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Nomad image『四季・遊牧』上映会&「菜園家族」構想の
  講演・学習会(2005年)

a 上映&トーク in 勢和村立図書館
    (三重県多気郡 5月21日)




図書館から望む勢和村の集落

〜勢和村は、人口5400人、高見山地の支脈の森林と2つの河川(櫛田川、宮川の支流の濁川)に抱かれた山村です。〜

 薫風と草木の緑もさわやかな2005年5月21日(土)、勢和村立図書館(三重県多気郡)において、『四季・遊牧』上映会&トークの集いが開催されました。これは、5月7日(土)・5月14日(土)の、第1部・第2部上映会に続き、いよいよ最終の第3部が上映されたものです。

 この図書館では、司書の林 千智さんを中心に、地域の皆さんのご熱意により、2月6日に『四季・遊牧』の初めての上映会が実現されました。それが、今回の5月のシリーズ企画へと発展していったのです。

 この日は、上映前、朝9時30分から、図書館前の広場で、ヤギの乳しぼり見学も行われました。

 

 ヤギは、村内で30年来、有機農業に取り組む「野呂ファミリー農場」で飼われています。そのうち、村の小学校で可愛がられているものもいます。

 子供たちは、母ヤギの乳を一生懸命吸い、広場を跳ねまわるかわいく元気な仔ヤギたちに触れ、大喜び。上映がはじまっても、なかなか離れられない様子でした。

 

 上映後には、「21世紀の地域未来・森と海を結ぶ菜園家族〜人間復活をめざして〜」と題して、小貫(撮影・監督)・伊藤(編集・語り)と語る会が開かれました。

 勢和村を挟むようにして流れる2つの素晴らしい河川、櫛田川は、高見山地・香肌峡に、また宮川は、「近畿最後の秘境」大台ヶ原に、それぞれ源を発し、伊勢湾に注いでいます。

 この日の集いには、この2つの「森と海を結ぶ流域地域圏」の、奥山のむら(飯高町・飯南町・宮川村など)からも、平野の都市(松阪市・伊勢市)からも、熱心なご参加が多数あり、会終了後も、心あたたまる土地の手づくり料理を囲みながら、話が弾みました。勢和村からは、図書館の林さん、「ファミリー農場」の野呂由彦さん・千佳子さんご夫妻、陶芸家の坂口久司さん・文香さんご夫妻、小学校の渋谷睦子先生、自然観察会の寺村善さん。飯高、宮川からは、それぞれ林業・農業にたずさわる若い森部さんご一家、古田さん。飯南からは、自然木シイタケ栽培に取り組む岩男安展さん・・・。皆さんの多彩なご活動に、大いに刺激を受けました。

 私たちのゼミを昨春卒業した富林万里子さんに、ここで再会できたのが嬉しい驚きでした。学生時代の取り組みを生かし、縁あって、勢和村の「奥伊勢資源化プラザ」で、リサイクル・ガラス工房の指導員として働いているのです。「プラザ」の高橋節子さんをはじめ、この地域の人たちのあたたかい輪の中で、ますます成長してゆくことだろうと思いました。

 勢和村は、この2つの「流域地域圏」のちょうど真ん中に位置しています。司書の方々を核に、多彩な活動を続ける村立図書館は、地域の今を考え、行動し、未来を拓こうとする「流域地域圏」の個々の人々を結びつけ、互いを励まし合う素晴らしい拠点の役割を果たしているように感じました。

 私たちの大君ヶ畑から鞍掛峠を越え、鈴鹿山脈の向こう側に広がるこの雄大な「流域地域圏」に、また訪れ、学んでみたいと思いました。(伊)

  ☆ところ:勢和村立図書館(三重県多気郡勢和村大字朝柄2889)
               TEL:0598-49-4500,FAX:0598-49-8018
           http://www.ma.mctv.ne.jp/~seiwa-lb/

b 近江草津論・公開講座 in 立命館大学びわこ草津キャンパス(7月13日)

  立命館大学では、経済学部の藤岡惇先生と理工学部の吉田真先生によって、毎年、「近江草津論」という講座が開かれています。今年度7月には、「自然の叡智を持続可能な地域づくりに」と題する公開講座シリーズがもたれました。

 私たち(小貫・伊藤)は、このシリーズの2つ目の講義として、7月13日(水)の15:50〜17:20にコラーニング109大教室で、「森と海を結ぶ菜園家族レボリューション」をテーマに、お話をさせていただきました。

 まず、ドキュメンタリー映像作品『四季・遊牧―ツェルゲルの人々―』からエンディングなど一部上映をし、世界の「辺境」からの視点をもって、現代の私たちの暮らしを今一度、見つめ直す必要性をお話しました。

 そして、新しい社会の枠組みとしての、「菜園家族」構想の考え方とその歴史的意義をお話ししました。社会のあり方に関心を持ち、その中で自分自身の未来をも模索しようとしている、学生さんたちの積極的で真剣な姿に触れ、たいへん励まされる思いでした。(伊)

☆立命館大学「近江草津論」
http://www.ritsumei.ac.jp/ec/%7Efujioka/2005/handout.html/

 

c 経済学会セミナー in 立命館大学びわこ草津キャンパス(7月13日)

 7月13日には、上記講義に引き続き17:40から、同大学内の研究会室で、「経済学会セミナー」が開かれました。私たち(小貫・伊藤)の方から、「“持続可能な共生社会”とは何か―週休5日制・3世代近居の“菜園家族レボリューション”の提案をめぐって―」をテーマに、報告させていただきました。(レジュメは、この項目の末尾に掲載)

 参加者は、司会の藤岡惇先生(立命館大学経済学部教授)、コメンテーターの田中宏先生(同学部教授)、田中雄三先生(龍谷大学名誉教授、社会主義経済)、佐々木健先生(大阪市立大学名誉教授、名城大学経済学部教授)をはじめ、14名。講義を聞いた学生・院生の皆さんの中から、関心を持った人たちがこの研究会にも残って、熱心に参加してくれたのが、印象的でした。

 コメンテーターからのご指摘によって、「菜園家族」構想のどのあたりが疑問点となってくるかを気づかされ、たいへん勉強になりました。こうしたセミナーをご準備下さった藤岡先生は、「経済学」を今一度、いのちの哲学の視点から照らし直そうと、「自然史の中の社会と経済」(『立命館経済学』52巻特別号3、 年)や、「ディープ・ピース―平和の担い手を育む社会経済システムの探求―」(池上惇・二宮厚美編『人間発達と公共性の経済学』の第7章、桜井書店、2005年)等々において、従来の「経済学」では捉えきれない、人間存在のトータルな把握に挑戦しておられます。

 今後も、分野や世代を超えて、こうした問題を語り合う場をつくってゆきたいと思いました。 (伊)

        (*後日、レジュメを加えて、編集しなおします。)

 

d 総合講座―グローバル化する世界と私たち in 清泉女学院大学(長野市 7月25日)
  附 “Editor's Museum−小宮山量平の編集室”訪問(上田市 7月26日)

<信州の旅へ>             

 折しも、ロンドンやエジプトで同時多発爆破事件がおこり、現代世界の行方を否応なく見せつけられた頃、信州へ2泊3日の旅に出かけました。

 長野市にある清泉女学院大学の人間学部で研究・教育活動に従事されている芝山豊先生に声をかけていただき、「グローバル化する世界と私たち」というシリーズ講義のうち、7月25日(月)分の回を担当することになったのです。

 また、千曲川のほとり・上田市の小宮山量平先生を訪ねるのも、今回の旅の目的でした。小宮山先生は、戦後、数々の児童文学の名著を世に送り出してきた出版社「理論社」の創業者で、作家。今年、月刊誌『自然と人間』の巻頭言で、私たちの『森と海を結ぶ菜園家族』や『四季・遊牧』について、3回にもわたって書いて下さいました。7月9日に、故郷上田に“Editor's Museum−小宮山量平の編集室”をオープン。長年の素晴らしいお仕事ぶりを市民に伝え、また未来を語り合おうとするこの場で、89歳の今も、新たな出会いを待っておられます。

<清泉女学院大学(長野市)にて>

 講義では、大教室で約80名の学生さんたちにむけて、「モンゴルから気づく私たちの暮らし―21世紀、いのち輝く明日へ―」をテーマにお話をしました。ドキュメンタリー映像作品『四季・遊牧』から、特に、学生たちとちょうど同年代の少女ハンド(1986年生まれ。撮影当時7歳)が、家族や地域の人々とともに力を合わせ、ヤギの仔をとりあげ、乳をしぼり、ヨーグルトを作り、大地に抱かれのびのびと生きている姿が登場する場面を鑑賞しました。





モンゴル、ゴビ・アルタイ山中の遊牧の村ツェルゲル。東西40キロ、南北20キロの広大な大地に、約60家族が暮らしています。ここに見えているのは、そのごく一部。










零下20度を下る厳しい冬は、半年にもおよびます。
待ちわびた春の陽ざしに誘われて、仔ヒツジと遊ぶ次女ハンド(1986年生まれ、撮影当時7歳)

 そして、競争の果てに、子供から大人まで「いのちを削る」ように生きている現代の私たちの暮らしを、今一度、根本から問い直し、「いのちを拓く」ような未来をめざしてゆこうと、「菜園家族」」構想の骨子をお話しました。

 読みたい人があればと用意していった「菜園家族」構想の本や、『わたしは生きていく』(滋賀県立大学小貫ゼミ2004年度卒業作品集)は、講義後、あっという間になくなり、さらに取りに来ている子が後ろに何人も続いていたのは、活字離れの現代にあって、たいへん驚きであったし、また、たいへん嬉しかったです。これは、先日の立命館大学の時も、同じでした。

 後日、芝山先生にお聞きすると、学生さんたちの感想の中には、「今までの価値観が変わってしまうようなお話でした。モンゴルのビデオの食事の時、あんな笑顔が見られるなんて驚いたし、自然の中で生活していく大切さが実感できました」とか、「人は大地に生まれ、大地に帰る、という言葉が印象に残った」といった感想が多くあったそうです。また、「わたしの家では、ネギを買ったことがない」、さらには、「最後に勝つのは農民だ」などという、さすが信州、とこちらの方がうならされるような言葉もあり、現代の女子学生といえども、すごい確信をもっている人もいるのだなあと、驚かされ、また励まされる思いがしました。

<“Editor's Museum−小宮山量平の編集室”(上田市)>

 さて、長野市で一泊し、翌26日(火)は、朝、早速、千曲川沿いに走る「しなの電鉄」に乗り、乗客の人たちの顔、話しぶり、車窓から見える山・田畑・家々などから土地を感じながら、上田市へむかいました。

 折からの台風の影響で雨降りでしたが、駅前の「若菜館」で、小宮山先生があたたかく迎えてくださいました。「若菜館」は、創業明治30年という老舗のうなぎ料理店で、小宮山先生の一番上のお姉様の嫁ぎ先なのです。幼くして上京した小宮山先生にとって、この「若菜館」は、ふるさと上田での唯一の拠り所になっていたそうです。

 この「若菜館」の2階に、この7月9日、長年にわたり編集者として生み出してきた素晴らしい作品の数々を、広く市民に公開し、これからの私たちのありようを見つめ、語り合う“場”として、“Editor's Museum−小宮山量平の編集室”をオープンされました。

 敗戦の焼け野原に立った小宮山先生が、これからいかに新しい日本を築き上げてゆくかという、壮大な理想を胸に世に送り出してきた、経済理論誌、児童文学、演劇シナリオ、映画、絵画、彫刻など、数々の作品が、所狭しと展示してあります。それは、文化・芸術・学問の幅広い分野への深い造詣に裏打ちされた、素晴らしいお仕事の結晶です。





小宮山先生は、スターリンの専制支配に抵抗したグルジアの画家ラド・グディアシビリとも、深い親交がありました。
「友情」をテーマにした作品の前で




小宮山先生、80歳の処女作、自伝的小説『千曲川』(4部作)。その第1部『青春誕生・そして明日の海へ』のジャケット装画になった、長新太さんの作品の前で

 大正・昭和の生き証人であり、まさしく「知の巨人」というべき小宮山先生ですが、しかし、“Museum”で私たちを迎えてくださったその柔和な笑顔は、会った人すべてを包み込むような、大きなやさしさに満ちたものでした。89歳というご高齢を感じさせない、生き生きとした語り口と、この“Museum”開設は、ゴールではなく、出発点だ、と夢を描く小宮山先生の思いに、だただ圧倒された3時間でした。

 




感激のあまり、小宮山先生と一緒にお写真をとることなど、すっかり忘れ、先生が退室された後、先生の映ったお写真と、記念撮影。




小宮山先生直筆のノヴァーリスの詩。
「同胞(とも)よ、地は貧しい  われらは  豊かな種子(たね)を  蒔かなければならない」

<帰路の列車の窓から>

 翌27日(水)は、台風一過のすがすがしい青空と風にもと、上田の街を少し歩きました。人口11万とは思えぬ、なかなかに立派な城下町で、ゆったりとした幅の道路に沿って軒を並べる様々な商店街に、市民ギャラリーなど文化・芸術の場が混在しているのが、印象的です。上田城跡公園には、大正期に「農民美術」を創始した洋画家・山本鼎の記念館もあります。この地方中心都市を支えてきた、周縁の農山村の力量にも思いをはせました。特に、明治以降は、養蚕では東洋一と謳われたそうで、それが新しい文化・芸術を生み出す気運をサポートする余力になったのではないかと、感じました。

 上田から、一旦、千曲川に沿って「しなの電鉄」で篠ノ井まで北上し、中央本線に乗り換え、南へと帰路につきました。車窓から、雄大な山と川の織りなす景観を眺めながら、今度来る時は、線路に沿ってではなく、それと垂直方向に、つまり、千曲川に注ぎ込む支流をさかのぼって、奥山の集落をめざして入り込んでみたいなあと思いました。「菜園家族」構想における「森と海を結ぶ流域地域圏」は、長野の場合、湖の近江と違って、海へ注ぐ大河・母なる川としての千曲川や天竜川と、それに注ぐ数多くの支流という、2段階に考え、その支流をめぐる「森と盆地の流域地域圏」を想定しなければ捉えられないのではないか・・・、そのことによって、数多くの山の村々についても、そして長野市、上田市、松本市、飯田市等々の地方中心都市についても、その存在と意義を浮き彫りにでき、長野の自然と人々の暮らし全体を統一的・有機的・構造的に捉えられるのでははないか・・・、などと、とりとめもなく考えながら帰りました。

 長野では今、新しい知事のもとで、様々な試みがなされているのを、報道を通して日々、見聞きしているところですが、こうした動きと、私たちの「森と海を結ぶ流域地域圏」構想が、どのような接点を持ちうるのか、興味は尽きません。再度、ゆっくり訪れ、ここの自然と人に学んでみたいものです。

 あたたかな出会いに恵まれ、いろいろな発想が生まれたよい旅でした。恐るべし、長野。愛すべき山国。(伊) 

☆“Editor's Museum−小宮山量平の編集室”
     〒386-0025 長野県上田市天神1-6-1 若菜ビル3階
     TEL&FAX:0268−25−0826
     http://www.editorsmuseum.com/

e 農の行方を探る会 in 大戸洞舎
   (滋賀県東浅井郡湖北町 7月31日)

 大君ヶ畑の山を降り、彦根から北へ車で1時間余のところに、東浅井郡湖北町があります。その上山田という集落は、周囲の9割を山々に囲まれた中山間地域です。この集落で、松本茂夫さん・富子さんのご家族を中心に、農事組合法人「大戸洞舎(おどふらしゃ)」が営まれています。水稲14ヘクタールを中心に、麦・大豆・レンゲ・花卉・そば等、計18.5ヘクタールを手がけています。

 東京出身だという若い佐藤好伸さんは、ここの専従として農業に取り組んでいます。今回は、佐藤さんが事務局長をつとめている「農の行方を探る会」という勉強会に呼んでいただき、7月31日(日)の14時過ぎから、「森と湖を結ぶ菜園家族−21世紀、持続可能な共生社会をもとめて」をテーマにお話をさせていただきました。

 









大戸洞舎ゲストハウス









佐藤好伸さん(右)と、長浜市から自転車で駆けつけた大学院生さん

 会場は、松本さんがご自身で建てられたという、風土にマッチした木造りのすてきな「ゲストハウス」。板の間いっぱいに、25名の参加者が座しました。
 驚いたのは、20代から30代の若い方がほとんどだったこと。地元で専業農家としてがんばっている人、都会から新規就農した人、大学を卒業しお勤めをしながらも、「農」に関わりを持ちたいと考えている人、地域の伝統的食文化について研究している大学院生などなど、若い世代にも、自然との関わりの中で生きていこうとしている人たちが、こんなにも多いのは、現代の工業化社会がもたらしている矛盾や閉塞感と無関係ではないと、あらためて実感させられました。










勉強会の一場面。若者が多い

 質疑応答の司会をしたのも、そんな若い農業者の一人。湖北町の隣りの虎姫町で専業農家を継ぎ、農や地域づくりに関する様々な勉強会・講演会などにも積極的に参加しながらがんばっている、37歳の方です。
 ご自身の意見として、以下のようにお話しされました。
 「都会の若い人たちにとって、ともすれば農業や田舎暮らしは、あこがれの対象になっている面もあるようだ。この「菜園家族」構想も、自分のように農家に生まれ、農業をしている者たちからすれば、また昔のような苦しい時代に戻るのか、と捉えるかもしれない。しかし、今回、「構想」の全体像を詳しくお聞きしていると、単に過去に戻れというのとは違う、全く新しい提案であることも、感じられた。週休5日制といえば、自分の家族も、親父が農業5日のかたわら、大工を2日というような割合でやっていた頃が、一番安定していたように思う。」
 彼は、三世代で暮らすことの大切さについても、関心を寄せています。従来型の価値観の中での同居の難しさも十分ふまえて上で、しかし、三世代が失われれば、食をはじめとする大切な農村文化が、確実に消滅してしまうことになるだろうと、危惧しているのです。それらは、親から子へ、子から孫へと、日々の暮らしの中でこそ、伝えられていくものだからです。










勉強会の一場面。みなさん、真剣なまなざし

 さて、同じ青年でも、大阪の都会からの新規就農組もいます。大学では商学部だったというこの青年は、日本各地での農業ボランティア、草津の農業生産法人での従業を経て、独立、縁あって福井県の丸岡町に就農したた32歳です。現在のところ、米作の専業ですが、4歳を筆頭に3人の子供さんを含め、家族で十分にやってゆけると、自信をもって語ってくださいました。
 彼と、先述の虎姫の青年との二人が、冗談めかして、「これから自己紹介をするときは、“青年実業家”って言うことにしよう!」と笑っていました。これは、まんざら冗談でもなくて、どこかに雇われる働き方ではなく、れっきとした独立自営の家族経営を担っていることの、やりがいと喜びと自負の表れではないでしょうか。

 夕方の懇親会で、ダチョウ(!)の肉のお刺身をふるまってくれた青年は、自称「獣害対策研究家」。ダチョウについても、その一つの実験として、田んぼの隅にちょっとした柵をこしらえ、飼っているんだそうです(現在、5羽)。また、ケナフを田畑の周囲にぐるりと植えるのも、一案だそうです。ケナフはトゲがあるので、サルがそれをかき分けて中に入れなくなるということです。頭脳作戦としては、作物の植え付け時期(=実りの時期)をずらす方法。獣が来襲しても、いっぺんに全滅ということがなくなるからです。そして、何よりたのしいのは、と本人が本当にうれしそうな顔で教えてくれた方法は、「その都度、自分の手でしとめること!」なんだそうです。そういえば、この夜の焼きそばにも、イノシシの肉が・・・。











夕方の懇親会

 こんなたのしい若い仲間を結びつけている一人に、前田壮一郎君がいます。前田君は、滋賀県立大学環境科学部の第1期生。彦根市の農業生産法人フクハラファームでの従業を経て、この春から滋賀県北部の余呉町に就農しています。約2ヘクタールの米作をしているそうです。前田君も元々は名古屋の都会出身ですが、着々と農業の経験を積み、音楽活動などを通じて地域のお年寄りにもとけ込みながら、がんばっています。今回の「農の行方を探る会」も、元はといえば、前田君や先述の大阪出身の青年ら3人が、下宿で飲みながら、いろいろと夢を語り合っていたのがスタートだったといいます。











夕方の懇親会

 現在、国レベルでは、徹底した競争至上主義のもと、工業部門の効率主義を農業にまで持ち込み、株式会社化、農地法の改変など、迷走に迷走を続けています。このままでは、農や地域社会のあり方が根底からきり崩され、取り返しのつかないことになってしまうおそれがあります。
 せっかく若い人たちが、農を基盤に生き生きとした地域社会をつくってゆこうと模索しはじめた今、これまでのように、上からの場当たり的な農政に振り回されるのではなく、こうした大切な芽が育ち、花開くような構想が、それぞれの地域の中から練り上げられてゆく必要があります。逆に言えば、本来、農政とは、こうした貴重な試みを生かすようなものでなければならないはずです。










小貫先生と語り合う余呉町の大工さん

 さて、こうした若い人たちにとって、力強い味方は、技術においても、知識においても、また、人生においても、豊富な経験のある、年上の世代の方たちです。
 今回も、余呉町から、そんな方が参加され、熱心にご意見を述べられていました。この方は、会社勤めをやめ、3年間の世界放浪を経て、今、余呉町で大工をされています。「大戸洞舎」代表の松本茂夫さんの紹介で、近々、この集落に大工の作業場を移し、拠点を定める予定だそうです。
 この大工さんは、「菜園家族」構想へのご意見として、「山間地の三角地の小さな畑など、大規模専業農家が使えない土地を、「菜園家族」たちが生かせばよいのではないか。そして、農を基盤にしながらも、大工、木工職人等々、様々な手仕事の技術を持つ人々が、同じ地域に暮らし、ゆるやかなネットワークを結びながら、互いに支え合い生きてゆければ・・・」と述べられていました。










大戸洞舎の代表 松本茂夫さん(左)

 「大戸洞舎」の松本茂夫さんのご指摘の通り、大量生産・大量消費・大量廃棄という大きなシステムの中で、それにどっぷりと浸っている個人のレベルでも、ますます欲望が拡大してゆく現代にあって、この「菜園家族」構想の実現は、そうたやすいことではないのも事実です。しかし、だからこそ、巨大化の傾向に対置して、やはり身近な地域から、その土地の自然を生かす、独自の中間技術を確立し、持続可能な生産と暮らしのネットワークを形づくってゆかなければなりません。
 この「大戸洞舎」が、そんな思いを持つ人々が集う場の一つとして、これから、ますます重要になってゆくのだろうと考えつつ、夜道を帰途につきました。(伊)

  

☆農事組合法人「大戸洞舎(おどふらしゃ)」
         代表 松本茂夫
     〒529-0301 滋賀県東浅井郡湖北町上山田881
     TEL&FAX:0749−78−2164
    http://www.eonet.ne.jp/~odofurasha/                      

g 上映&トーク in ギャラリー白川
   (京都市東山区 11月3日)

準備中

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