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Nomad image通信『菜園家族だより』第1号(2003年4月30日発行)

“菜園家族の学校”スタート!

2003年4月19日(土)、滋賀県立大学(彦根市)において、“菜園家族の学校−大地に明日を描く21”がスタートしました。これは、今後、毎月第3土曜日に開催してゆくものです。≪上映の部≫、≪トークの部≫、≪交流の部≫の3部から構成されたこの集いには、湖西・湖北を含めた滋賀県全域からのみならず、京都・奈良・大阪・神戸・西宮、さらには鳥取と西日本各地から、また鈴鹿山脈を越えて三重から、関ヶ原を越えて名古屋・東京からご参加いただき、まさに“各地から集う”会となりました。

天候不順な今春にあって、数日間めずらしく暖かな日が続いていましたが、当日は曇りから雨へ。それにもかかわらず会場となった200名定員のA4棟−205大教室は、補助椅子を出すほどの盛況でした。

お集まりの顔ぶれも実に様々でした。定年を間近に控えた方、働き盛りの会社員・OLの方、主婦、大学生、農のある暮らしをはじめた方・はじめたいと考えておられる方、生き方を模索しようとしている方等々、それぞれの立場から今回のテーマに期待をもって湖畔の教室に集結している様子が、受付ですでに感じられるほどでした。

以下、1・2・3部について簡単にご報告します。

1≪上映の部≫〜甦る大地の記憶〜 映画『四季・遊牧ーツェルゲルの人々ー』の鑑賞

13:10〜14:50は、全7時間40分のこの作品のダイジェスト版後編を鑑賞しました。モンゴル山岳・砂漠の村における遊牧民たちの暮らしを描いたこの作品によって、改めて人間の生きる原点をみつめなおし、自らの暮らしのあり方を考える契機となった、というご感想が多くありました。

『四季・遊牧』のご感想より

★大自然がこんなに人間を育て、大きくしているか、生きるという原点にふれることができました。
(滋賀県湖北町・63歳・女性・役場非常勤)

★映画の中に出てくる人々の笑顔(子供だけでなく大人も)がとても印象的でした。
(兵庫県芦屋市・31歳・女性・アルバイト)

★自分の子供の頃(兵庫県北部農村)の生活をなつかしく思い返した。あの頃の家族は貧しくても暖か味のある生活があった。
(滋賀県志賀町・59歳・男性・大学事務職員)

★ずっと見ていたい。とても壮大な気持ちになりました。“本当の壮大な気持ち”は、「グローバリズム」という言葉が指すような事柄からではなく、こんな素直な毎日から生まれてくるものなんだなあ・・・と思いました。
(滋賀県近江八幡市・25歳・女性・「エコ村」づくり)

2≪トークの部≫〜心ひたす未来への予感〜 「菜園家族」構想を語る

小休憩後、15:10〜17:40までは、映画で実感した大地に根ざした暮らしのあり方をふまえ、私たち自身の未来をいかに描くか、という大きな課題を、「菜園家族」構想を基軸にして話し合いました。

(1)「菜園家族」構想の提起

まずはじめに小貫雅男滋賀県立大学人間文化学部教授より、週休五日制による三世代「菜園家族」構想の骨子と、その現代的意義について話がありました。

特に、現代における我々の社会・経済の行き詰まりは、戦後の高度経済成長、18世紀の産業革命、さらには縄文時代以来の森から平野部への「文明」の移行、という大きな歴史的観点からとらえ直す必要があると強調されていました。そして、この「大地から人間が引き離されてきた歴史」から、今、回 帰へ向かって大きく舵を切らねばならないのではないか。その主人公となるのは「菜園家族」であるが、各々の努力とともに重要なのは、その十分な成長と開花を助ける「場」としての「森と海を結ぶ流域循環型地域圏」が同時に形成されてゆくことである、という提起がありました。

(2)矢崎和仁さんからのコメント

第1回のコメンテーターに、矢崎和仁さんをお招きしました。お母さまのスヅカさん(85歳)、奥さまの慈子さんとお母さま保坂喜美さん(81歳)、そして息子さんと、まさに三世代のご家族みなさんで、神戸よりお越しいただきました。

ご自身の体験を踏まえた率直なお話は、とくに同年代の方々にとって、強い説得力のある内容であり、これから社会に出てゆこうとしている学生たちにとっても、生き方を考えるよい契機となりました。

(3)質疑応答・意見交換

様々な年齢層の方から、ご意見、ご質問がありました。

農のある暮らしをはじめたいが、代代勤め人の家なので、まず土地がないという問題にぶつかる、というご意見に対しては、滋賀県中主町の男性から、周囲に耕作放棄された土地があるので来て下さい、というご発言がつづくなど、ご参加者相互でも活発なやりとりが生まれていました。

マキノ町への移住に着手しているという若い男性が、「こんなに多くの人が熱心に参加しているとは、驚いた」と語っていたように、予定を40分もオーバーしても、まだまだ話題は尽きない熱気がありました。今後、毎回、議論を深めてゆく中で、未来への展望がひらけてゆくことを願うものです。

3≪交流の部≫〜語らいと喫茶〜

17:40からは、会場を別教室に移し、内モンゴルからの留学生アディアさん(滋賀県立大学人間文化学部大学院博士課程)とその娘さんハイルちゃん(彦根市立南中学校1年生)、留学生アイソイさん(滋賀県立大学人間文化学部大学院修士課程)によるモンゴル乳茶(スーテイ・ツァイ)、六甲弓削牧場(神戸市北区)の生チーズ(フロマージュ・フレ)などをいただきながら、自由な雰囲気の中で歓談の時間をもちました。ご参加者の間でも随所で活発な情報交換・交流がつづけられました。こうした中から、良き出会いを期待しています。

☆第1回コメンテーター矢崎和仁さんのご紹介☆

(矢崎さんに書いていただいたものを、そのまま掲載させていただきました。)

【プロフィール】

昭和18年生まれで現在59歳です。

医薬品会社に30年間勤務し、53歳でリストラになり会社を退職しました。私自身、60歳定年を前に会社を辞め、10ヶ月間の失業・仕事探しで味わった「不安」「自信喪失」からの立ち直りの経験を糧に、再就職支援の仕事に就きました。既に、リストラや倒産で会社を辞めた人達3000人の失業者と向き合って来ました。

「50歳を越えてしまった自分を雇ってくれる会社があるのか」「今の生活を保障する給与がもらえるだろうか」等、仕事に対する自信喪失と経済的不安と闘っている人達に就職活動ノウハウの伝授と気持ちの切り替えを支援しています。

【小貫先生との出会い】

大阪キャリア交流プラザ(厚生労働省直轄の中高年者の再就職支援組織)の求職者を対象に、『遊牧』を支援プログラムに組み込ませて頂いたのがNomadとの出会いでした。なかなか再就職にこぎつけられない失業者の気分転換の意味もあり、『遊牧』を鑑賞してもらうべく企画しました。

鑑賞後の自由討議では、長年企業戦士として家庭を顧みず、身を粉にして働き続けた失業者達が「本当の豊さとは何か」を話し合う機会となりました。

【菜園家族の賛同・実践者として】

3年前、山梨の先祖代々の田畑にて、自給自足をしていた一人暮らしの母(85歳)を神戸の我が家に引き取りました。

加齢の為、農作業者から草取りの専門家になってしまった母親が、我が家の2坪の家庭菜園での草取りではあきたらず、隣の空き地の草までも取ってしまいました。畑の様になってしまった空き地に、野菜を作らせてもらうよう持ち主にお願いし、快く承諾してもらったのが、約120坪の「菜園家族」の始まりでした。

私の母の草取り、私の耕しと種蒔き、家内の有機肥料作りと水遣り、家内の母の種蒔きと水遣り等、それぞれの役割で「菜園家族」を実践しています。 2〜3年後には、母親の居なくなった山梨の故郷に帰り、年金と自給自足を中心とした晴耕雨読を予定しています。

☆矢崎家の自作雨水貯水装置(1トン)を備えた隣の空き地(約120坪)での年間の耕作物☆

小松菜、ほうれん草、ブロッコリー、大根、白菜、トマト、ナス、ジャガイモ、サツマイモ、えんどう、にんじん、里芋、きゅうり、かぼちゃ、冬瓜等です。昨年からは健康志向に注力し、ウコン、にんにく、唐辛子、チョロギ、菊芋などの耕作も始めました。

また、最近では、自宅の庭に炭焼き炉を作り、娘のアトピー性皮膚炎に効く竹酢液(竹炭を焼く時に出てくる液)と竹炭作りをも始めました。

☆アンケートより☆

★矢崎和仁氏のコメントに同感です。今後の生き方に非常に参考になりました。
(滋賀県近江八幡市・54歳・男性・会社員)

★週休五日制の菜園家族という考え方、とても斬新だと思いました。小貫先生の言い方がソフトなのが新だとも思いました。今まで、「革命」という言葉からイメージするのは、前の体制・やり方を否定する・ぶっつぶす、というような荒っぽいイメージだからでした。
(兵庫県芦屋市・31歳・女 性・アルバイト)

★矢崎さんのお話とても感動!気持ちの切り換えが私でも可能と思える、適切なお話。母上、奥さま共共とは、なんと素敵な。
(滋賀県湖北町・65歳・女性・清掃のパート)

★週休五日制、菜園家族構想に賛同しています。ただ、給与も現状の2.5分の1となる生活が成り立つのかどうかが問題と思う。教育費その他の現金がどうしても必要となる。質素な暮らしに耐えられないという考えはないのですが、生活が成り立つ現金収入を得ながら、自立できるとすばらしいと考えます。
(滋賀県八日市市・51歳・男性)

★我が家、今、夫婦とも失業中で、夫は、伝統工芸の張カゴ制作とグラフィックデザインの仕事ちょっとで、何とか食べています。現金はなくても、無駄を減らせば何とか暮らせると実感しています。いったい本のところ、いくらで暮らせるのかをリビング新聞の家計簿診断みたいな形で提示することができれば、と思いす。
(滋賀県大津市・46歳・女性・広報誌編集など)

★市場経済が浸透しきった日本で、「菜園家族」のような考え方はまだまだ少数派であり、果して何年後に実現できるか分かりませんが、日本経済、教育、地球の環境 問題などをもっと多くの人が直視したら、必然的に変わっていくのかもしれませんね。
(大阪府高槻市・28歳・女性・会社員)

★菜園家族構想について。地域圏で実現しようとしても、週休五日のワークシェアリングでは、競争力低いので、他地域の企業によって、淘汰されてしまうと思います。既得権益をなくすもの(戦争や革命など)がないと、社会の仕組みを大きく変えるのは難しい。おだやかな変革では実現しないのでは?以上が課題だと思いますが、実現したら素晴らしいですね。
(大阪府豊中市・40歳・男性)

★田舎に祖母が1人残されていますが、(田畑は)荒れ放題の状態です。祖母のためにも畑や山のためにも自分のためにも早く始めたいと思います。農家(過疎地域の)との交流を始めたいと思っている都会の人をつなぐパイプライン、情報を個人で集めるのは大変だと思います。農村というと閉鎖的なイメージがあり、個人で飛び込んで修行というのは自信がありません。
(大阪市・25歳・女性)

★今までの共同体意識の中では、その土地に生まれた人間でもとても息苦しいです。菜園家族のメンバーは、従来の村落共同体の再生ではなく、新しい価値観を持った人たちで、豊かな人生を築いていけたらよいと思います。
(滋賀県彦根市・54歳・女性・昨年30年間働いていた仕事をやめ、晴耕雨読の日々。)

★土地利用権と労働力のプール・交換システムを多面的に検討する必要がある。その一つの試行として、異質な使用価値、あるいは時間の隔たった人の間での協力(交換)方式に地域通貨がある。地域を活性化し、人間関係をつくっていくためにも、この集まりでもとりあげていただきたい。
(滋賀県木之本町・66歳・男性・公務員)

★市民革命としての「菜園家族」構想・・・こういう発想は決して行政主導では生まれず、市民の意識の変革こそ重要なのですね。各地で市民派・緑のネットワークなどが生まれてきていますね。そして大マジメで「菜園家族」構想を提唱している先生とこの“学校”に夢と希望と生きる力を得るものです。
(大阪府堺市・52歳・男性・画家)

★子供たちの未来にゴミやつけを残しておきたくない。団塊の世代の私達が今、生き方を変えないと間に合わないのでは、と常々考えております。今日のお話をうかがうと、地域圏で仕組みを変えないと、大きなうねりにはなっていかないのかも知れません。ただその中でも、一人一人がしっかりと自立して、心豊かな哲学をもち、ゆっくりと歩んでいくことが基本だと思います。

モンゴルの方々が大雪や社会体制の変化に負けず、真の豊かな生活を続けられること、そして世界の 平和を祈ります。
(大阪市・56歳・女性)

☆次回(5月17日)コメンテーター中村均司さんのご紹介☆

(中村さんに書いていただいたものを、そのまま掲載させていただきました。)

【プロフィール】
○昭和25年、石川県辰口町生まれ
○昭和49年、京都府職員。農業講習所、農業改良普及員、農業行政などを経て、現在、京都府農林水産部農産流通課総括専門技術員。
○NPOアジア太平洋農耕文化の会代議員
○農耕文化研究振興会会員

【菜園家族について】

「あなたの夢は、今、私の夢になりまし た。そして、これからは、私たちの夢 になることでしょう。」

一昨年のBSEの国内での発生に始まって、食品の偽装表示、輸入農産物の残留毒性、無登録農薬の使用など、「食」の信頼性を揺るがす問題が次々とおこりました。私は、これら一連の出来事は、我が国の「飽食バブル」の全般的な崩壊過程と考えています。

これに対し、トレーサビリティ・システムの導入などが講じられようとしていますが、我が国の40%という低い食糧自給率や農業の担い手不足など、問題はもっと広く深刻であるように思います。農業技術や経営の研究普及、農業行政に携わってきたものとして、農産物を作る技術そのもの、農業経営のあり方そのもの、流通・販売の方法などが、これでよかったのだろうか、と自問し反省をしています。

いろいろ考えもするのですが、農業分野内で解決できない問題に突き当たります。それは、効率・モノ・金を中心とした社会・経済の仕組みや人々の価値観。特に、閉塞感の中で、社会・経済の動きは、ますますそのスピードを加速させようとしています。そんなとき、小貫先生の『三世代「菜園家族」酔夢譚』に出会ったのです。

あまりにも自由で大胆な発想。しかし、考えてみるとそのとおりなんです。しかも、その基本には、大地に根ざした「菜園家族」が位置づけられているとなると、ありがたくさえ思いました。同時に、小貫先生の示された「グランドデザイン」に対し、それを家にたとえるならば、様様な分野の人達が床や壁をはったり、玄関や窓を作ったりといった作業が要るのではないか、と考えています。私の場合には、菜園家族が行う農産物の作り方、加工・販売方法などです。恐らく現在の大量生産・大量流通・大量消費を前提としたものとは、異なるものとなるでしょう。

【コメンテーターになってしまった訳】

以上書いたような私なりの問題意識を小貫先生や伊藤先生とお話し、ご教示願おうと、昨年秋頃から、連絡をとっていたのですが、日程が双方折り合わず、今回に至りました。そのため、私の「菜園家族」の捉え方や考えが、これでいいのか、自信ありません。

しかし、これからの新しい取組みや研究は、大学や研究機関の専門家や行政関係者だけでなく、実践家、企業、もちろんサラリーマンや農家、消費者など幅広い市民の方々が対等に参加した共同作業の中から生まれるのではないか、と最近考えています。

そのような意味で、今回の「菜園家族の学校」の取組みに、浅学を顧みず、参加することといたしました。

◆新聞の記事から◆

翌日、毎日新聞“余録”に「学校」のことが掲載されました

杜甫の詩「春望」をもじれば、イラクの戦後は「国破れて石油在り」か。長い不況に苦しむ日本は、「山河在り」ではないかと、小さな学校が19日、琵琶湖のほとりでスタートした▲滋賀県立大学教授の小貫雅男さん(67)が、彦根市のキャンパスで毎月第3土曜日午後に開く「菜園家族の学校」だ。厳しい自然と向き合って生きるモンゴルの遊牧民と共に暮らし、自ら製作した長編記録映画『四季・遊牧』を上映する。大地に根差した生活を考えている人たちと自然循環型社会のあり方を学ぶ場でもある。▲映画の上映会は98年から全国各地で開催し、観客は2万人を超えた。家族、子育て、食物、労働など身近な生活を見つめ、次世代への憂いをつづった感想が3000通も寄せられた。それらの思いを受ける形で、小貫さんが描いたのが「菜園家族」構想だ▲現金収入を得るための会社勤めは週2日。残りの5日は菜園で農作物を作る。そんな生活のスタイルが実現できないか。都市と農村、家族的小経営の良さを生かし、地域の雇用を増やそうというのだ。数年前なら荒唐無稽と無視されそうだが、自治体や市民団体からの反響が大きかった▲「本来、人 が帰属する場所は会社でなく、地域と家族なんですよ」。旧満州(中国東北部)内モンゴルで生まれた小 貫さんにとって、大量生産、大量消費という経済拡大で行き詰まった日本の戦後は「人間が大地から引 き離されていく歴史」と映る▲今日は、百穀の種の成長を助ける「穀雨」。春の雨を大地への恵みと感じる生活感覚は、受け継いでいきたい。「大地に生きるというのは一つの夢。未来をただ悲観するより、夢を語る勇気を持ちたい」。小貫さんのそんな言葉は、慈雨のように渇いた心にしみる。

【2003年4月20日(日)付毎日新聞・余録】

編集後記

いよいよ“菜園家族の学校”が「開校」しました。多種多様な情報があふれる今日にあって、しかも遠路はるけくこの湖東の一隅に集結された皆さんの思い、主催者の一人として感激いたしました。

私たち日本人にとって、バブル崩壊後のこの10年は、予期した以上に深刻で、出口の見えない閉塞感が漂うものになっています。思えば、『四季・遊牧』の舞台、ツェルゲル村の調査からも、ちょうど10年。海を隔ててはいますが、同時代を生きる人間同志として、お互いに学びあい、地に足のついた未来を模索してゆきたいものです。

私たち日本人にとって、バブル崩壊後のこの10年は、予期した以上に深刻で、出口の見えない閉塞感が漂うものになっています。思えば、『四季・遊牧』の舞台、ツェルゲル村の調査からも、ちょうど10年。海を隔ててはいますが、同時代を生きる人間同志として、お互いに学びあい、地に足のついた未来を模索してゆきたいものです。

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