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菜園家族の学校(03〜04)Nomad image
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Nomad image各地から集う“菜園家族の学校”(03〜04年開催分)



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趣意書き

21紀は、産業革命以来追い求めてきた価値の転換と、新たなる創造への着手を、私たちに迫っています。それは、“拡大”から“循環”への大きな変革です。

仮にこのまま行けば、いずれ私たちの子供や孫たちは、二度と立ちあがることのできない壊滅的な打撃を受けることになるでしょう。おおくの人々はこのことに気づきながらも、どうすればいいのか分からない焦燥と不安の中で、21世紀を迎えています。

21世紀最大の課題は、何よりもまず、従来の常識を拭い去り、発想の大転換に踏み切ることではないでしょうか。そして、そこから未来にむかって自由に夢を描き、新たなる創造に立ち向かうことなのです。日本に限らず、世界のすべての先進工業国の人々に今一番求められているのは、このことです。

私たちは、21世紀のこの壮大な人類の課題に、「大地」の視点から取り組みたいと願い、“菜園家族の学校”と銘打って、2003年4月19日(土)に第1回目の上映&トークの集い“大地に 明日を描く21”をスタートさせることにしました。その後も引き続き、毎月・第3土曜日に定期的に開催してゆきます。

参考資料

*『菜園家族レボリューション』社会思想社(現代教養文庫)頒価500円
   *『菜園家族エリアの形成』(リーフレット) 無料

事前に入手をご希望の方は、いずれもNomadまでお問い合わせ下さい。

◆『菜園家族レボリューション』社会思想社(現代教養文庫)について

“菜園家族レボリューション”。これを文字どおりに解釈すれば、菜園家族が主体となる革命のことを意味しているのかもしれません。しかし、“レボリューション”には、自然と人間界を貫く、もっと深遠な哲理が秘められているように思えるのです。それはもともと、旋回であり、回転でありますが、天体の公転でもあり、季節の循環でもあるのです。そして何よりも、原点への回帰を想起させるに足る、壮大な動きが感じとれるのです。イエス・キリストにせよ、ブッダにせよ、わが国近世の希有な思想家安藤昌益にせよ、あるいはルネサンスやフランス革命にしても、レボリューションの名に値するものは、現状の否定による、原初への回帰の情熱によって突き動かされたものなのです。現状の否定による、より高次の段階への止 揚と回帰。それはまさに、「否定の否定」の弁証法なのです。現代工業社会の廃墟の中から、それ自身の否定によって、田園の牧歌的情景への回帰と人間復活の夢を、この“菜園家族レボリューション”に託しているのです。
(「文庫版へのあとがき」より)

映画『四季・遊牧』について

この作品は、1992年秋から一年間、モンゴル・ゴビ・アルタイ山中のツェルゲル村に住込んで撮影した記録映像をもとに、制作したものです。四季折々の自然とそこに生きる遊牧民の生活を、映像と音楽と語りの絶妙なハーモニーによって、独自の世界に謳いあげています。

スクリーンに映し出される、日本社会とは対照的な、モンゴル・ゴビ・アルタイ山中の山岳・砂漠のつつましい暮らし。大地にとけ込むように生きる子供たちの表情。ヤギの乳を搾る少女の目の輝き。なぜかその 一つ一つが雄々しく映ります。

この「辺境」にも押し寄せてくるグローバリゼーションの波。ツェルゲルの人々はこれに抗して、地域自立の道を模索しはじめるのです。…

今回は、“四季・遊牧”三部作・全6巻(7時間40分)のダイジェスト版から後編(1時間40分)のみを上映いたします。このダイジェスト版後編は、“四季・遊牧”の核心をよく伝え、独自の作品としても優れたものになっていると好評です。

「菜園家族」構想について

人間を大地から引き離し、虚構の世界へとますます追いやる市場 競争至上主義の“拡大経済”に、果して未来はあるのでしょうか。 ここに提起する“大地に生きる”人間復活の唯一残されたこの道に、 “菜園家族レボリューション”の思いを込めたいと思います。

(『菜園家族レボリューション』「プロローグ」より)

流域循環と高度経済成長

日本列島を縦断する山脈。この山脈を分水嶺に、太平洋側と日本海側へと走る数々の水 系。この水系に沿って、かつては、森と海を結ぶ流域循環型の美しい地域圏が形成されてい ました。この地域圏の中で、農業も林業も漁業もともに有機的な内的連携を相互に保ちあっ て、流域循環型の自立した地域社会を長い長い歴史をかけて築いてきたのです。

ところが、戦後1950年代の半ばからはじまる高度経済成長は、わずか20年足らずの間に、 列島を覆っていた森と海を結ぶこれら個性豊かな流域循環型の地域圏をズタズタに分断 し、森の過疎と平野部の過密を出現させました。農業や林業や漁業といった第一次産業を犠 牲にして、工業を極端に優遇する政策によって、工業や流通・サービスなど第二次・第三次 産業を法外に肥大化させてしまったのです。その結果は、極限に人工化された公害に悩む巨 大都市の出現と、荒れたまま放置された森林資源に象徴される国土の荒廃です。今、第二 次・第三次産業は、絶対的な過剰雇用・過剰設備の極限状態に達し、我が国は、莫大な不 良債権と巨額の国債を抱えたまま、身動きのできない状況に陥っています。

混迷と閉鎖状況

こうした中、小泉政権は、不良債権処理を加速させ、リストラを進めようとしています。しか し、それによって生ずる大量の失業者を吸収する新規産業などは望むべくもなく、デフレス パイラルの危険に絶えず晒されています。しかし対策はまったくの手詰まり状態です。まさに 日本経済は破局寸前に来ています。小泉政権の主張する“構造改革なくして、景気回復な し”も、今となっては虚ろに響くだけです。

それにしても、景気回復の後に、どんな未来社会が想定されているのでしょうか。それはどう も当然のこととして、私たちが今日まで突き進んできた市場競争至上主義のアメリカ型“拡 大経済”の社会であるようです。

しかし今や、戦後日本の“拡大経済”を可能にしてきた国際環境も、大きく変化しました。そ して国内の客観的主体的条件も失われてしまった今、果してこの路線を再び辿ることが可能 なのか、それ自体が極めて疑問です。仮にも、この上浪費を奨励して、景気回復を果したと しても、自然環境や地球資源からして、自ずと“拡大経済”には限界があるのです。

また、小中学の不登校の生徒数が、年間13万9千人と10年前から倍増し、年間の自殺者数 が3万に達しているという事実からしても、いかにこの“拡大経済”が非人間的で耐え難いもの であるかが分かるはずです。それでもこの“拡大経済”に固執しようとしていること自体、不思 議なくらいです。

問題は根深い

市場競争至上主義の“拡大経済”のもとでは、科学技術が発達すればするほど、不思議なこ とに、人々はますます忙しくなります。市場原理に振り回され、家族の基盤は根元から揺らい でいます。「地域」は息の根を止められかねない状況です。人々は分断され、競争と対立が煽 られ、地域紛争は極限に達し、精神の荒廃はとどまることを知りません。それは、産業革命以 来、人類が一貫して科学技術を発展させてきた過程で、自らを生きる基盤である大地から引 き離し、賃金のみによって“いのち”をあがなうほかない、実に不安定な存在を大量につくり出 してきた末路なのかもしれません。

今、IT革命・バイオ・ナノなどと吹聴される、市場競争至上主義のアメリカ型“拡大経済”の 波。その中で翻弄される家族。人間はますます「虚構の世界」に生きることを余儀なくされて います。特に成長期にある子供たちは、他の世界を知らないだけに、蒙る被害はいっそう深刻 です。

このような状況と相俟って、今日、経済破綻の危機が迫るにつれて、市場競争・弱肉強食の 様相は、ますます激しくなるばかりです。この荒波の中で、家族を守り、人間の尊厳を回復す る道は、結局、生きるに必要なものはできるだけ自分の手でつくる、という人間本来の姿に今 一度立ち帰り、その地平から、私たち自身の暮らしの根っこに横たわる基盤そのものを、根源 的に問いなおす以外にないのではないでしょうか。21世紀をむかえた今、産業革命以来の価 値の大転換が求められているのです。

大地に明日を描く

こうしたいわば「近代の超克」ともいうべき時代認識から出発して、日本の未来構想を試み たのが、“週休五日制による三世代「菜園家族」と流域循環型地域圏”の構想です。つまり三 世代家族を基盤に、ワークシェアリングによって、従来型のお勤めは週二日にして、それに見 合った安定的な給与所得が保障される地域圏システムの中で、残り五日は家族の再生のた めに「菜園」、またはその他の自営業にいそしむ、というのがこの構想の骨子です。 ますます経営規模拡大化へと突き進む現代の風潮の中で、この「構想」は、これとは逆に人 類史上未だかつて実現できなかった家族小経営の素晴らしい高みに到達する試みでもある のです。

大地から浮遊し、「虚構の世界」にさ迷う家族が、「菜園」や自営のための基盤と自らのため の時間を再び自分の手に取り戻し、手にしたその基盤を畑仕事や手作り工芸、さらには子供 の教育や文化・芸術活動の素晴らしい舞台に作りかえてゆく。それは、人間復活の「場」を自 らのものにしてゆく、精神的に豊かな過程でもあるのです。今おおくの人々が苦しみ悩んでい る子供の教育の問題も、結局は、こうした中でしか根本的な解決は望めないのではないで しょうか。

森と海を結ぶ「菜園家族エリアの形成」

今こそ私たちは、市場競争至上主義の“拡大経済”に決別し、人間本位の“循環型社会”へ と転換しなければならない時に来ています。転換すれば、道はおのずから開かれてくるはず です。偏狭な経済効率主義とはきっぱり手を切り、非効率といわれてきた農業や林業や漁業 など、いのちを育む第一次産業を基本に据えて、これを基盤に第二次・第三次産業をも包摂 する新しい視野に立つ時、人間本位の思想と論理を貫く可能性はより広がるのではないで しょうか。

真理は実に単純で明快です。 思考を鈍らせているのは、現実に対する幻想と、過去への未 練です。森と海を結ぶ流域循環が分断され、都市の過密と農山村の過疎が生み出され、そ の結果、第二次・第三次産業が絶対的過剰雇用に陥っているというのであれば、その逆の道 を辿ればいいのです。

まず、大都市集中型の企業は、“循環型”社会に見合ったものに縮小・改革され、地方への 移転もはかられなければなりません。その上で、地方の中小都市を核にした「菜園家族」の ネットワークが築かれてゆくのです。それぞれの流域地域圏では、森や海や山や野や川な ど、地域の豊かな自然が最大限に生かされ、小さな技術や小さな地場産業が育くまれてゆ きます。やがて、森と海を結ぶ心豊かな流域循環型の地域圏が甦り、その土台の上に、21世 紀にふさわしい地域が築かれてゆくのです。「構想」の週休五日制のワークシェアリングに よって、地方の雇用は2.5倍に拡大されるのですから、水系に沿って、平野部の過密都市から 中流域の農村、さらに上流の森の過疎山村にかけて、人口は無理なく還流してゆくはずで す。こうして、森と海を結ぶ流域地域圏全体に、週休五日制の「菜園家族」は、やがて定着し てゆくことになります。

週休五日制による三世代「菜園家族」は、森と海を結ぶ流域循環型地域圏再生のまさに担 い手であり、主体でもあります。そして、この流域循環型地域圏は、「菜園家族」開花にとって 不可欠な「場」でもあり、必要条件にもなっています。ですからこの両者は、不可分一体のも のとして築かれなければなりません。これが、森と海を結ぶ「菜園家族エリアの形成」です。 このような展望に貫かれた「菜園家族」構想によって、人々は、人間をないがしろにしてき た“拡大経済”から脱却し、おとしめられた人間精神の淵から、やがて人間そのものを取り戻 してゆくことになるでしょう。

「菜園家族」構想の現実性と先見性

家族には、本来、農業や手工業をはじめとする生産労働や、炊事などの家事労働、さらには育児・教育・医療・介護などといった、さまざまな機能が未分化のままぎっしり詰まっていました。今ではすっかり分業化され、社会化され、消え失せてしまったこれら家族の多彩な機能を、「菜園家族」構想は、現代にふさわしい形に回復させ、人間の全面的開花を目指します。このことは同時に、異常なまでに膨れあがった今日の社会負担を大幅に軽減することにもつながり、財政赤字に苦しむ国や地方自治体のあり方をも、やがて大きく変えてゆくことになります。

また、今、批判の対象になっている公共投資のあり方も、この「構想」のもとでは、従来とは根本的に違ったものに変わってゆくはずです。これまでの道路やダムやトンネルといった大型公共事業の場合、財政の執行期間だけに限って雇用が生まれますが、事業が完成すれば、雇用は即、喪失します。これに対して、「菜園家族」構想実現のための公共事業であれば、投資によって、地域に新たに形成された「菜園家族」そのものが、新規のいわば雇用先として、地域に半恒久的に確保されたことにもなるのです。このような公共事業であれば、惜しむことなく積極的に投資がすすめられ、やがて、地域の隅々にまで、生活密着型のいわば「菜園家族」的インフラや、人間味ある細やかな技術体系が形成されてゆきます。同時に、地域循環型の新たな需給関係が地域圏内に芽生え、地域に活力が甦ってくるのです。こうしてはじめて、過疎といわれた農村や森の山村は、大都市部の過剰雇用すらも吸収する力量を徐々に備えてゆくことになるでしょう。

現在、上から強行されようとしている市町村合併問題も、一度決まってしまえば、そう簡単には変えられない50年・100年の計であるだけに、目先の財政効率化だけに矮小化せずに、今一度、こうした森と海を結ぶ流域循環型の地域圏を構想する視点からも、検討されるべきです。今からでも遅くはありません。人々の地域へのさまざまな思いが、時間をかけ、一つの確かな地域像に結ぶ時、この市町村合併問題も、地域づくりの本当の意味での原動力になりうるのではないでしょうか。

こう見てくると、「菜園家族」構想は、今日破局に直面した日本社会を、予期した以上に安全着実に、危機から救出する緊急対策の側面をもつと同時に、社会を将来にわたって“拡大型”から“循環型”へと移行させてゆく、壮大で、しかも現実味のある社会変革の道でもあるといえるのです。

未来にむかって

日本の国土に生きる私たち自身が、世界に率先してこの新しい「菜園家族」の道を選び、誠実にこの道を歩んでゆくならば、世界は変わります。おこぼれを恵む式の「援助」などではなく、私たち自身の変革によってはじめて、対等で平和な国際秩序の基礎が築かれるからです。つまり、「菜園家族」構想は、まさに世界の「辺境」からの発想であり、国境を越えた連帯の思想なのです。

やがて、この精神を地でゆく「菜園家族」に、アジアの人々も、さらには世界の人々も、いつかはきっと、惜しみない称讃と尊敬の念を寄せてくれるにちがいありません。世界は今、お金ではなく、精神の高みを心から望んでいます。「菜園家族」は、この世界の願いに応えて、必ず、世界に先駆けて、その範を示すことになるでしょう。

*「菜園家族」構想の全体像を統一的に把握し、ご理解を深めていただくために2頁目に参考資料としてご紹介しました『菜園家族レボリューション』とリーフレット『菜園家族エリアの形成』を合わせてお読みいただければと、思います。

時間割&実地要項

★時間割★
<上映の部>
〜蘇る大地の記憶〜
“四季・遊牧”
(ダイジェスト版後編)
13:00〜14:00
(1時間40分)
  • 春の訪れー子供たち遊ぶー
  • 夏来たる
  • 次女ハンド、昼下がりのヤギの搾乳
  • ツェンゲル家、乳製品づくり、ヨーグルトを飲む
  • 結実した遊牧民たちの願い
  • 分校の始業式
  • 晩秋の語らい、キャンプの火を囲んで
  • 別れ、そして回想  など
休憩
20分
ティータイム
<トークの部>
〜心ひたす未来への予感〜
「菜園家族」構想を語る
15:00〜17:00
(2時間)
  • 「菜園家族」構想について
  • コメント(コメンテーターは各界から月替わりで)
  • 質疑応答・意見交換 など
<交流の部>
〜語らいと喫茶〜
17:00〜18:00
(1時間)
  • スーテイ・ツァイ(モンゴル乳茶) など

申込方法

参加形態

毎月・第3土曜日に開催。ご都合のよい月に、ご参加ください。繰返しのご参加も可。都合により、日時・内容を変更する場合もございますので、予めご了承ください。

申込方法

各月とも、当日の3日前の水曜日までに、Nomadまでハガキまたは電話・FAXにてお申込みください。 その際、郵便番号・住所・氏名・年齢・電話番号および「○月○日開催の“菜園家族の学校”に参加希望」の旨、お知らせください。複数の場合は、ご氏名を連記してください。受付け次第、入場券を郵送いたします。

(なお、前回までの入場券をお持ちの方は、その「整理番号」をおっしゃっていただければ、ご住所等、こちらに控えてございます。)

申込締切

各月とも、予約制、先着順。定員になりしだい締切らせていただきます。

○○

*『菜園家族レボリューション』社会思想社(現代教養文庫)

頒価500円

*『菜園家族エリアの形成』(リーフレット)

無料

事前に入手ご希望の方は、いずれもNomadまでお問い合わせください。

○○

500円(飲み物・茶菓を含む)は、当日、受付にてお支払いください。

ところ・交通案内

交通のご案内
  • JR南彦根駅から・・・バスで13分/タクシーで8分
    ※バスの運行時間は、JRのダイヤに対応しています。
  • JR彦根駅から・・・タクシーで10分/バスで16分
    ※バスの運行数が少ないので、ご注意下さい。
  • 駐車場あり(無料)

主催・お問い合わせ先

お申込み・お問い合わせ先

菜園家族の学校 Nomad(主催)

〒522-8533 彦根市八坂町2500
滋賀県立大学人間文化学部 小貫雅男研究室気付
TEL(FAX兼用) 0749(28)8501

次回“学校”のお知らせ

“菜園家族の学校”第9回開催 :2004年5月15日(第3土曜日)

☆受付開始 12:20,開演 13:00,終了 18:00

ところ

滋賀県立大学 A4棟−205大教室(定員200名)

プログラム

13:00〜≪上映の部≫
映画“モダン・タイムス”(1936年,1時間28分)
(監督・主演:チャールズ・チャップリン,共演:ポーレット・ゴダード)
15:00〜≪トークの部≫
「菜園家族構想を語る」
*語り:小貫雅男・伊藤恵子
*コメント:森 孝之さん・小夜子さん
『究極のエコロジーライフ 京都嵐山に愛を見た』(1999年,45分,テレビ東京「人間劇場」にて放映)の上映もあります。
*意見交換
17:00〜≪交流の部≫
語らいと喫茶

☆コメンテーターのご紹介☆

(詳細は『〜森と海を結ぶ〜菜園家族だより』第8号をご覧下さい。)

森孝之さん・小夜子さん
(エコライフ・ガーデン“アイトワ”,京都市右京区嵯峨)

孝之さんは、高度成長時代、企業社会のただ中に身をおきながら、いち早くその限界性に気づき、京都・嵯峨野の地に黙々と木を植えつづけ、動植物と共生する循環型の生活空間を築き上げてこられました。ここには、奥さまで創作人形作家の小夜子さんの人形工房や展示室、カフェテラスもあり、一般開放もされています。ご夫婦の長年のコラボレートの結晶であるこの空間は、今、エコライフ・ガーデン“アイトワ”として円熟し、夢と希望を発信しているのです。

☆映画“モダン・タイムス”について☆

現代日本の私たちは、大地から離れあまりにも遠くに来てしまいました。昨年の“菜園家族の学校”では、このような現代人を、田畑や道具といった自らの生産手段を失い、干からびた細胞のようになってしまった存在として人類史の中に位置づけ、様々な角度から考えてきました。

本年度前期(2004年5月と7月)の≪上映の部≫では、このような人間像を見事に描き出したチャップリン(1889〜1977)の映画から2作品を鑑賞し、「菜園家族」構想をさらに深めて考えるきっかけとしたいと思います。

まず5月には、1936年の作品“モダン・タイムス”を上映します。

1920年代、世界に先駆けてフォード・システム(ベルトコンベアーによる流れ作業方式)を編み出したアメリカでは、いち早く大量生産体制と大衆消費社会が確立しました。街には安価な商品が豊富に溢れ、人々は未だかつて経験しなかった「豊かさ」を享受します。しかし、こうした経済と社会のあり方には、大きな落とし穴がありました。自らの生産手段を失った多くの人々は、機械化された工場に労働者として雇われ、単調な作業の繰り返しの中で、自らもその歯車と化してゆきます。そして容赦ない大恐慌に見舞われれば、そうした職さえも失い、さまようのです。

チャップリンは、このような資本主義の本質をその時代のただ中にあって鋭く捉え、それを喜劇という形で、誰にでも分かるように表現しました。およそ70年も前のアメリカが舞台なのに、21世紀の私たち自身の姿にあまりにも重なって見えてくるのは、不思議なくらいです。

題名はまさに“現代(モダン・タイムス)”。チャップリンが問うた当時の「現代」の姿から、21世紀の「現代」、私たちは何を学び、どんな未来を展望できるのでしょうか。

『菜園家族だより』バックナンバー

毎回の“学校”の様子をお伝えする通信『菜園家族だより』は、当ホームページにも掲載しています。菜園家族構想、コメンテーターのお話、ご参加者のアンケートなど情報盛りだくさんです。

バックナンバー(03.4月号〜04.6月号)はこちら。

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