完成した人形工房やカフェテラスは省エネルギー型で、半地下構造、多様なトップライト、部分的ですが芝屋根、関西発の民間ソーラー発電器などローテクからハイテクまで採用し、化石資源への依存率を下げています。

この時を契機に、この循環型生活空間に“アイトワ”という名を与えて一般開放に踏み切りました。アイトワ(aightowa)は、「愛とは?」「愛と環」「愛永遠」の三つの意味を込めた私たち夫婦の造語です。カフェテラスはわが国初の禁煙喫茶店といわれます。

この間に、工業社会に不安を感じて商社を辞めています。その後、再就職した衣料企業もバブルに酔う経営に不安を覚えて辞め、1988年に処女作『ビブギオールカラーポスト消費社会の旗手たち』(朝日新聞社)を上梓しました。単色のホワイトカラーやブルーカラーの時代ではない、多彩なビブギオールカラーになろうとの提唱です。VIBGYORとはヴァイオレットのVから始まりレッドのRで終わる虹の頭文字を綴っています。

新刊の『次の生き方 エコから始まる仕事と暮らし』(平凡社)は、このような庭作りに手をつけたわけや、その効果や楽しさや意義などに触れることから始まっていますが、すべての人が自分らしく生きることによって、「最小の消費で最大の幸せや豊かさを求める生き方」を実現しよう、と呼びかけています。

【森孝之プロフィール】
  • 1938年 兵庫県西宮市に生まれる
  • 1944年 京都・嵯峨に疎開、住み着く
  • 1962年 京都工芸繊維大学卒業、伊藤忠商事入社
  • 1986年 ワールド取締役及びノーブルグー社長を辞任
  • 1987年 アイトワ設立。ライフスタイル・コンサルタントとして執筆、講演、企業顧問などの活動に入る
  • 1992年 大垣女子短期大学教授
  • 2000年 大垣女子短期大学学長
  • 2004年〜大垣女子短期大学名誉教授
<主な著作>
  • 『「想い」を売る会社』日本経済新聞社,1998年
  • 『庭宇宙』遊タイム出版,2002年,森小夜子と共著
  • 『次の生き方 エコから始まる仕事と暮らし』平凡社,2004年(4/7予定)
【森小夜子プロフィール】
  • 1969年 桑沢デザイン研究所卒業、デザイナーとして商社勤務
  • 1973年 結婚を期に退職、創作人形の世界に入る
  • 1986年 人形工房&カフェテラス『アイトワ』オープン(京都・嵯峨野)
  • 1992年 NHKテレビ「婦人百科」出演
  • 1993年 『アイトワ』に人形展示室オープン
  • 2004年 NHK文化センター講師
<主な展示会>
  • 1985年「森小夜子人形教室展」開催、以降1年半ごとに定期開催
  • 1993年〜「民族の賛歌」をテーマに数々の人形展を開催(新宿三越,銀座松屋,京都大丸など)
<主な著作>
  • 人形作品集『lou lan(ローラン)』,1990年
  • 人形作品集『民族の賛歌』,1998年
  • エッセイ『人形に命を込めて』大和書房,2001年
  • 人形作品集『大地に希望の風を』,2001年
  • 人形作品集『いつか鳥のように』,2004年
アイトワ 〒616-8396 京都市右京区嵯峨小倉山山本町1
ホームページ:www2.plala.or.jp/machami/aightowa

☆アンケートより☆

(今回もたくさんお寄せいただき、本当にありがとうございました。)

★“モダン・タイムス”を観て。

就職をして約30年、定年まであと10年となり、趣味として畑仕事をしながら、残りの人生を計画しようと考えております。仕事は生活の手段であり、効率的に結果を出すものと単純に考え、あまり疑問も持っていませんでした。でも、今回、映画を見ながら、少し違うなと感じました。70年前も、一度、仕事を失うと、即生活に困り、悲しみ、自信を失い、現在の日本では、自殺する人もたくさんいます。

本当は、生活と仕事は区別するのでなく、心や身体を使い、楽しく生きていくのが生活でもあり、仕事ではないのでしょうか。

失業してもちゃんと生活できるシステムが、これからの時代には必要ですね。やはりこの先には、「菜園家族」しかないのかと感じました。「菜園家族」を勉強しな がら、今後の生き方(自給自足の生活が目標)をもっと具体的に考えて、チャレンジしていきたいです。
(兵庫県加古川市・50歳・男性)

★“モダン・タイムス”は、サイレント・ムービーからトーキーへの移行期だったからでしょうが、セリフが聞こえる所と聞こえない所があるのは、チャップリンの計算 なのかもしれないと思いました。シーンによって動きを楽しんでもらいたいのか、歌を聴いてもらいたいのか、会話を聞かせたいのか、表情から読みとってもらいたいのか。

声が聞こえるのと聞こえないのでは、こちらの頭の使う領域が違っていて、映画からいろいろなものを受け取ることができます。声が聞こえなかったら、何を言 っているのか想像します。見る側に答えを押しつけるのではなく、観客の想像によって、映画は完成する。これからの主役が神や王、企業でなく、ひとりの人間なのだとし たら、サイレント・ムービーのような観客の想像が作り上げる映画は、未来を予見していると思いました。
(岡山県真庭郡勝山町・24歳・男性・養蜂業)

★“モダン・タイムス”は、実は今まで一部分しか観ていず、今日、初めて全部観て、本当に心を打つ、深い感動を味わいました。『四季・遊牧』とはまったく別の映像でありながら、どこか共通するメッセージを感じとりました。

また、森先生のお話とビデオは、実践を通してならではの、具体的で説得力のある内容で、「自分にもやれそう!実現できそう!!」という勇気をいただきました。   ご質問にも出てきましたが、自分で何かを実行して見ることが、その気持ちになることが、まず大切なんだナーと、改めて思いました。
(滋賀県彦根市・44歳・女性・NPO法人職員)

★チャップリンの“モダン・タイムス”は、何度見ても新しいというか、現代的に思えます。70年前と今も、社会はあまり変化していないのでしょうか。それと、チャップリンの映画は、いつも新しい発見がありますね。とても楽しい時間でした。最後のシーンは何度見てもきれいで、前向きになります。小貫先生のお話は、父親が子どもに語りかけるような感じがします。とても分かりやすく、いつもこんな授業が聞ける学生さんが、すごくうらやましく思われます。

エコライフ・ガーデン“アイトワ”は、前に一度行ったことがあり、あこがれの人の話が聞けて、とてもうれしく思います。最近、年齢的なこともあり、菜食主義の食生活について、よく考えるようになりました。、家族のためにも、もっと勉強したいです。
(滋賀県八日市市・38歳・女性・会社員)

★ほぼ1年ぶりなのですが、元気をもらいたくてやってまいりました。能登川までJRで来て、自転車を50分走らせて、何とか1時に入りました。道中、田植えの済んだ風景もよかったですが、会場の皆さんの表情にほっとしました。森さんのビデオもよかった。今は亡き母親を思い出しました。この運動が、もっともっと大きく広がって欲しいと思います。
(大阪府堺市・50歳・男性・地方公務員)

★すごいですね。森さんは、ご夫婦お二人で、1000坪も耕したり、いろいろなさっている。また、外部にいわゆるゴミなど、一切出さない。

そういうことをもう40年も前から構想され、実現していったというのは、想像力・創造力が豊かなのですね。生活に必要なものを、自分でつくりだしてゆく。そういうことを会社に勤められている時に敏感に感じ、辞められ、じわじわと自分の「夢」を追求なさってゆく。すごい決断力ですよね。

とても自分にはできそうにないなあと思う一方、少しでも、微々たるものでも、自分のできることをやっていきたい、とも思っています。
(大阪府和泉市・62歳・男性・定年退職)

★森孝之さんのお話に共感しました。是非、幼時教育にも生かしていただけたら、日本の将来にも光が見える気がしました。私も数年後に自給自足をしたいと計画中で す。
(滋賀県彦根市・59歳・女性・生き方勉強中、修行中です)

★森さんのお話、映像共に、目や耳を最大限に活用させて見聞きいたしました。

太陽の恵みの中での循環型の生 活の中に、人間本来の生き方、幸せがあることは、森さんご家族の笑顔から見ることができます。私たちは、本当はこのような生き方 をしたいと、体が、心が感じていることにそろそろ気づくべきだと思いました。

「欲しいものは何ですか、との問いに、皆お金だと答える」。まさに今の社会は、お金のために回っていることを感じざるを得ません。「家は生産の場、創造の場」 とおっしゃるお言葉には、とても実感がこもっていました。

私は、自宅の畑で野菜づくりを 始めましたが、日の光を浴び、風を感じ、時には雨の中で土に触れることは、心から楽しく、また、自然から学ぶことは、山のように あります。いつ見ても無機質な建物が並ぶ風景ではなく、そこには四季折々、日々変化があるからです。そして収穫の時の大きな喜びは、「日々楽しければ、自信がつ きます、そしてその自信がやがて誇りになるのです。」と力強く語って下さった森さんのお言葉そのものだと思うのです。

私は、私の視点で私自身の生き方を考えていける、と確信できる素晴らしいお話を、本当にありがとうございました。
(滋賀県大津市・28歳・女性)

★小貫先生が言われた「村の分校は、子供の教育だけでなく、村の人と人のつながりを作る場でもあった」。これは、“菜園家族の学校”も同じように思いました。人と人をつなげて、その場にいるだけで、安心できます。次回も心を洗いに来ます。
(滋賀県大津市・54歳・男性・会社員)

★小貫先生、森さんご夫妻、参加者の発言の中にあった“楽しく”という言葉で思い出したことがあります。

現在、大学生の子供が幼稚園児だった時、我が家の猫の額の家庭菜園で野菜を作っていた夫に、娘の友達が話しかけました。「うちとこは、なんでもお店で買うのに、 おっちゃんとこは、どうして作るん?」

夫の答えは、私の予想を越えていました。“安いから”、“安心だから”というような答えをするのかな、と思っていた私の耳に、「○○ちゃん、それはね、楽しいからだよ。」という夫の声が聞こえてきました。力むこともなく、ごく自然に、子供にも正面から話していました。尋ねた子は、首をかしげて、困惑した顔つきをしていましたが、私は、それを聞いて幸せな気持ちになりました。2年前に夫は病死して、その言葉や庭を耕す娘の姿の中に、夫が生きていると思います。
(滋賀県・草津市・52歳・女性・介護職)

☆ゼミの学生たちの卒業作品集『私は生きていく』ができました!☆

2003年度の小貫ゼミ卒業生たち17名が執筆した卒業論文・修士論文を、この度、卒業作品集『私は生きていく』として一冊の本にまとめました。

執筆者たちは、昨年の“菜園家族の学校”にスタッフとして参加し、コメンテーターのお話を聞き、市民の皆さんと交流する中で、かけがえのないものを学んでいったようです。中には、そこで出会い心惹かれた、農や伝統工芸、その他多彩な活動に携わる方々のもとを、直接訪ねた学生もいました。

「就職氷河期」といわれる今、最終学年の学生たちは、誰もがいよいよ、進路の問題に卒業論文に直面し、煩悶する一年間です。この本に収められたどの「作品」も、そんな不安と焦燥の中、自分にとって生きることとは、働くこととは、一体何なのかを真剣に考え生み出された、若い魂の叫びです。

編集にあたった新4回生を代表して、幸崎誠司君は、こう語っています。「世間では大学生の学力低下が叫ばれていますが、実際の大学生は、様々なことを考えながらこの現代社会と真摯に向き合い、また自分自身と向き合いながら、懸命に生きています。そのような姿勢で17名の学生が抱いた強く、深い想いの結晶である卒業作品を、私たちは、“学生と教授という関係だけの閉ざされたメディアではなく、もっと多くの人々へ”という考えのもと、この300ページを越える一冊の『作品集』を作り上げました」。

せひ、様々な世代の方にお読みいただき、ご感想などお聞かせいただければと思います。

*ご希望の方には進呈させていただきますので、小貫研究室までお問い合わせ下さい。

☆次回(7月17日)コメンテーター廣瀬龍一さんのご紹介☆

(廣瀬龍一さんに書いていただいたものから、掲載させていただきました。)

【プロフィール】

  • 1940年、東京生まれ。小田原に疎開し、高校までを過ごす。
  • 東北大学工学部卒業後、清水建設に入社。国内の現場を12年、新規事業部を3年、  海外事業部11年間でイラク、インドネシア、シンガポールなどを周り、社内の  福祉部門(有料老人ホーム設立)を経て、厚生省の健康長寿のまちづくり事業に  コンサルタントとして3年勤め、52歳で会社を退職。
  • 1993年6月、岩手県和賀郡沢内村に移住。2000年、NPO西和賀文化遺産伝承協会を設立。  奥羽山脈の中にある豪雪地帯、西和賀の自然と地域に残る助け合いの生き方を残す活動を  続けている。
  • NPO西和賀文化遺産伝承協会ホームページ http://www.seibunkyo.org/

【『菜園家族レボリューション』との出あい】

小貫先生との出会いは、2年ほど前の地元新聞で、先生と養蜂所の山田さんとの対談を読んで感銘を受けたことに始まります。

その頃、私は、村に住んで農業をしながらお年寄りと話しているうちに、この地域の自然と助け合いの中で生きてきた文化、特に「結」の仕組み、生活の中に組み込まれた子どもの役割、厳しい親と優しいお年寄りとの間で心が育つ子どもたちなどが、今の日本には大切だと感じていました。

対談を読んで、漠然としていた考えの中に、しっかりした裏付けをいただいたような気がしました。すぐにファックスで感じたことを書き送り、電話でお話することも出来ました。

その後ずっと、モンゴルの映画を全部見たい、できたら菜園家族をこの村にも呼びたいという二つの思いは続いています。

【地域での取り組み】

西和賀文化遺産伝承協会(略称:西文協)というNPOを組織し、沢内村と隣りの湯田町を基盤に活動しています。

茅葺きの古民家(川舟の家)を地域の人の助けで整備保存し、そこでは子どもとお年寄りとの交流、昔の地域行事の復活、農業体験、貸し農園などを行っています。この家の周辺には山やいろいろな植物の群生地もあり、観光ではなく心ある人たちに楽しんでいただくこともしています。

個人的にはもう一つの古民家(清吉稲荷)の周りで、2反ほどの田と、2反ほどの畑でソバ、豆、ジャガイモ、大根などの野菜を作っています。稲作は、今年から不耕起にし、新たに3人の仲間を得て田んぼを増やしました。

沢内村の「子育ち子育て支援会議」を支援し、全国の養護施設の子どもたちや先生方をこの村に呼んで、「沢内丸ごと養護施設」という事業を昨年から始めました。この活動の拠点にこの清吉稲荷を使い、川遊びや農業体験、創作体験活動をしています。

【「菜園家族」構想と共通する考え】

現状の問題

  • 拡大経済への移行から、人々はあらゆる価値がお金であると考えるようになった。
  • 教育の目的もそのために上の学校に行く、そのために成績をあげるということになった。
  • 大地から生活が遊離するに従い、心のよりどころ、人とのふれ合いによる幸せ感がなくなる。
  • 楽に、安く、早く、苦労せずに暮らせることが進歩であるという考えが一般的になる。

子どもの居場所

  • 子どもたちの家庭内での役割が無くなり、お手伝いのできる幸せ感が薄らぐ。

今後に望むこと

  • 人々が本来の人間の営みを知り、幸せのあり方を実感し、今の生き方に疑問を持ち、自ら自然に密着した人との関わりがある生活を求めるようになる。
  • その動向を見て、企業や行政が国造りの方針を転換する。

◆新聞の記事から◆

〜支局長からの手紙〜
「次の生き方」

「深く、豊かに生きている」。“サラリーマンをしながら40年かけて森を創った森さん”と呼ばれる京都市の森孝之、小夜子さん夫妻の話を聴きながら思いました。夫妻の姿が、チャップリンの傑作映画「モダン・タイムス」のラストシーンにだぶって見えてしかたありませんでした。

工場の中で機械の奴隷となって働く主人公のチャップリン。ある時、パンを盗んだ貧しい少女を助けます。そして、本当の幸せを求めて少女と一生懸命生きていきます。ラストシーンは、2人が仲良く手をつなぎながらゆっくりと道を歩いていくところ。チャップリンはどこに行くのかは示しませんでしたが、森夫妻はその道の先に踏み出し、しっかりと歩いているように思いました。どんな状況になろうと、絶望してはいけない。懸命に生きていけば明日が来る。映画はそう語りかけてくれましたが、本物の豊かさを味わおうと身をもって実践している人がいることに驚きました。

彦根市の県立大で15日に開かれた「第9回菜園家族の学校」でのことでした。

大地を耕すことで人間本来の生きる力を取り戻そうと、モンゴル研究の第一人者の小貫雅男教授が呼び掛けた学びの場で、「モダン・タイムス」の上映後に森夫妻が先生となってこれまで生きてきた道を語りました。

森さんの生き方を決めたのは近所の知的障害を持つ源ちゃんの言葉でした。「そうやって石油なんかボンボン抜いてたら、湯たんぽと一緒でいつか空になるな」。森さんが19歳の時のこと。人類初の人工衛星スプートニクについてありったけの知識を使って話していたそうです。源ちゃんの言葉に真理を感じて、 1000坪もの荒れ地に植樹を始めます。その土地は、病床にあった父親が敗戦の前年に買い求め、家族で耕すことで生き延びさせようというものです。

総合商社に就職しますが、時間をうまく使って木を植え、野菜を作り続けます。日々の太陽の恵みの範囲で生きることを決意します。ゴミ、し尿、家庭排水も大地に戻して循環させるエコライフガーデン。今では200種、1000本の木が生い茂っています。小さな森は燃料、果樹、薬など生きるための糧を得る場になりました。商社は工業社会の落とし子と悟って退社し、短大の教員生活を経て、今は夫婦で自然の中の一員として五感をフルに働かせながら大地を耕しています。

ある時、小夜子さんが毛虫に刺されて激しい痛みに襲われました。とっさに畑に走り、ゴーヤの実をもぎって患部に汁を塗りつけました。痛みは次第に治まったそうです。

この話に、私は強い衝撃を受けました。人間が持っている生きる力を感じたからです。自然と遮断された都会で生まれ、育った私にはそんな力はないと感じたからです。人類が誕生以来、産業革命、高度経済成長を経て私たちは何を得たのか、便利さと引き換えに失ったものを考えました。

森さんは日々の暮らしの中から生まれた「次の生き方 エコから始まる仕事と暮らし」(平凡社)を出版しました。それは、自然への畏敬の念を抱きながら生きる記録です。「菜園家族の学校」では、最後にこんな言葉を贈ってくれました。「金さえ出せば何でも買えるという欲望の奴隷から解放されましょう。身近な所にもっともっと豊かな生活がある。みんなが豊かな生活を始めたら水や空気はきれいになる。テロもなくなる」

【大津支局長・塩田 敏夫】
(2003年5月24日付毎日新聞)

☆“学校”のお知らせ☆

次回の“菜園家族の学校”のコメンテーターは、以下のように予定されています。

*7月17日(土):廣瀬 龍一さん(NPO西和賀文化遺産伝承協会 事務局長,岩手県和賀郡沢内村)

長年勤めた大手建設会社を52歳で退職し、東北は岩手の山村に移り住んで11年。地域の自然や人と人との助け合いの中で育まれた循環型の暮らしと文化を守り伝えてゆきたいと、試行錯誤の末、2000年に地元有志の皆さんとNPOを設立。それは、次の時代をになう子どもたちが、この地域で力強くのびのびと育ちゆくことを願い、みんなで取り組む未来志向の活動なのです。

編集後記

5月のコメンテーター森孝之さんが、西宮から嵯峨嵐山の地に移られたのは、「疎開」が契機だったと知り、戦中戦後の生死のはざまを生きぬいて、今をむかえられた多くの人たちに思いを馳せます。当時も、そして再び混迷期にある現在も、やはり大地が希望の光であることに、深い感慨を覚えます。(伊藤恵子)

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