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・「農の行方を探る会II」に参加して(その1) 2007.3.13(火) |
・「農の行方を探る会II」に参加して(その2) 2007.4.7(土) |
・「秘境」という「先進地域」に学ぶ 〜山ぐにの本場・信州の旅〜 2007.8.10(金) |
・「世代を超えてひとつになろう」 〜大きな森の小さな運動会 2007.10.17(水) ![]() |
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2007年8月10日(金)晴れ 「“秘境”という“先進地域”に学ぶ 〜山ぐにの本場・信州の旅〜 」 |
天候不順の夏です。
7月下旬、梅雨がいまだ明け切らぬ曇天の中、2つの目的で信州の旅へ出かけました。 ![]() 千曲川沿いの雄大な流域平野。長野市まであと少し。
目的の1つは、長野市にある清泉女学院大学人間学部の芝山豊先生が開講されているリレー形式の講座で、「21世紀の地域未来〜森と海を結ぶ菜園家族」をテーマに、講義をおこなうためです。 そして、2つ目の目的は、同じ長野県でもそこからずっと南下して、南アルプス山中、下伊那郡大鹿村で、小さな牧場とチーズ工房「アルプ・カーゼ(山のチーズ)」を営む、小林俊夫さん・静子さんご一家を訪ねるためです。 俊夫さんは、2003年、私たちが、彦根の滋賀県立大学のキャンパスで、毎月第3土曜日に「菜園家族の学校」を開いていた時、その年の締めくくりの12月の回に、折からの吹雪をおして、はるばる湖国まで、お話に来て下さいました。
![]() 長野市から、高速バスで南下。
今回、長野市から高速バスという手段があることを知り、その時以来の念願が、ようやく叶い、訪問が実現しました。
松川ICで路線バスに乗り換えて、大鹿村へ。
![]() 松川ICで高速バスから路線バスに乗り換え、
南アルプス山中の下伊那郡大鹿村をめざす。 ![]() 険しい峡谷を流れ下る小渋川。
これは、途中につくられたダム湖。 「こんな山中に村があるのだろうか・・・」と不安になった頃、パッと視界が開け、田園と集落があらわれました。 ![]() 大鹿村の下の集落
村内の大河原でバスを降りると、間もなく第二子の出産を控える長女・野花(やおい)さんが、車で迎えに来て下さっていました。
![]() 1945年生まれの俊夫さんは、中学卒業と同時に村を出て、会社勤めをしたものの、20代の半ばでふるさとに戻りました。一町歩の山林を譲り受け、高度経済成長とそれにつづく「日本列島改造論」のまっただ中、奥さんの静子さんとともに、それに抗するかのように、標高1,000メートルの高原に、小さな牧場を切り拓きました。 ![]() 「アルプ・カーゼ」で、小林俊夫さん・静子さんと。
乳牛とヤギを数頭ずつと、ニワトリ10数羽。必要最小限の頭数のこれら家畜と、山あいの田畑を組み合わせての家族小経営です。 2人の小さな娘さんたちも、父母と一緒になって、家畜の世話や畜舎の掃除、家族のための食事づくりなどをし、手伝いました。 ![]() 小林さんの畑。
多品目少量の有機栽培。 ![]() 「アルプ・カーゼ」の裏山で放し飼いのニワトリ。
初めは乳を出荷していましたが、酪農状勢の変化に伴って、それのみに頼らず、草主体のわが家の乳を生かすにはと、チーズづくりに挑戦することになったのです。
![]() 「アルプ・カーゼ」で働く小林俊夫さんと静子さん。
1階は牛小屋、2階は住居とチーズ販売所、 地下にチーズの工房と貯蔵室がある。 その後、日本は空前のバブル景気に酔い、飽食の時代を迎えました。「グルメ・ブーム」という言葉も生まれました。しかし、その時にも、小林さん一家は、かたくなに小規模の家族経営の形態を守りました。 娘さんたちは、中学卒業後、山中の家から遠く離れた高校には進学しませんでした。長女の野花さんは、「家にいて、お父さんやお母さんから、もっと学ばせてほしい」、と自宅で働きながら勉強し、大学に行くかわりに、スイスの農村におもむき、グリーンツーリズムの農家民泊の修行をしました。
子供にとって、人間にとって、まさに、自然と、家族の中での労働が、「先生」なのですね。 ![]() 長女・小林野花(やおい)さん
今、母となった野花さんは、私たちも今回、お世話になった宿泊施設「延齢草」をまかされています。 年月を経た落ち着いた木材に、窓辺のゼラニウムの赤い花が美しく映えるこの木造の建物は、実は、大鹿村の中学校校舎だったものです。
![]() 旧中学校校舎を仲間の力で移築・再生した
体験型の宿泊施設「延齢草」 ![]() 泊めていただいた2階のお部屋。
窓辺の赤いゼラニュウムが印象的。文机が懐かしい。 この日も、神奈川の方から保育園の男の子が、両親と山好きのおばあさんに連れられて、泊まりがけで来ていました。 山や集落を散策し、山と空を間近にのぞむハーブ湯で疲れを癒します。もぎたての新鮮な野菜や、搾りたての乳、自家製チーズ、地卵、池に放してある鱒、山菜や鹿肉、梅や桃など、この山の幸をふんだんに生かした、野花さんの手作り料理に、話は弾むのです。 ![]() 「子供って、自分より小さい生き物に出会うと、
エサをあげようとするんだよね」と俊夫さん。 夕食後、俊夫さんの案内で、澄んだ夜空に冴える月の光のもと、田畑の脇の池まで歩き、そのほとりに舞うホタルに、都会っ子は目を見張ります。小学1年生の孫娘さんは、軽やかに動き、ホタルを手のひらに包みます。 この孫娘さんは、のびのびと駆けめぐり遊びながらも、そのことによって、都会からきた同年代の子供たちを、自然とのふれあいに誘う役割を見事に果たしているようです。 ![]() 今日から夏休みの孫娘みずきちゃん(右)と
神奈川から泊まりに来ていた男の子。 朝顔を摘んできて、色水のお絵描きに夢中。 本来、人間は、その一身に、「第一次産業」から「第三次産業」、さらには、文化・芸術に至るまで、さまざまな能力の萌芽を持ち合わせているものです。そのそれぞれを相互に連関させながら、遺憾なく伸ばしてこそ、人間は、心身ともに伸びやかに生きることができるのだということを、三世代の小林さんご一家の姿は、身を以て示しているようです。 ![]() さて、俊夫さんと静子さんに、この春、京都でサティシュ・クマールさんの会に参加したことをお話しすると、何と、20年ほど前、この「アルプ・カーゼ」に、サティシュさんが訪ねて来られ、そして、その縁で、15年ほど前には、スモール・スクールの子供たち30数名が、大鹿村で夏の19日間を過ごしたとのこと。
大鹿村のおばあさんたちも、自分の畑に、その子供たちのために、数本余分に苗を植え、心を込めて育て、採れた野菜を持ち寄って歓迎したのだそうです。 日本の「秘境」、大鹿村でサティシュさんのお話を聞くとは、そのめぐりあいの偶然に驚くとともに、サティシュさんが京都での歓送会で、伝統的な農山村の暮らしを再興することの大切さをなぜ強調しておられたのか、分かった気がしました。 ![]() キュウリの花
今回、俊夫さんも、そのことを噛みしめるように言っておられました。 「大鹿村も、他の山村の例にもれず、ダムやトンネルの建設、道路改修工事、 ![]() 天竜川
大鹿村から流れる小渋川も、 この大河「あばれ天竜」に注ぎ、 やがて海に至る。 俊夫さんのこの言葉は、「菜園家族」による、森と海(湖)を結ぶ流域循環型の地域圏の再生を構想してきた私たちにとって、インスピレーションとともに、希望を与えて下さるものでした。 全国に先駆けて「脱ダム」を掲げ、新しい地域づくりに挑戦した長野。その中でも、ユニークな試みを重ねてきた大鹿村は、都市部からぐっと奥まった「日本の秘境」であり、だからこそ、きっと、自然との共生がもとめられる21世紀の未来において、「先進地域」となってゆくはずです。
※小林さんご一家についての詳しくは、『菜園家族だより』No.8をご覧ください。 ※サティシュ・クマールさんの会in京都については、こちらをご覧ください。 |
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2007年4月7日(土)曇り・雨 「“農の行方を探る会 II”に参加して」(その2) |
![]() ミヤマキケマン
☆2月25日(日)、農事組合法人「大戸洞舎(おどふらしゃ)」(滋賀県東浅井郡湖北町)で開かれた、「農の行方を探る会 II」という集まりに出かけました。この学習会では、前田壮一郎さん(滋賀県伊香郡余呉町で就農)より話題提供があり、「有機農業運動と環境問題の歴史」をテーマに、様々な角度から話し合いました。 * * * * * * * * * * * (前回からのつづき)こうした貿易自由化要求に加え、農家の経営安定対策も、今年からは、この「山中人語」でも、以前(2005年11月5日と13日)、取り上げたように、米、麦、大豆、テンサイ、原料用バレイショを対象に、これまでの品目ごとの価格政策を廃し、経営規模が4ヘクタール(北海道は10ヘクタール)以上の農業経営者と、一定の要件を満たした集落営農組織だけしか助成対象にしないというものに変わります。
ここ大君ヶ畑の「兄弟邨」、犬上川を下った農村部の甲良町北落の野瀬修さんからいただいたお年賀状にも、「地域が“こわれて行く”」との切実な言葉が記されていました。そして、「この有様に、何とか再生の取り組みが必要でしょう」、と続けられていました。 ![]() 早春の大君ヶ畑(犬上川上流、鈴鹿山中の過疎集落)
“国際競争力”をつけなければ、「生き残れない」・・・。この発想は、農業だけでなく、今、あらゆる産業、そして医療・教育・研究などの分野にまでも、押しつけられてきています。そして、この呪文のようなフレーズは、本来、それに疑問もってしかるべきはずの、それぞれの分野で働く当事者の側でさえ、まるで強迫観念のように、その心の奥に深く巣くってしまっています。これから社会に出て、過酷な労働現場に入ってゆこうとしている学生たちでさえ、その多くが、この呪文を、当然のこととして、疑わないようです。 ![]() お隣の杉山のおじいさんの小さな畑。
また春の種まきができるのを楽しみに、少しずつご準備。
「それは、仕方がないことだ」という時、人は、無意識に、自分は「生き残れる」という前提に立っているのではないでしょうか。しかし、自分が「生き残れる」保障は何もないし、「生き残った」としても、この無慈悲な「競争」は、地球の果てのより安い労働力を対戦相手に、エンドレスに続くのです。
21世紀は、「競争」の呪縛から解き放たれて、自然と人間、そして人間と人間、「地域」と「地域」の「共生」の実現をめざす時代。
![]() 木々の芽吹きも間近。
「有機農業運動と環境問題の歴史」をテーマに、いろいろな角度から語り合った今回の「農の行方を探る会II」。
その確固とした実践から、堀さんは、「農産物をつくること、それを市場に出すこと、そして“消費者”を教育すること、ここまで全体が、現代の百姓の仕事であると思うのです。人々の意識は、変わります。そして時代は変わります」と、述べられていました。この力強い言葉に、出席者一同、勇気をいただき、無言のうちに、未来への希望を胸に刻みました。(伊) ![]() ワサビ
※「大戸洞舎通信」は、こちらをご覧ください。 ※間もなく、2007年4月23〜24日、日本とオーストラリアとのEPA交渉がはじまろうとしています。「農」や「「食」は、私たち一人一人にかけがえのないものであるはず。みなさんも、身近な地域の実情から考えてみませんか。 |
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2007年3月13日(火)くもり 「“農の行方を探る会 II”に参加して」(その1) |
昨年夏以来、しばらく「山中人語」をお休みしておりました。
そして迎えた冬。心配をよそに、昨年とはうって変わっての暖冬で、ここ鈴鹿山中・大君ヶ畑でも雪が少なくてすみました。旧正月(2月18日)頃には、例年より1ヵ月も早く、陽光に輝くような黄金色の福寿草の咲く早春が訪れ、また、ほっと一息。
![]() 福寿草(大君ヶ畑にて)
私たちも、長かった「冬ごもり」生活を抜け出し、2月25日(日)、久しぶりに、学習会に出かけてきました。農事組合法人「大戸洞舎(おどふらしゃ)」(滋賀県東浅井郡湖北町)で開かれた、「農の行方を探る会 II」という集まりです。 はじめに、滋賀県立大学の環境科学部を卒業し、彦根市内の農業生産法人フクハラファームでの従業を経た後、独立、滋賀県北部の余呉町で農業を営む前田壮一郎さん※より、「環境学」の視点からの話題提供がありました。 まず、「環境」、「自然」、「ecology」、「economy」という言葉は、そもそも何を意味しているか、からお話がはじまりました。 ![]() 「農の行方を探る会II」で報告する前田壮一郎さん(右端)
次に、19世紀産業革命による環境破壊の進行の中で生まれた自然保護思想を発端とする、「思想としての環境学の流れ」のお話へと展開してゆきました。19世紀に、(1)「動物愛護運動」、(2)「森林管理」、(3)「ロマン主義」、(4)「エコロジー」として出現した環境思想の源流は、その後、冷戦下、科学万能主義による自然破壊が極度に達し、人間中心から環境主義へと目覚めた1960〜70年代、さらに、原発・南北問題を背景に、フェミニズム・先住民などの視点を取り込んだ1980年代と、歴史の展開の中で、相互に影響し合い、また論争・対決を経ながら、それぞれに発展を遂げ、多様化し、現代に至っているそうです。 つまり;(1)「動物愛護運動」という源流は、「動物の解放」を経て、「動物の権利」へ。(2)「森林管理」という源流は、「全体論的環境倫理学」へ。(3)エマソンや『ウォールデン―森の生活』(1854年)のソローらの「ロマン主義」という源流は、仏教思想に影響を受け、自然と人間の一体感・人間の原点回帰をめざす「ディープ・エコロジー」(芸術家が多い)へ。(4)理系的な「環境」の視点に、安全な食べ物など女性ならではの「暮らし」の視点を加えた「エコロジー」という源流は、『沈黙の春』(1962年)のレイチェル・カーソンを経て、ヴァンダナ・シヴァらの「エコ・フェミニズム」へ。 ・ ・ ・それぞれ発展を遂げたのです。1960〜70年代には、これら4つの流れとは別に、「宇宙船地球号」から「世代間倫理」へと発展する新しい流れも生まれました。 ![]() 鈴鹿山中にて(芹川上流)
日本の有機農業運動は、これら世界各地の思想と実践に影響されながらも、1970年代、機械化、化学肥料・農薬の使用による土・水など環境の汚染、消費者ならびに農業者自身の健康破壊、農家経営の圧迫など、戦後農政が推進してきた「農業近代化」の矛盾が誰の目にも明らかになる中で、日本農業自身が直面したこの深刻な現実を克服するためにおこり、展開していったものだそうです。
「しかし、これはまだまだ出発点に過ぎません。」と大戸洞舎代表の松本茂夫さん。「これから環境保全型農業への施策もいろいろと増えて行くことでしょうが、決して“問題”が解決したわけではありません。根っこには、人間にとっての“近代”という深い問題がある。それは、たかが法律の変更などで解決するようなものでもないし、“近代”の問題がどこにあるのかを見極めること自体、難しく複雑だ。世情の流れに飲み込まれないように、問題の構造を明らかにしてゆくことが、今、必要なことではないでしょうか」。 これから有機農業に取り組もうとする若い専業農家の男性も、「僕たちが一生懸命努力して、安全でおいしいお米を作っても、外国から安いお米が入ってきたら、消費者は、そっちを買うのではないか。それでは農家はやってゆけない」、と不安を述べられていました。 ![]() 早春の芹川上流(鈴鹿山中)
〜多くの集落が、過疎と高齢化に消えようとしている〜
WTO(世界貿易機関)やEPA(経済連携協定)などの国際交渉で、関税など農産物の国境措置を撤廃し、貿易自由化による国内市場のいっそうの開放をねらう動きが加速する今、これは、本当に大きな問題です。 特に、間もなく、2007年4月23〜24日、オーストラリアとのEPA交渉がはじまろうとしています。オーストラリア農業の平均規模は、日本の1800倍で、農産物貿易を自由化すれば、日本の家族経営は、根本から破壊されてしまいます。牛肉や乳製品を生産する畜産・酪農家への影響は甚大です。弓削牧場(神戸市北区)の場長さんも、先日お会いした時、たいへん心配して、何度も話しておられました。 日本とは農地の規模や労賃、地価などの条件が圧倒的に違う外国と裸で競争させ、日本農業に“国際競争力”をつけさせようとするこの無慈悲な農政「改革」は、日本の農業・食糧自給を破壊するだけでなく、農村という「地域」を崩壊させ、人間がそこで生きることをできなくしてしまうのです。農家、畜産・酪農家の方々の必死の努力を、大枠のところで台無しにするようなものです。そして、結局、「消費者」のためにもなりません。(伊)(つづく) ※前田壮一郎さんの就農リポート、また松本茂夫さんのWTOに対する現場からのご意見は、「大戸洞舎通信」第11号(2005年12月23日付)をご覧ください。 ※※これを受け、各有機農業団体が政策提言などの行動をとろうとしています。間もなく2007年3月16日〜18日には、「農を変えたい!全国集会 in 滋賀 2007」(於:滋賀県立大学)が開催されます。詳しくは、こちらをご覧ください。 |
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