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Nomad image通信『菜園家族だより』第4号(2003年7月31日発行)

第3回“菜園家族の学校”のご報告

梅雨が未だすっきりと明けきらない2003年7月19日(土)、滋賀県立大学(彦根市)A4棟−205大教室において、第4回“菜園家族の学校−大地に明日を描く21”が開催されました。

今回も、約150名ものご参加がありました。大学のある地元にはじまり、京都・奈良・三重・大阪府全域・神戸・尼崎など関西各地から、さらにご遠方では、兵庫県赤穂郡上郡町、そして山口県下松市から足を運ばれた方もおられました。東の方では、名古屋・東京・千葉県浦安市から、ご参加いただきました。

そして、一番のご遠方は、何と北海道は阿寒郡鶴居村からでした。この地で「緑健文化研究所」を主宰する草刈善造先生は、しかも、まもなく90歳を迎えられる方です。5月には、沖縄・竹富島から上勢頭芳徳さんがご参加されたので、これで文字通り“北海道から沖縄まで”の広がりをもったことになります。

以下、1・2・3部について簡単にご報告します。

それぞれの経験を交流し、学びあう場として、ますます充実させてゆければと、思います。

1≪上映の部≫〜甦る大地の記憶〜 映画『四季・遊牧ーツェルゲルの人々ー』の鑑賞

13:00〜14:30は、三部作 全6巻,7時間40分の完全版より、第1部「厳冬に耐える−再生への模索−1992年秋〜冬」下巻を鑑賞しました。この巻では、本格的な冬の暮らしとともに、遊牧民たちが地域再生をめざし、新しい自主組織“ホルショー”を結成する姿が描かれています。ベルリンの壁崩壊から、ソ連邦解体・冷戦終結へと至る世界史的激動の時代、モンゴルの遊牧地域でも、新たな模索がはじまっていたのです。

次回9月は、遠い春を待ちつつ、地域づくりの試行を重ねる第2部・上巻を上映します。以後、毎月1巻ずつ順に鑑賞し、12月に最終巻(第3部・下巻)をむかえるよう予定しております。

『四季・遊牧』のご感想より

★映画を見て、家族のあり方をもう一度見直す機会を得たと思います。家族が個人個人での生活スタイルを送っています。たまには、家族会議をもち、それぞれの思いを話し合えればいいなあと思います。
(大阪府吹田市・56歳・女性・会社員)

★遊牧民の地域共同体を作る過程は印象深かった。自分達による自分達のための共同体は、重要。日本の農協も、原点に戻って考え直すことが大切。今では、完全に遊離してしまっている。
(滋賀県守山市・65歳・男性・百姓)

★自分達が小さな会社を経営し、今の社会システムの矛盾を感じる中から、いのちが活かされる社会になるには、お金の支配から抜け、自由に生きる農的暮らしをベースにしなければと思っています。ツェルゲルの人たちがホルショーを結成されたようなものが、中小零細企業にも大事なのではないか、という気も致しました。孤軍奮闘でやっていける状況ではない程、グローバリズムの波に翻弄されています。大企業一人勝ちの世界は、多様性が失われ、社会がもろくなり、とても危ういと思います。こういった“学校”が開かれていることに、将来への希望を感じます。
(名古屋市・53歳・女性・会社役員)

2≪トークの部≫〜心ひたす未来への予感〜 「菜園家族」構想を語る

14:45〜17:10までは、「菜園家族」構想を基軸に、私たち自身の未来を語り、考えました。

(1)「菜園家族」構想の提起

“平成の大合併”、“三位一体の改革”などと、地方自治のあり方をめぐる論議がかしましいこの頃ですが、21世紀、どんな地域社会をめざすのか、具体的なビジョンは何も見えてこないようです。

今回は特に、「地域」の視点から、週休五日制による三世代「菜園家族」構想を考えました。

小貫雅男滋賀県立大学人間文化学部教授は、お話の中で、現代日本が抱える様々な問題の根っこには、「地域」とその基礎単位「家族」の空洞化がある、と強調していました。

家族は、本来、ともに働き生きてゆく、人間の最小の集まりです。その中には、多種多様な機能?生産労働や衣食住における共同、技術の伝承、教育、介護、医療、文化・芸術など?が未分化のまま萌芽のかたちで、ぎっしり内包されています。それは、人間が人間らしく育まれてゆくための、すぐれた基盤となるはずのものです。こうした家族の機能は、さらに「地域」という広がりの中で補完されます。

しかし、工業化社会では、分業化が極度なまでに進められる中で、家族や「地域」の多面的な機能は失われ、今やこれらを個々にお金で買い集めなければならない時代になっています。しかし、それでは、“心が育つ”という家族や「地域」の総合的な力は代替できません。

江戸近世後期、近江国には、1600もの小さな「むら」(=集落)がありました。現在の犬上郡にあたる範囲には、約110の「むら」があったそうです。それらはほぼそのまま、字となっ て、今に引き継がれています。つまり、「むら」は、農的営みには不可欠な、“森”と“水”と“野”のリンケージの広がりの中から、先人たちが長い歴史をかけて選びぬき、住み継いできた生産と暮らしの優れた場といえます。

しかし、高度成長という、日本の歴史から見ればごくごく短い間に、急速に山中の「むら」は衰退し、森と海を結ぶ流域循環は寸断されてしまったのです。人口は大都市に集中し、経済・社会の難問が噴出しています。

、家族が息づく、流域循環型“地域圏”を再生する必要に迫られています。そこは、本来、地域自治と民主的参加の身近な鍛錬の場でもあったのです。「菜園家族」構想は、このような「むら」や地域圏を重視し、その再生を図りつつ、その基盤の上に新たに形成される、21世紀 にふさわしい地域像を描いています。

(2)山部倍生 さんからのコメント

第4回のコメンテーターに、徳島県勝浦郡上勝町参事の山部倍生さんをお招きしました。

人口2,100人と四国で一番小さなこの町は、過疎高齢化に悩む、日本の典型的な山村です。その中でも、ゴミの分別を厳しくしたり、65歳以上のおばあちゃんたちが担い手となって、四季折々の木の葉を商品化し都市部に売り出したりと、住民みんながまちづくりに奮闘しています。

ただ、山部さんのお話全体からにじみ出ていたのは、総面積の85.6%を占める山林資源の活用と、若者定着策に今、着手しなければ、地域社会の存続そのものが難しくなる、という強い危機感です。それが、何といっても、日本の山村が共通して抱える根本的な課題なのです。

杉林に足を踏み入れると、間伐や下枝打ちなどの手入れが行き届かないために、下草も生えぬ暗い空間になってしまっているそうです。担い手の高齢化と後継者不足で、森は放置されたまま荒廃の一途を辿っているのです。

乾燥地帯モンゴルと比べると、日本というのは、こんなにも森林が豊かなのか、と再認識させられます。この恵みをいかに活かしていくのかが、山村の再生のみならず、日本全体を大きく変えてゆく、一番の決め手になるはずです。

上勝町では、若い力の育成と定着をめざし、森林農地管理士研修生の募集をはじめました。小さな町での大きな一歩が、日本中の多くの山村に刺激を与え、都市住民にも発想の転換を促してくれることでしょう。席巻するグローバル経済を思えば、決して生やさしいことではありませんが、山部さんの生き生きと楽しそうな語り口に、不思議と明るい気持ちになりました。

(3)質疑応答・意見交換

不登校やひきこもりに苦しむ子供や若者が増加する今、「生きる力」を育む場として、農山村の豊かな自然と人間味ある地域社会が、見直されてきています。

県立大学環境科学部大学院生の井上慎也さんも、そうした活動について発言していました。卒業後は、森林生態を学んできたことを活かし、森に関わる仕事がしたいとのことです。

彦根市の深田正雄さんは、娘さんご夫婦とともに山村への移住を考えているが、小中学校や診療所がないと、若い世代はやはり躊躇する、と語っておられました。

今、意欲のある人たちがたくさん出てきています。農山村では、分校など、これまでの努力で築きあげてきた大切な施設をなくさないで、地域づくりの拠点に活かしてほしいと願います。

3≪交流の部≫〜語らいと喫茶〜

17:20から同じ会場で、内モンゴル留学生たちによるお馴染みのモンゴル乳茶、六甲弓削牧場(神戸市北区)の生チーズなどをいただきながら、交流がつづけられました。

千葉県浦安市からご参加の元木敬郎さんは、ひきこもりの若者たちを支援するNPO「ニュースタート」事務局の顧問をしておられます。リストラにあったり定年退職した中高年の経験と、若者の力とを結集し、支え合って生きる自給の場を里山に築きたいと、計画されているそうです。過疎に悩む中山間地にとっても、プラスになるはずなので、地元側も敬遠せず受け入れていただければ、と発言されていました。

北海道阿寒郡鶴居村の草刈善造先生は、30ヘクタールの土地で「緑健文化研究所」を主宰し、「農工一体」・「簡素生活」による理想社会の実現をめざしておられます。月報もご自分で編集されています。90歳を目前にしながらも、なお、数十年先の未来を見つめて、北の大地で奮闘されているお姿には、たいへん迫力があり、何事もやる前から諦めがちな私たち若者は、もっと勇気を持って頑張らねばと、思わずにはいられませんでした。

☆前回(7月19日)のコメンテーター山部 倍生さんのご紹介☆

(山部さんに書いていただいたものを、そのまま掲載させていただきました。)

【四国で一番小さいまちから】

私のふるさと「上勝町」を少し紹介します。四国の東の端っこ、紀伊水道に接した徳島市、小松島市から西へ車で1時間ぐらい入った山村、四国では、一番小さい町(人口が少ない)であります。私が就職した昭和41年(1966年)頃は、約5,000人、最近、減少傾向は鈍化したものの、平成12年(2000年)、2,100人余りになってしまいました。

町の最大の課題は、全国平均の100年も先を行く高齢化、率は 44%で、出生数は10人余り、既に超高齢化社会になってはいますが、木の葉を商品化した「彩」と呼ばれる商品では、年間2億円ほどの売上があり、65歳以上のおばあちゃん達が担い手なんです。

その他、ゴミの分別34品目で世界一厳しい町とか、第三セクターの株式会社が5つあり活性化に頑張っているとか、話題が豊富な町でありますので、全国からの視察者が毎年2,000人以上訪れているような元気な町でもあります。

【持続可能な地域づくりへの挑戦】

しかし、冷静に地域社会の将来展望に立つとき、持続可能かどうか、大変厳しいと言わざるを得ないのであります。タイムリーな若者定住施策により、人口の若返りをやっていかない限り、社会は持続できなくなるでありましょう。

現在の笠松町長が就任し、7つのプロジェクト課題を提起し、「この7つの解決方策ができれば、上勝町の課題は日本社会全体の縮図であるから、日本を救うことにつながる」と職員を叱咤激励しているところです。

【団塊の世代の私】

昭和23年(1948年)1月生まれ55,5歳であります。水呑み百姓の長男でしたので、地元の農業高校を卒業後、役場へ就職し現在に至っていますが、兼業農家として農的生活は継続しています。妻に負担のかけっ放しですが、棚田とすだち園少々を私のポリシーとして続けております。これまで事業畑を主に異動し、平成3年(1991年)からは異質の客商売(町営の温泉保養センター)を5年間やりました。その後、産業課で4年余り勤務したあと、菌床椎茸関係の第三セクターの経営が悪化し、再び現場へ出向して再建の仕事に2年7ヶ月携わりました。

昭和23年(1948年)1月生まれ55,5歳であります。水呑み百姓の長男でしたので、地元の農業高校を卒業後、役場へ就職し現在に至っていますが、兼業農家として農的生活は継続しています。妻に負担のかけっ放しですが、棚田とすだち園少々を私のポリシーとして続けております。これまで事業畑を主に異動し、平成3年(1991年)からは異質の客商売(町営の温泉保養センター)を5年間やりました。その後、産業課で4年余り勤務したあと、菌床椎茸関係の第三セクターの経営が悪化し、再び現場へ出向して再建の仕事に2年7ヶ月携わりました。

☆アンケートより☆

(6月の会では、『たより』発行後にもアンケートがいくつも届きました。そこで、それらと今回の分と、両方の中から掲載させていただきました。)

〜6月21日のアンケートより〜

★この“学校”も3回目、回をおう毎に盛況となり、その人気のすごさに驚いています。

その反面、どこに行くのか少々心配にもなってきました。どなたかが、「具体的な方向付け、今後の進め方」について質問されていましたが、私も同感の思いがしました。また、「菜園」の話は良く出るが、「家族」の方は、かすんでいる気がします。 しかし、小貫教授の回答にも納得しました。色々な人の色々な考え方の中から、自然発生的に生まれて来るまで、あせらず、じっくり熟成を待つ、すでにアチコチで、その息吹きが聞こえると。

土曜日の昼下がり、環境のすばらしいキャンパスの一教室での非日常的なヒトトキは、大変楽しみです。色々な考え方、意見が聞けてタメになります。主催者側は大変御苦労でしょうが、これからも続けていって頂きたく、よろしくお願いします。
(滋賀県彦根市・59歳・男性・会社員)

★初めて参加させていただき、資料にも目をとおしました。「これはすごい事を考え、そしてみんなに呼びかけている人がいるもんだなあ」と驚きました。

それと同時に、自分自身もこういった社会や世界がみんなの力で出来上がれば、どれほどすばらしく、そして幸せであろうかと思っている1人であります。

実は僕は、2000年9月から20 02年8月の初めごろまで、長野 県の八ヶ岳のふもとにある“カナディアンファーム”という自給自足的な生活空間に身を置いておりまして、昨年の9月に実家に帰ってきて、自分の夢に向かって、個人レベルではありますが、活動しております。

そんな中、友人から“菜園家族の学校”のことを聞き、参加させていただきました。2年間、自給自足的な空間に身を置いていましたが、まだまだ勉強不足でもありますので、これからもみなさんと共に交流し、活動していければ、大変うれしく思います。
(滋賀県甲南町・32歳・男性・飲食業)

★時間が少ないのが残念で、惜しい気がします。モンゴルの映画、小貫先生のお話、質問など内容も、また受講生の構成も興味深く感じています。

私事、年75歳、自家の農業、会社勤めも終わり、4〜5年前から、地元の小学校から頼まれて、校外学習、体験学習のお手伝いを、学校の実習畑、自家の菜園などで、子供と楽しく対話をつづけています。

老人にも何か出来ることがあればと思いながら、“菜園家族の学校”と重ね合わせて、一層興味深く、人生の晩年も茜色でありたいと思っています。
(滋賀県彦根市・75歳・男性)

〜7月19日のアンケートより〜

★人口減少・高齢化など、日本の将来について、様々な不安材料が流されていますが、少子高齢化先進地・上勝町の山部さんのお話は、明るく楽しいものでした。

実際は、いろいろと大変だと思うのですが、そのような条件の中で、町の人たちが、他(外)に頼るのではなく、自分達の力で自分達の地域に応じた取組を展開されていることに、感銘しました。そこには、悲壮感や暗さはありません。

巷での少子高齢社会の一側面(マイナス面)の意図的な強調は、税金の増額や福祉カットの口実、あるいは不安をあおっての新たな金儲けのため、などと思ってしまいます。拡大経済、競争社会ではなく、高齢者や子供が安心して暮らせる、スローな日本を目指すことも大切ではないでしょうか。
(京都市・52歳・男性・地方公務員)

★上勝町の試みは、首長の決断と指導力によるものが大きい印象を受けます。また、そんな首長を選ぶのは住民ですから、首長と住民は一体と云えましょう。

そういう意味で、国を眺めてみますと、国民にふさわしい首相なのでしょう。都民にふさわしい都知事なのでしょう。日本の民度を思うと、まだこの程度なのですね。 また逆に、地方から大きく変わってくるような胎動を感じます。
(大阪府堺市・52歳・男性・画家)

★上勝町は、少子高齢化の縮図のような所との話でしたが、それは、日本全体でいえる深刻な問題です。

私が住む大津市の仰木の里でも少子高齢化が進み、10年後には、仰木の里の人口(現在2000人を超えたところと思う)の半数は60歳以上、ということになるのではないかと思います。

仰木の里は住宅地なので、産業はありませんが、まわりは畑や田んぼ・棚田に囲まれているし、休耕地もたくさんあります。貸農園にしている地主もいますが、資材廃棄物置き場として、業者に貸している地主もいるようです。

何とか、休耕地を利用して、“菜園家族”できないか考えています。そのためにも、菜園家族の ネットワークを作る必要があるのではないかと感じています。
(滋賀県大津市・55歳・男性・定年退職)

★山部さんは、ご自身が役場の仕事を5日しながら、2日の休みは農作業もしてきた実績をふまえ、週休5日の前段階として、週休2日の「菜園家族」を提案しておられました。これなら、田舎住まいの人や、田畑が比較的近くに借りられる人なら、すぐにでも始められるようにも思えます。

しかし、これは、小貫先生の提唱される「菜園家族」構想とは、根本的に異質のものと思われます。

その理由の1つは、経済的レベルはそのままで、「ワークシェアリング」に相当するような生活レベルの簡素化は、念頭におかれていません。

もう1つの理由は、食生活の大半を自給自足することに向けて家族で行う協同作業が、中心にすえられていないように思います。

また、たいへん重要に思えるのは、「菜園家族」を実践するには、現在の資本主義的経済体制が、日日、再生産している物質的価値観から自由になり、日本を席捲している西洋文明を批判的・対抗的にとらえる視点なくしては、おいそれと踏み込めないと思います。 この点についてのディスカッションを期待してやみません。
(大阪市・61歳・男性・自営業「漢方の養生舎」)

★自然農を学んでいる者です。最近、“共同体”についていろいろ考えることがありまして、参考になることがありました。

もともと首都圏に住んでおりましたので、日本のおかしな状況は、尚更よくわかっているつもりです。

こういう事態を変えていくのに、自然農は非常に有効だと思います。ただ、地域・自治体の動きについて、奈良は少々遅れていると言えるかもしれません。山村にIターン・Uターンしづらい所もあるようです。

とにかく食べ物を自分で作るということだけで、生活も内面も、ものすごく変わってきますから、社会もいずれは変化していくだろうと思います。
(奈良県大和郡山市・28歳・女性・農婦,主婦)

★楽しい時をありがとうございました。現在私は、「滋賀の森林・林業のあり方」専門調査会の委員をしています。甲賀森林組合の技術作業班員として山に入って4年半となります。

また、栗東と朽木村で行われている草の根農業小学校のスタッフを2年しました。三重県の愛農学園でも1年間住み込み、農場助手をさせてもらいました。

すべて小貫先生の考え方とつながっていると思います。ますますながっていければありがたいと思います。
(滋賀県土山町・39歳・男性・農林業)

★ついに東京の仲間と3人で、初めて“学校”に参加できたことを、大変よろこんでおります。

きっと素晴らしいものになるだろうと予想はしておりましたが、ここまでナイスな集まりとは!!

これからも是非参加し、このムーブメントから学んでいきたいと思います。
(兵庫県尼崎市・34歳・女性・翻訳業など)

★小さい家庭集会的勉強会が多数、回を重ねて行われることの工夫が希まれます。そういう流れができる中から、21世紀以降の文化が、人々によって手ざわりされるのかな?と思われます。
(滋賀県草津市・73歳・男性・環境自然学,微生物的環境技術研究所)

★最近、人は大地と切り離されては生きてゆけない、と強く感じます。これから、人間本来の“生きる意味”を楽しみながら見つけていきたいです。

「菜園家族」構想、それぞれの思いとそれぞれのかたちで広がってゆけば、きっとよりよい社会が生まれてくると思います。これから楽しいネットワークが、もっと広がりますように。
(京都市・28歳・女性・会社員)

☆新着情報&ご参加者のうごき☆

◆雑誌『現代農業』9月号(農文協,8月1日発行)、リレーエッセイ「時代を読む」のコーナーに、「“菜園家族”の酔夢譚」と題する小貫先生の一文が掲載されます。是非、ご一読ください。

◆7月の会終了後、大阪府堺市からご参加された川添豊美さんよりご連絡があり、地元のお仲間で実行委員会をつくり、『四季・遊牧』の上映会を開いてみたいとのことでした。「菜園家族」構想も、本を読み、みんなで勉強していきたい、とはりきっておられます。このように、身近な仲間が寄り合って学ぶ小さな勉強会が、各地で生まれ、その輪を広げるとき、きっと、それぞれの地域にしっかりと根を張り、かつ広範なリンケージをもった、確かなうねりへとつながってゆくのでは、と思います。

◆山口県下関市の松原健治さんから、研究室に『哲学・山歩・考』第109集が送られてきました。『四季・遊牧』や「菜園家族」構想に関するご意見が綴られています。山口県では、昨年2002年11月9日に、新南陽市社会文化ホールにて、『四季・遊牧』全編7時間40分を見る“お弁当二つの上映会”が開催されました。徳原敏正さん(68歳)ら市民グループが上映実行委員会を結成し、半年も前から地道な準備を重ね、会終了後は、まとめの冊子まで作られました。スタートから終わりまでのプロセスは、自主的な市民活動のお手本のようで、私たちも、たいへん感心し、大いに学ばせていただきました。7月の“菜園家族の学校”に、山口県下松市から、牧畜業を営む藤井右治さんがご参加されましたが、やはり徳原さんのご旧友で、上映会発起人の1人でいらっしゃいます。近々、地元有志のみなさんで「菜園家族の会」(仮称)をつくり、勉強していこうと話し合っておられるそうです。

◆7月の意見交換でご発言された池田博昭さんは、滋賀県八日市市の建築家です。現在、『根本から見つめなおして、ちゃんとした家をつくる』と題する連続セミナーを月1回、東近江地域振興局(八日市市)で開催しておられます。池田さんは、「住宅は、毎日の充実した生活を行う場所であり、生きる力を得る場所であり、また、夢を育む場所です。しかし、今、日本では、24年平均で砕いて建てなおすような、工業化量産住宅が圧倒的多数です。木という優れた自然素材と、伝統の技術や知恵を現代に生かし、いつまでも愛着を持って住みつづけられる、そして街並みにもマッチした家づくりができるよう、研鑚を重ねてゆきましょう。」と呼びかけておられます。 6月27日のセミナー第8回では、「近くの山の木を使って、家を建てられるようにしよう」をテーマに、犬上郡多賀町・鈴鹿山中の現地見学をした上で、山主、森林組合、製材所、設計・建築家、工務店、大工、施主、県・町行政など、関連各分野からのご参加者が、各々の立場から発言する話し合いがもたれました。 木造建築の再興が、放置の末に荒廃した森と、山の過疎集落と、木に関わる手仕事職人を甦らせ、森と野と湖を結ぶ流域循環型の地域圏を再生する原動力になるのでは、と希望が胸を浸します。

☆ご参加者のお便りから☆

湖北の里山に暮らして一年

滋賀県東浅井郡浅井町在住 三品 聡子さん(27歳)

楽しみにしていた以上に、向山氏のお話は心に残るものでした。

放映されたNHKの番組『“分かちあいはできますか”〜失業時代 迫られる新たな働き方〜』の中では、社員の方が収入の減る事に対して、マイホームの夢と子供の教育費とに頭を悩ませておられましたが、「子供が英語を習いたいと言ったら・・・・・」という奥さんの言葉に、私は自分で教えればいいのではないか、と感じました。教えられなければ、教えられるように勉強する。つまり、今の親自身、学歴はあっても、子供に教え伝えていくものが何も無いのであろう、と気付きました。私は、教えられることはなくても、自分が今感じている事など、多く子供達に言いたい事がありますし、伝えるべきものを今、学んでいるつもりです。

以前、滋賀県立大学交流センターで開催された“大地の讃歌21〜『四季・遊牧』上映&フォーラム〜”(2001年5月)に、福井県三国町で農業を営んでおられる“おけら牧場”の山崎洋子さんが来られ、「お金が無いならないで、子供達は工夫して鶏を飼い、卵を売りながら学校へ行きました。」とおっしゃっていたことが、たいへん印象に残っています。

そう、お金が無ければ、知恵を出し、時間が無いのなら、テレビを消してものを考えて、機会が無いと嘆く前に、自ら歩き求めて、そして何事も「大変、大変」と頭で考えず、実際に体を動かしてみると、以外と楽しいものです。ものを真摯に見つめ、本物かどうかを見極めて、社会の常識という既成概念から解き放され、心を自由に育むことが出来れば、本当の生きる素晴らしさを感じられるのかもしれません。

現在、菜園家族を志し、湖北の古民家に暮らし始めて一年。自分の足で探した古民家での生活は、四季の移ろいを肌で「美しい」と感じながら、日々、新鮮で安心な野菜・卵をいただき、自然の恵みに手を合わさずにはいられないものです。

周囲には芸術とも言える茅葺き民家など、多く空家となっており、私はその昔の日本人の暮らし・環境に対する美的感性というものが、これらの空家同様、人々の心から失われつつあるのではないかと、案じています。けれども私は、希望を捨てることなく、目に見えぬ力により道は通じてゆくのだと信じ、「美しき日本」を蘇生させたいと感じています。

2003年7月7日

*大津ご出身の三品さんは、ちょうど1年ほど前にご夫婦で、湖北に連なる伊吹山地の裾野にて、農のある暮らしをはじめられました。それに先立ち、北海道にまで住み込みの農作業実習に出かけられるなど、自らの力で着々と準備を積み重ねてこられました。その行動力に、私たちは、いつも感嘆しています。

現在、週に1度でかけるお琴の演奏は、楽しみであるとともに、自立を助ける現金収入にもなっているそうです。7月19日の会では、地元で従事できる仕事(林業や有機農業など)を探している旨、ご発言され、情報を求められていました。

浅井町といえば、まさに深々とした伊吹山系を擁する草野川・姉川流域地域圏。意欲ある若い力と、地元の方々の知恵とで、森と野の恵みを活かす活動が、育まれてゆくことを願うものです。

☆次回(9月20日)コメンテーター林昭男さんのご紹介☆

(林さんに書いていただいたものを、そのまま掲載させていただきました。)

“菜園家族”の住まいについて

“菜園家族”にとって、住まいはどうあればよいのでしょうか。小貫先生は、住まいについて、『菜園家族レボリューション』のなかで、次のように書かれています。

「“菜園家族”は、自分の一定の田や畑などの農業用地を私有し(1)、ゆとりのある敷地内には、家族の構成や個性に見合った(2)、そして世代から世代へと住み継いでゆける(3)、耐久性のある住家屋(4)(農作業場や手工芸の工房やアトリエなどの複合体)を配置することになります。もちろん、建材は日本の風土にあった国内産の材木(5)を使用することになります。」(p51)

私はこの文章を読んで、小貫先生は今の日本の住宅をめぐる現状を深く洞察され、将来の方向を示されたものとして感服しました。 そこで、この考えに基づいて私見を述べたいと思います。
“菜園家族”の住まいの要件として、次のことがあります。

(1)農業用地がある。

農産物を栽培することが暮らしの基本に据えられる“菜園家族”にとって、“土”がなくてはなりません。すでに農業を営んでいる人は、その土地を活用することとなります。

しかし、いろいろなケースが考えられます。身近にある遊休地を借りたり、市民農園を利用したり、また都市で暮らしながら週末農業のためにかなり離れたところに土地を求めている人もいます。地方都市に居住している人であれば、野菜をつくる程度の広さは、ちょっとした工夫で確保できるはずです。都会のアパートの屋上を菜園として利用している人も少なくありません。

菜園家族の形態は、多様な可能性があります。

(2)時々の暮らしに適合している。

家族の人数や構成は変化するものです。子育て、子供の成長、親の高齢化など、家族の暮らしと住まいの関係は変化します。従って、住まいには可変性が要求されます。細かく仕切られた間取りよりも、広い空間を建具や家具などを上手に使った空間構成が望まれます。暮らしの変化に耐えることが可能なものです。

(3)世代から世代へと継承できる。

世代をこえて住み続けることができるような住宅でなくてはなりません。日本の住宅の寿命は、25年〜30年といわれています。住宅を消費財として考えるのではなく、大切な文化的資産として育てていく気構えが住まい手に必要です。

(4)耐久性に優れている。

日本の民家のなかには、風雪に耐えて100年をこえて生き続けているものがあります。それらの家屋は、しっかりとした構造と住まい手の愛情に支えられて寿命を保っています。住まいの要件として、使うほどに味の出てくるようなものでありたいと思います。そして、作業場や仲間の集まる場所も併設されることが考えられます。

(5)建材は、国内産のものを活かして。

輸入住宅もある時代ですが、建材は国内産を使うべきです。できれば、近くの山の木を活用したいと思います。日本の山は、いま荒れています。山の保全のためにも、国内材を活用することが望まれます。産直形式で流通をはかろうとしている人もいます。

以上、列記したことは、基本的要件ですが、もう一つ、最も重要なこととして“環境への負担を少なく”することを考えるべきです。

それは、資源やエネルギーを節約し、CO2の発生をおさえ、浪費的な暮らしから、物を大切にしながら、豊かさを味わうことができるような暮らしへの転換をはかることです。

【林昭男プロフィール】

1932年  群馬県前橋に生まれる
1955年  早稲田大学建築学科卒業
1958年  早稲田大学大学院修士課程修了 今和次郎、今井兼次、吉阪隆正に学ぶ。

1960年〜 一級建築士事務所 第一工房パートナー 作品:大阪芸術大学学園総合計画 中部大学、筑波大学などの施設計画 公共図書館・住宅など多数。

1986年〜 林昭男建築研究室主宰 作品:西尾呉服店、ノイエス朝日など環境親和型建築の試作。

1995年〜 滋賀県立大学教授(環境科学部環境計画学科)作品:杉の木の家・井荻の家サスティナブルなデザインの研究と教育につとめる。

2003年〜 滋賀県立大学名誉教授 日本建築家協会会員、日本建築学会終身正会員

訳書:『エコロジカル・デザイン』
シム・ヴァンダーリン+スチュアート・コーワン著 林昭男+渡和由 訳
発行:株式会社ビオシティ 1997年

◆新聞の記事から◆

〜支局長からの手紙〜
「小さな町の挑戦」

黒沢明監督の映画「生きる」のシーンがよみがえってきました。不治の病を宣告された役人。それまでは前例を踏襲するだけのことなかれ主義。典型的なお役所仕事しかしてきませんでしたが、この世のはかなさを悟り、残された人生を住民のために燃やし尽くす。役人役の志村喬がブランコに乗りながら歌うシーンが心に残っています。 彦根市の県立大で毎月第3土曜日に開かれている「菜園家族の学校」で、徳島県上勝町の産業課長、山部倍生さん(55)の話を聞きました。前例にとらわれることなく、ビジネスチャンスに果敢に挑む起業家精神を感じ、「生きる」を思い出したのです。

上勝町は四国の東端に位置し、徳島市から車で1時間の山村です。55年には6000人を超えていた人口は今や2100人。高齢化が進み、このままでは若者や子どもがいなくなって町そのものが消失する。そんな強い危機感が山部さんの話からにじみ出てきました。

ところが、話を聞くうちに驚きのあまり「エッ」と声を出してしまいました。林業とミカンが主な産業だった町の課題を「森林や農地の荒廃」「ゴミ処理など廃棄物による大気や水質の汚染」などと冷静に分析し、真正面から課題の克服に取り組んでいるからです。

山部さんたちが走り回ってシイタケ栽培など雇用の場を次々と創り出しています。おばあちゃんたちが身近な野山にある葉っぱや花を料理のつま物に加工した「彩」。日本料理の季節感を豊かに演出すると高く評価され、今では年間売上2億円。ゴミの分別収集にも力を入れ、34品目と世界一厳しい町とも言われています。

今、取り組んでいるのが「緑の雇用」。一人前の林業の担い手に成長するまで物心両面で支援しようという試みで、大阪から赤ちゃんを連れた一家が移住してきたそうです。

もちろん、山部さんの奮闘だけでなく、町長らのリーダーシップが「大変身」を可能にしたのでしょう。ただ、これだけいきいきと自分の仕事を語れるのはすごいことだと思います。私も切に願います。「燃えて尽きたし」

【大津支局長・塩田 敏夫】(2003年7月27日付毎日新聞)

☆“学校”のお知らせ☆

次回以降の“菜園家族の学校”のコメンテーターは、以下のように予定されています。

*8月は、第3土曜日がお盆にあたるので、“学校”も夏休みとさせていただきます。

*9月20日(土):林昭男さん(滋賀県立大学名誉教授・建築家,東京都杉並区)
昨年度まで、本大学環境科学部環境計画学科教授。持続可能な社会にふさわしい建築とはいかなるものか。市民とともにつくるまちづくりや環境問題と建築との関わりに関心を持ちながら、新しい時代の住まいのあり方を研究し続けるとともに、自宅にて自ら都市型「菜園家族」を試みておられます。

*10月18日(土):柾木 高さん(画家,大阪府堺市在住)・摂さん(大学院生,新彊ウイグルの地域研究)
“農は芸術なり”と言う。画家としての父は、「菜園家族」構想をどのように受けとめ、若い世代の息子は、自分自身の夢をどう描くのか、世代を越えて親子で未来を語ります。

編集後記

多発する少年少女に関わる事件、そして不登校やひきこもりなど、子供たちをめぐる問題は、年々、深刻さを増しています。“競争”が煽られきしむ大人社会の精神構造が、子供たちの心をも浸食しているのでしょう。“学校”ご参加者の中にも、こうした面から危機感を持ち、様々な取り組みをしている方、これからはじめたいと考えている方がおられます。

「菜園家族」構想は、結局、人間が育つとはどういうことなのかを、問いかけているのです。今、たくさんの小さな心が苦しみもがき、私たち大人にむかって、必死にシグナルを発しています。この声にもならない悲痛な叫びを真剣に受け止め、ひとつひとつのいのちが輝く、そんな未来をめざしてゆきたいものです。(伊藤恵子)

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