今年は秋の訪れが早く、琵琶湖の東側に連なるここ鈴鹿山脈の奥山では、日が暮れる頃にはスッと冷え込んできます。
それでもこの週末は、青空の美しいさわやかな秋日和に恵まれ、日曜日10月9日の大君ヶ畑集落(滋賀県犬上郡多賀町)の区民運動会には、まさにぴったりのよいお天気でした。
大君ヶ畑の区民運動会(滋賀県多賀町)
想定外の子供たちの参加に喜び、急遽、子供たちの かけっこ種目を加える。見物のお年寄り・大人たちも大はしゃぎ。 (大君ヶ畑の宮河秀樹さん撮影)
3連休とあってか、いつもは見られない若者たちや、若いママさんとなって小さな子供を連れた娘さんたちも、久しぶりの里帰り。過疎・高齢化が進み、15年前に廃校となった小学校分校跡地のいつもはひっそりとした体育館は、いつになくにぎやか。息子、娘、孫たちが揃い、お父さん、お母さんたちもうれしそうでした。
集落のおじいさん、おばあさんたちも、ひ孫世代にあたる小さな子供たちがかけっこなどに奮闘する姿を、「やっぱり小さい子はかわいいねえ」と、目を細め、歓声をあげて見ておられました。
お昼は戸外にテーブルを並べ、山の緑に囲まれた運動場で、うどんや焼き鳥、そして若い人たちが前日から準備してくれたというカレーを、子供からお年寄りまでみんなでいただきました。毎年、この時に掲げられるテーマ「世代を超えてひとつになろう!」の言葉通り、楽しい和やかな運動会になりました。
お昼休み 体育館の外、鈴鹿の森に囲まれた犬上川の渓流のほとりで、 若者たちが作ったカレーや婦人部によるうどんなどで楽しむひと時。 (宮河さん撮影)
それにしても、若者たちのお母さんでもある婦人部のみなさんは、春の「ステーション(道の駅)祭り」、夏の草刈り清掃をはじめ、集落の行事の時は、いつも大奮闘です。子育て以来の長いお付き合いの中で積み重ねられてきた見事なチームワークで、笑顔のうちに何でもやり遂げてしまわれるのです。
こうした行事の時も、また、日頃の暮らしでも、お母さんたちは、家事に加え、それぞれが山道を下ってお勤めにも通う忙しさの中にも、隣近所のお年寄りの健康を気遣い、息子・娘世代と孫たちのこれからの幸せを願いながら、まさに世代を結ぶかなめとなって、自らの家族と、過疎・高齢化に揺れる「限界集落」を支えている大きな存在なのです。
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さて、運動会の楽しさがまだ消えぬ翌日の10月10日の早朝、里山研究庵に思いがけない電話が入りました。ここ奥山の大君ヶ畑から犬上川に沿って一つ下の集落(佐目地区)に事務所を置く、株式会社マルトの取締役会長・澤田藤司一(としかず)さん(75歳)からです。マルトは、製材業から出発し、環境共生をめざして近江の森と樹を活かす家づくりに取り組み、木工製品や竹炭、チップなどの製造販売も手がける、地域にに根ざした家族メンバー主体の会社です。
また、澤田さんは、多賀町の商工会の会長でもあり、日頃からまちづくりに熱心に取り組んでおられる方で、一昨年大君ヶ畑で開催された「限界集落サミット」にも、娘の順子さんともども駆けつけて、盛り上げて下さいました。
澤田藤司一さんご夫妻 (鈴鹿山中・多賀町佐目のマルト事務所にて)
普段は控えめでシャイなその藤司一さんが電話でおっしゃるには、何とこの「山中人語」でも4月以来、何度かお伝えしてきた宮城県南三陸町の創業90年の海苔加工・販売「千葉のり店」のことを、たまたま中日新聞の記事(2011年8月24日付「中日春秋」)で読み、居ても立ってもいられず、9月19日に現地まで訪ねて行ったというのです。
このたびの東日本大震災による大津波で壊滅的な被害を被ったこの町で、代々この「千葉のり店」を営んできた千葉ひろ子さん(61歳)・公子さん(58歳)姉妹が、ほとんどの家屋が押し流され、焼け野原のようになってしまったかつての中心街で、それでも立ち上がって、もともと自宅とお店があった敷地内にプレハブ小屋をぽつんと一軒建て、8月上旬に営業を再開したというこの記事にいたく感動して、駆けつけたとのこと。
決してお若いとは言えないお年でありながら、青年のような一途な思いに駆られ、怯まず前へと足を踏み出す藤司一さんの情熱とその姿勢に、ただただ心打たれ、励まされるばかりです。
骨組みだけが残る宮城県南三陸町の防災対策庁舎 (2011年9月、澤田藤司一さん撮影。以下の写真も同じ。)
※ 防災放送の担当職員だった遠藤美希さん(24歳)は、この建物の2階でマイクを握りしめ、高台への避難を最後まで呼びかけ続け、ついに津波に呑み込まれていった。後に触れる千葉裕樹君と同じ中学校の2学年下の後輩にあたるという。
旧防災対策庁舎の近くで再開した「千葉のり店」 もともと自宅兼店舗があった敷地にプレハブを建てた
「千葉のり店」3代目の 千葉ひろ子さん(右)、公子さん姉妹
その後、藤司一さんの娘の順子さんがインターネットで調べていたら、私たち里山研究庵も、この「千葉のり店」の店主姉妹の甥っ子で、今は大阪で働いている千葉裕樹君(25歳)と、数年前から「菜園家族」構想を通じて交流があることが分かり、被災地から遠く離れたこんな山奥でのあまりにも偶然の重なりに驚いて、お電話して下さったのでした。
何とも不思議な奇遇としか言いようのないご縁に、本当にびっくりです。
(※「千葉のり店」、千葉裕樹君についての詳しくは、「山中人語」2011年4月2日付と6月3日付へ)
電話を受けた小貫先生が、早速、佐目集落のマルト事務所を訪ねると、現地で撮影したお写真や、千葉さん姉妹から届いたお手紙などを見せて下さりながら、いろいろとお話を聞かせて下さったそうです。
藤司一さんは、被災地に灯ったこの希望の小さな光を絶やすことのないよう何とか手助けできればと、再開した「千葉のり店」の海苔をまとめて仕入れ、多賀町の地元の方々に買っていただくことを通じて、少しでも応援したいと考えたそうです。
まずは、この日曜日10月16日(10:00〜15:00)に多賀大社前の門前町絵馬通りで開催される「多賀ふるさと楽市」の中で、東北支援物産販売コーナを設置し、多賀町商工会の婦人部のみなさんが中心となって、「千葉のり」をはじめ、石巻の缶詰や大船渡の新鮮なサンマを販売するとのこと。
(※「多賀ふるさと楽市」についての詳しくは、こちらへ
その「東北支援」コーナーについては、こちらへ)
そして、これを1回限りで終わらせるのではなく、恒常的な交流活動につなげていきたいと、藤司一さんは、いろいろとアイデアを練っておられるようです。
多賀町の鈴鹿山麓に、南三陸町の漁港で水揚げされた新鮮な魚介類を取り寄せ、豊かな海の幸を活かした料理を囲んで、多賀の地酒でも酌み交わしながら、さまざまな人たちが集い、今の暮らしのこと、未来への夢など自由に語り合える場を作ってはどうか ・ ・ ・。
小貫先生がその場を居酒屋「南三陸屋」と名付けてはどうですかと言うと、「それはいい」と、話はますます弾んだそうです。
多賀の山の幸・野の幸の郷土料理も加えれば、農や地域づくりに取り組む地元の人たちにも、活気が出てくるのではないか ・ ・ ・。などなど、藤司一さんの夢は広がります。
それは、ただこちらから被災地を「支援」するばかりではなく、むしろ、あの極限の苦しみの中から、それでも再起をはかろうと力を振り絞っておられる被災地の方々の力強い意志と勇気を、ますます進行する過疎・高齢化の中で、ややもするとしぼんでしまう山の町・多賀の人たちの心にも伝え、遠く離れてはいてもお互いに励まし合いながら、それぞれのふるさとの暮らしを再生していきたい ・ ・ ・、という藤司一さんの深い思いから生まれる夢なのです。
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この様子を「千葉のり店」の甥っ子の裕樹君にも、早速電話で伝えたところ、とても喜んでいました。裕樹君も、大震災から間もなくして、南三陸町の小学校以来の同級生たちに呼びかけ、「南三陸の懐かしい未来を実現する会」を発足させ、若い世代としてふるさと再生に奮闘しています。
同級生たちは、地元で漁師や大工や魚屋になったり、遠く都会に出て調理師や看護師や保育士などになったりして、散り散りになっていたところ、この大震災に直面し、大津波ですべてを流され、無惨な姿になったふるさとを何とかしたいと、この会に集ったのです。
(※「南三陸の懐かしい未来を実現する会」の5月3日のキックオフ会議の様子、メンバーの自己紹介などは、こちらのPDFファイルへ)
この会のメンバーは、8月13日の夜に南三陸町で行われた「こども夢花火〜10年先の花を咲かそう〜」に準備の段階から力を出し、また、同じ日のお昼には、志津川高校を会場に、「なつ地図祭り〜南三陸の懐かしい思い出の地図を描こうプロジェクト〜」を開催。
これは、記憶の中に残る南三陸町を10メートル四方の白地図に、「○○商店街のこの魚屋、よく行ったなあ」とか、「海のよく見える△△崎の高台が好きだったわ」とか「こんな人が住んでいたなあ」などとみんなで話しながら描き込んでみよう、というもの。そうすることで、人と人のつながりを再確認しつつ、復興への青写真を形づくっていきたいという思いから、企画されたものです。
(※「なつ地図祭り」のチラシは、こちらのPDFファイルへ)
南三陸町出身といえども、普段は町内外や全国の各地に離ればなれに暮らす「南三陸の懐かしい未来を実現する会」の若者たち。日々の仕事で忙しい中にも、何とか工夫して話し合えるようにと、週末の夜、インターネットを利用して何度も会議を重ね、長い間時間をかけて企画・準備しました。
この集いの様子は、「南三陸の懐かしい未来を実現する会」の情報発信班の勝倉慎介君や板倉広和君たちが作っている同会のホームページに、報告が掲載されることになっています。
(※「南三陸の懐かしい未来を実現する会」のホームページは、こちらへ)
こうした東北被災地の若者たちの動き、そして「千葉のり店」をはじめ、ふるさとの自然と人のつながりに深く根を張ってなりわいと暮らしを営んできた人たちの動き、さらには、滋賀県の多賀町商工会の澤田藤司一さんたちのように、被災地から遠く離れた地でも、ふるさと再生への思いを同じくする人たちの動き。
これまでの「上からのまちづくり」とはひと味もふた味も違った、新しい地域再生への動きがはじまり、広がることによって、今、強行されようとしている「上からの復興」に対抗する、「草の根の復興」の確かな力になっていくようにと、願わずにはいられません。
鈴鹿山中の奥山にあって、運動会に集った大君ヶ畑の若者からお年寄りみなさんの思いも、かけがえのないふるさとを何とか守っていきたい、という深いところで、被災地のみなさんの思いときっとつながっているのではないかと思うのです。(伊)
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