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第2号
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通信『菜園家族だより』第2号(2003年5月31日発行)
第2回“菜園家族の学校”のご報告
薫風と草木の緑もさわやかな2003年5月17日(土)、滋賀県立大学(彦根市)A4棟−205大教室において、第2回“菜園家族の学校−大地に明日を描く21”が開催されました。 ≪上映≫、≪トーク≫、≪交流≫の3部から構成されたこの集いには、4月の開校時同様、湖西・湖北を含めた滋賀県全域のみならず、京都・奈良・三重・大阪・神戸・尼崎・明石など関西各地から、ご参加いただきました。約130名のご参加者の中には、第1回に引き続いてのご出席の方も半数以上おられ、会場は、いっそう和やかな雰囲気に包まれていました。 また、映画『四季・遊牧』の制作と上映活動において10年来お世話になっている、プロダクション大日 の久島恒知さんが、東京から応援に駆けつけて下さったのは、うれしい驚きでした。さらに、1999年夏、上映の旅で訪れた沖縄・竹富島からは、集落景観保存と地域づくりに取り組む喜宝院蒐集館長の上勢頭芳徳さんが、はるばるお越しになり、 「菜園家族」構想にエールを送って下さいました。(上勢頭さんにお寄せいただいた一文を、下記に掲載しております。) 以下、1・2・3部について簡単にご報告します。 1≪上映の部≫〜甦る大地の記憶〜 映画『四季・遊牧ーツェルゲルの人々ー』の鑑賞 13:00〜14:40は、全7時間40分のこの作品のダイジェスト版後編を鑑賞しました。1ヶ月をおいて2度目の鑑賞の方々にとっても、新鮮な発見があったようです。その時の社会の動きや、自分自身の状況の変化にもよるのでしょうか、制作者のひとりである私自身も、見る度に各シーンから考える材料を新たにもらいます。
2≪トークの部≫〜心ひたす未来への予感〜 「菜園家族」構想を語る 小休憩後、15:00〜17:10までは、社会・経済の混迷がますます深まりつつある現代世界において、私たち自身、どのような未来像を描いていけばよいのであろうか、「菜園家族」構想を基軸にして語り合いました。 (1)「菜園家族」構想の提起 まず、小貫雅男滋賀県立大学人間文化学部教授より、週休五日制による三世代「菜園家族」構想の骨子と意義について、話がありました。 現在、日本は「不況」・「デフレスパイラル」といった深刻な問題を抱えていながら、「構造改革なくして、成長なし」などと、未だ成長神話に囚われた堂々巡りの議論ばかりが続き、事態を打開できないでいる。それは、行き詰まりの根本原因を直視しようとしないからである。 その根本原因とは、戦後日本が高度経済成長を経て出現させた、大都市への極端なまでの人口集中と農山村の過疎化、そして第2次および第3次産業における過剰設備・過剰雇用によってもたらされた絶対的過剰供給の現実なのである。それなのに、市場原理至上主義のアメリカ型“拡大経済”が、さらなる容赦ない競争を迫ってくる。 今や、「夢をもう一度」という幻想と未練をきっぱりと捨て、新しい価値に基づき、ゆがめられた国土の居住・資源・産業の構造を改め、地域の自然に根ざした人間味あふれる循環型の経済・社会の枠組みを築く必要がある。 それには何よりも、大地から離れてしまった人間が、再び大地に深く根をはり、家族と地域が生き生きと甦ることが、基礎になるはずである。それは、賃金によってのみ生きる根無し草ではない、自立した新しい人間の創出をめざすものでもある、といったお話でした。 (2)中村均司さんからのコメント 第2回のコメンテーターに、京都府農林水産部の中村均司さんをお招きしました。2001年に府職員に向けて『四季・遊牧』上映会を企画され、つづいて府庁内各部局有志による研究会にも招いて下さったのが、お知り合いになったきっかけです。 当日のお話の中では、守田志郎という研究者が、すでに1970年代から「小農」を評価していたことについて紹介がありました。また、守田さんは、統計や農業政策上、農家を「専業農家」とか、「兼業農家」とか、「販売農家」、「中核的農家」などと、分類しランク付けすることに疑問を呈しておられたそうです。本来、農家というものは、兼業をしているほうが自然で、それはあくまで、循環的な農業生産と暮らしを続けてゆく上での不足分を補う収入を得るためにである,農業を「産業」として捉えるのではなく、一戸一戸の農家が、循環的な暮らしを成り立たせることこそが、大切である,その共通目標を実現するためには、集落内でお互いに協力することが必要である、と主張されていたそうです。 中村さんも述懐されていましたが、今になって、その主張の意味するところが、たいへんよく分かります。 (3)質疑応答・意見交換 様々な年齢層の方から、ご意見、ご質問がありました。 例えば、長年企業に勤務された男性は、孫を田畑に連れてゆくと、のびのびと嬉しそうに手伝ってくれる。だから子供の成長という観点からも、「菜園家族」構想は必要であると実感している。しかし、この構想を実行すると、生産力は落ち、日本は国際競争に負けるのではないか、と疑問点を指摘しておられました。 また、失業中の方からは、今の苦しい状況をどうやって打開したらよいのだろうか、というご質問もありました。 今回の大きな特徴は、こうした問いかけに対して、中村さんや小貫先生が応えるのと同時に、会場の中からも、励ましの言葉や関連したご意見が絶え間なく出てきたことです。次々に挙手が続き、司会者がやむなく「この時間は、この方で最後に」と言うと、無念のどよめきが起きるほどでした。 そこで、次の≪交流の部≫でも、引き続き、自由に意見交流をすることにしました。 3≪交流の部≫〜語らいと喫茶〜 17:20から同じ会場で、上勢頭さんの差し入れ?本場泡盛や波照間島と西表島の名産・黒糖、また、内モンゴル留学生たちによるモンゴル乳茶、六甲 弓削牧場(神戸市北区)の生チーズなどをいただきながら、さらに活発な情報交換・交流がつづけられました。 17:20から同じ会場で、上勢頭さんの差し入れ?本場泡盛や波照間島と西表島の名産・黒糖、また、内モンゴル留学生たちによるモンゴル乳茶、六甲 弓削牧場(神戸市北区)の生チーズなどをいただきながら、さらに活発な情報交換・交流がつづけられました。 市民の皆さんの積極的なお姿に、スタッフの学生たちも触発され、交流会でお知り合いになった張り籠づくりの方や、マキノ町への移住を準備されている方を早速、訪問するなど、俄然はりきっています。 ☆前回(5月17日)のコメンテーター中村均司さんのご紹介☆
(中村さんに書いていただいたものを、そのまま掲載させていただきました。) 【プロフィール】 【菜園家族について】 「あなたの夢は、今、私の夢になりまし た。そして、これからは、私たちの夢 になることでしょう。 」 一昨年のBSEの国内での発生に始まって、食品の偽装表示、輸入農産物の残留毒性、無登録農薬の使用など、「食」の信頼性を揺るがす問題が次々とおこりました。私は、これら一連の出来事は、我が国の「飽食バブル」の全般的な崩壊過程と考えています。 これに対し、トレーサビリティ・システムの導入などが講じられようとしていますが、我が国の40%という低い食糧自給率や農業の担い手不足など、問題はもっと広く深刻であるように思います。農業技術や経営の研究普及、農業行政に携わってきたものとして、農産物を作る技術そのもの、農業経営のあり方そのもの、流通・販売の方法などが、これでよかったのだろうか、と自問し反省をしています。 いろいろ考えもするのですが、農業分野内で解決できない問題に突き当たります。それは、効率・モノ・金を中心とした社会・経済の仕組みや人々の価値観。特に、閉塞感の中で、社会・経済の動きは、ますますそのスピードを加速させようとしています。そんなとき、小貫先生の『三世代「菜園家族」酔夢譚』に出会ったのです。 あまりにも自由で大胆な発想。しかし、考えてみるとそのとおりなんです。しかも、その基本には、大地に根ざした「菜園家族」が位置づけられているとなると、ありがたくさえ思いました。同時に、小貫先生の示された「グランドデザイン」に対し、それを家にたとえるならば、様様な分野の人達が床や壁をはったり、玄関や窓を作ったりといった作業が要るのではないか、と考えています。私の場合には、菜園家族が行う農産物の作り方、加工・販売方法などです。恐らく現在の大量生産・大量流通・大量消費を前提としたものとは、異なるものとなるでしょう。 【コメンテーターになってしまった訳】 以上書いたような私なりの問題意識を小貫先生や伊藤先生とお話し、ご教示願おうと、昨年秋頃から、連絡をとっていたのですが、日程が双方折り合わず、今回に至りました。そのため、私の「菜園家族」の捉え方や考えが、これでいいのか、自信ありません。 しかし、これからの新しい取組みや研究は、大学や研究機関の専門家や行政関係者だけでなく、実践家、企業、もちろんサラリーマンや農家、消費者など幅広い市民の方々が対等に参加した共同作業の中から生まれるのではないか、と最近考えています。 そのような意味で、今回の「菜園家族の学校」の取組みに、浅学を顧みず、参加することといたしました。 ☆アンケートより☆
(今回お寄せいただいたアンケートは、20代・30代の若い世代からの前向きなご感想が多いのが特徴的でした。親の世代にあたる向山さんや小貫先生が、なお未来にむけて夢を描いておられる姿に触発されたのでしょうか?) ★子供たちに社会科の学習を指導していますが、「日本の農業」という学習単元で、「専業農家」「兼業農家」「零細農法」「大農法」という言葉が盛んに出てきます。 中村さんの話でカルチャーショックを受けた部分があり、今後の指導にぜひ生かしていきたいと思います。 たくさんの方が、この学校にご参加されていることを知り、現状に対する危機を感じ、未来への展望を求められて、真剣に考えられているんだなということで、私自身も勇気づけられました。 ★「農業は、暮らし、生活そのものである」ということには、おどろきと共に、以前からそういうことを考えていた人がいたということにも、すごいなあと感じています。「生活」というものが別にあって、農業はそのための手段というふうに、思っていたのだと思います。 中村さんのような人がいるということも、ちょっと意外でした。たいへん失礼な言い方をしているのかも知れませんが。地方公務員ですよね。現場と直接かかわられて、精農家を育てられようとしているのも、すごいなあと思いました。 ★滋賀の地で、小貫先生がめざされている「菜園家族」を中心とした先進的な地域づくりができるといいなと思いました。今日のお話を聞いて、現在までの人生観・発想の転換が、特に重要なことを教えられました。 ★週2日の仕事も、だれかが提供してくれるのを待っていたら、無理だと思います。自分たちで仕事を作り出していくべきではないでしょうか。 たとえば、年をとったらだれもが直面する介護のサービス、生活に必要な工業製品のリサイクル業(修理など)、個人タクシー、農産物の販売や加工、観光農園、レストラン、etc・・・。 これらは、もうけるためではなく、互いに持っている技術を提供し合い、生活に必要な報酬を得ていけばよいのではないでしょうか。そして、自由な、しかし互いに支え合うことができる人間関係を築いていきたい。 そのために「場」がほしいのですが、「犬上川流域圏」に住む私は、そこに夢を持てないのが悲しいです。 ★はじめて参加させていただき、多くの魅力あふれる皆様にお会いでき、お話を聞かせていただくというすばらしい場所を提供して下さった先生方に、感謝しております。 人ひとりが努力され、すばらしい体験をされていることを発表しあうというのは、普通ないことで、しかも、それぞれの方が、自信をもって語って下さる、こんな場所が「大学」なのだなあ、と思いました。 ☆ご参加者のお便りから☆
さいはての南の島から 上勢頭 芳徳さん(60歳・沖縄・竹富島在住) “菜園家族の学校”の案内をいただいて、いつか参加できる時があるはずと、毎月第3土曜日に印をつけていました。思いがけず、チャンスは早くやって来ましたが、しかしこれって失礼ですよね。なんぼ遠く離れているといっても、ついでに参加するものではない集まりだと、実感しました。いろんな集まりに参加したりしますが、琵琶湖のほとりのゆったりとした環境が、このテーマに似合っていることもあって、これまでにない、非常に快い刺激的な集まりでした。 ビデオ上映では、久しぶりに見るツェルゲルの懐かしい人々。初めて見たときには見落としていたこともあり、あらためて新鮮な感動もありました。始まる前に、アディアさん、ハイルちゃん親娘とアイソイさんがつくってくれた乳茶のせいもあったことでしょう。 そして小貫先生の講義と中村均司氏のトーク。その後の質疑応答、意見交換には驚かされました。小貫先生の「菜園家族」酔夢譚を読んだ時には、驚きとは別に、先駆的で何やらまだ実感がつかめないでいたのですが、時が経ち、すでに実践している人たちの意見を聞いて、感動しました。なにせ、NHKの日曜討論で、自民党の大臣がワークシェアリングを言う時勢になったのですから。4月30日夕方のラジオでも、某経済研究所の上席研究員が、「豊かなる衰退」と話していました。「菜園家族」はそういったことに先駆けていたのですね。もう事態はここまできているのに、相変わらず、構造改革なければなんとやら、と言っている人が、とうとう国会の場で憲法改正(改悪)を明言してしまいました。 こんな時代だからこそ、私たちは、DNAにかすかに刷り込まれている、生活型農業という人間の簡素な生き方を再構築することが必要でしょう。中村均司さんがおっしゃるように、農業に勝敗はないのですから。 私たちも、この30年間、日本最南端の小さな島で、過疎化に抗して、町並み保存運動をやってきましたが、土地を売らないという憲章をつくっていたおかげで、比較的良く守ってこれたと思います。さて、菜園家族がどう根付いていくか・・・。 すばらしい簡素なくらし 保坂 喜美さん(81歳・神戸市在住) 今から五十数年前に、この滋賀の湖東町で百姓暮らしをしたことを想い出します。 東京で昭和二〇年三月に罹災して、故郷をたよって帰り、義母を手伝って、二反半の田に牛と一緒に入って田を耕して、米・麦を作り、野菜全般も作りました。 終戦直後に長女を、三年後に長男をその地で産み、育てました。お乳をやるのも野良仕事の一服仕事です。 あの江州独特の腰までのお湯に傘をおろして温まるお風呂はなつかしく、そのおとし湯で薄めた肥やしも、上手にかつげるようになりました。それらすべてを川で洗うので、当然回虫もお腹で飼いました。 隣村のお寺に幼稚園があって、長女はお隣の○子ちゃんと道草くいつつ、着くのはお昼近く。お弁当を食べて帰っておりました。あの頃は、ドジョウも大切な蛋白源でした。雪の多い冬には、広い家の中でモミガラをいぶす火鉢一つ、などなど・・・。 今、それらをなつかしく思い返すと、ゴミも出ない、生産から消費まで、完全循環のくらしです。そんな環境で幼少時代くらしたことは、その後の成長の基本となる健康と、努力のできる辛抱強い性分をつくってもらったかな、簡素なくらしってすばらしいな、としみじみ思うことです。 若い方たちに聞いてほしいなと、会場ではマイクを手にしてしまいました。 (保坂さんは、数年来、『四季・遊牧』上映会を応援し、その輪 を周囲に広げて下さっている方です。同時に、私たちの研究室 には、自然に根ざした暮らしを模索する様々な活動・情報をご 提供くださっています。第1回コメンテーターの矢崎和仁さん の奥様のお母様であり、4月に引き続き、5月も、矢崎さんと ご一緒に神戸よりご参加くださいました。) ☆次回(6月21日)コメンテーター向山邦史さんのご紹介☆
昭和18年(1943年)3月生まれ、今60歳の、還暦を迎えたお爺さんです。 仕事は、向山塗料という16名で、建築や工場への塗料卸業がメインで、年商9億円規模です。別会社でフェニックスという環境グッズの販売、BDF製造販売などの会社もしています。 高度経済成長期には、社員の尻を引っぱたいて売上をバンバンあげて、ゆくゆくは上場をと考えた時期もあるほどの、ガチガチのいわゆる社長でした。 が、半数の社員が1年で入れ替わったり、独立してライバルになってしまった社員もいたりなど、様々な問題が噴出して、強度のノイローゼ(精神病の一歩手前)で1年半ほど何時死のうかと思い悩みました。 いつとははっきり判りませんが、徐々に当たり前の精神状態に戻ってくる過程の中で、人生を変えてしまうほどの出会い、経験が何度もありました。(この時の体験から、挫折、困難なことは、後になって必ず肥やしになってくれることを学びました。その意味では、現在いわれている不況、不景気も、必ず良い結果をもたらしてくれる有難いものなのでしょう。)愛知県一色町の石川てる英さん、ネットワーク地球村の?木善之さん、七福醸造の犬塚敦統さんなどで、私の歩んできた道とは随分違う人たちばかりでした。 この人たちと接触が多くなる中で、私が善としていた会社を大きくする、お金儲けをガンガンにしてゆくなどの価値観が崩れてゆきました。結局、この地球と言う星しか住めるところがない。この星が住めないようになったら、私や家族だけでなく、すべての生命が困ってしまう、ということでした。このことが私の現在の思考の大半を占めています。 10年前の経営計画発表会で、コンセプトを「私たちの仕事は、地球を美しくすることです 」と定め、本格的に会社と地球環境との共存の道を探ってきました。大量消費、大量廃棄を止めるべく、売上を年々計画的に減らしたり(6〜8%)、ISO14001を取得したりしました。売上減は利益減になり、倒産の方向に進みますが、徹底した「もったいない」で、固定費を削減しているために、赤字ではない運営を続けています。母なる地球環境に満足してもらえる経営を目指す「GESM」を実現するために、ワークシェアリングをし、一週間に4日働いて3日休み、会社で現金収入を得、会社以外で農業をして自給自足をする屯田兵会社、 「自給自足会社」を目指しております。 「自給自足会社」を作るために一番難しいことは、社員が「幸せの根本はお金」と思っており、一寸やそっとでは考えが変わらないことです。お金に対する考え方が変われば、「自給自足会社」への動きは、一気に加速すると考えているのですが ・ ・ ・ ・ ・。 価値観を変えるということは、生き様、哲学が変わることですから、抵抗が大きいのも当たり前のことです。気長に急いで早く目標とする仕組に軟着陸できるよう、社員と行動を重ねてゆきます。 今日は有難う御座います。 ◆新聞の記事から◆
〜支局長からの手紙〜 何かが静かに動き出したようです。彦根市の県立大で先月から始まった「菜園家族の学校」。参加者は20歳代の若者からリストラされたサラリーマン、お年寄りの夫婦まで約200人。足元の生活を見つめ、人間にとって本当の豊さとは何かを考え、行動に移さんという熱気にあふれていました。 県立大学教授の小貫雅男さん(68)が提唱したものです。現金収入を得るための会社勤めは1週間に2日、残る5日は菜園で農作物を作る。大地に根を下ろした生活を送りたい。まず、思いを寄せる人々が集まって話し合うことから始めようという試みです。 最初は理想にすぎないと思っていました。ところが、いのちの大切さを語り続ける小貫さんにぐっとひきこまれていきました。 中国東北部生まれ。敗戦後に日本に引き揚げ、貧しいながらも懸命に大地を耕す生活を送った小貫さんは訴えました。 年間の自殺者数は3万人を超え、子供たちの不登校も増加の一途。長年働き続けたお父さんたちが合理化の名の下で当たり前のようにリストラされている。人間らしい誇りを失った社会は明らかに行き詰まっている。今こそ、強者の論理が横行するだけの市場原理主義と決別し、大地に生きる人間復活の道を歩もう?。 そのうえで、過疎化、高齢化が進む村に人々が帰ることで「いのち」を与え、幾世紀もかけて築いてきた循環型の村として再生させようと呼びかけました。 参加者からは実に活発な意見が出されました。規模拡大の農業が行き詰まっていることが指摘され、ある農家はせっかく豊かな大地がありながら耕し手がいない現状を嘆き、「やる気がある人がいればいくらでも斡旋する」と呼びかけました。また、自給自足の生活を目指して農業に挑む若者の実践も紹介されました。 効率、能力主義が生み出したすさんだ社会を見つめ直す機会になりそうです。琵琶湖のほとりで始まった小さな学校がどんな種をまくか。私も参加したいと思っています。 【大津支局長・塩田 敏夫】(2003年5月12日付毎日新聞) 編集後記
資源の浪費を前提とする“拡大経済”の行きつく先は、結局、今回のアメリカによる圧倒的な軍事力を背景としたイラク攻撃に見られるような事態です。「先進工業国」に生きる私たち自身が、循環型社会を本気で目指すかどうかは、そのような殺伐とした未来を選ぶか、否かという、大きな分かれ道でもあるといえるのではないでしょうか。 “菜園家族の学校”にご参加される多くの皆さんが、熱意をもって新しい社会の枠組みをもとめておられる心の奥底には、こんな時流にあっても大勢に流されず、互いのいのちを思いやる、人間らしい倫理を何とか失うまいとする、切なる願いが秘められているようにも感じられるのです。(伊藤恵子)
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