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Nomad image通信『菜園家族だより』第7号(2003年11月30日発行)

第7回“菜園家族の学校”のご報告

寒風に枯れ葉舞い、いつの間にか季節が晩秋から冬へと移りゆく頃、2003年11月15日(土)、滋賀県立大学(彦根市)A4棟−205大教室において、第7回“菜園家族の学校?大地に明日を描く21”が開催されました。

今回も、約100名ものご参加がありました。 遠くは島根、岡山、和歌山などからもはるばるお越しいただいたことは、本当にうれしいことです。

9月のコメンテーター林昭男先生・知子先生からは、その会でお話下さった東京・杉並での「菜園住宅」について、カラー写真をまじえビジュアルにまとめた資料をお届けいただきました。その際、熱心に希望されていた方々にとって、格好の資料となりました。

また、同じく9月の会で、モンゴル調査旅行について報告と写真展示を行った学生たちは、その後、さらに充実させた写真作品から展示をしました。壁に掲示するものに加え、エッセイを書き添えたアルバム作品も、一人一人つくりあげました。この機会に多くの皆さんにご覧いただけたことを、たいへん喜んでおります。

以下、1・2・3部について簡単にご報告します。

1≪上映の部≫〜甦る大地の記憶〜 映画『四季・遊牧ーツェルゲルの人々ー』の鑑賞

13:00〜14:30は、三部作 全6巻,7時間40分の完全版より、第3部「忍び寄る秋−歓喜、そして思索−1993年盛夏〜晩秋」上巻を鑑賞しました。この巻では、盛夏、雄大な自然に抱かれて、子供たちがのびのびと成長する姿が印象的です。おてんば次女ハンドは、ヤギの乳搾りに、乗馬の初稽古に、遠出をしてのフムール(野生のニラ)摘みに挑戦し、両親や姉弟たちとのふれあいの中で、心と体を育んでゆくのです。

次回12月は、いよいよ最終巻。再びめぐりくる秋の季節、遊牧民たちの大地への思い・未来への思いを描く第3部・下巻を上映します。

『四季・遊牧』のご感想より

★まず初めに『四季・遊牧』の映画を見るのは、非常に素晴らしい組立だと感心します。映画を見ているうちに、いつの間にかモンゴルの大草原の中にドップリとつかり、また幼い頃のなつかしい原風景と重なり合って、すっかりタイムトリップした気分になってしまいます。
(滋賀県彦根市・59歳・男性・会社員)

2≪トークの部≫〜心ひたす未来への予感〜 「菜園家族」構想を語る

14:45〜17:15までは、「菜園家族」構想を基軸に、私たち自身の未来を語り、考えました。

(1)「菜園家族」構想の提起

前回の小貫雅男滋賀県立大学人間文化学部教授のお話では、“人間と道具との関係”を辿ることによって、「菜園家族」構想の歴史的位置を考えました。

今回は、ではなぜこの「構想」が、“家族”を重視し基盤に据えようとするのかを、生命の起源に遡り、深めてみました。つまり、人間という存在にとって、一体“家族”とは何であるか、ここで改めて考えてみようというのです。

この地球に最初の原初的な生命体があらわれたのは、今から30億年前のことだといわれています。この“いのち”は、太古の海の中で育まれ、気の遠くなるような歳月を重ねて、やがて、 魚類へと進化し、両生類を経て、爬虫類として陸上に上がることになりました。さらに、鳥類、哺乳類へと進化がすすみ、最初の人類オーストラロピテクスが出現したのは、およそ300万年前のことだと言われています。

このような生命の進化の一連の過程を、「系統発生」と呼んでいます。

ところで、私たち人間の赤ちゃんは、母のおなかの中で育てられ、外の世界へと生まれ出てきます。受精卵の子宮壁着床から誕生までの間、胎児は、日に日に変化を遂げながら大きくなってゆくわけですが、それは、驚くべきことに、生命が30億年かけて進化してきた壮大なドラマを、この十月十日で再現する過程でもあるのです。これを「個体発生は、系統発生を繰り返す」 と表現します。

母の胎内の羊水は、太古の海の組成に酷似していると言われています。胎児は、「母なる海」の中で、いのちを育むのです。母子間で栄養と老廃物をやりとりするへその緒は、さながら、海中パイプラインといったところです。

こうして生まれる人間の赤ちゃんは、他の哺乳動物の赤ちゃんと比べた時、大きく異なる点があります。例えば仔馬は、産み落とされたと同時に、自力で立とうとします。しかし、人間の赤ちゃんが歩行できるようになるのは、ようやく1年近く経ってからのことです。ですからその間、母を中心とする周囲の年長者の手厚い庇護が不可欠です。そこに人間特有の“家族”が生まれます。

いわば“常態化された早産”ともいえる誕生の後の1年は、人間にとって大変重要な期間となります。つまり、胎内という「海中」から、空気と光と動植物のあふれる大地へと生まれ出た赤ちゃんは、“自然”や、母や家族たちとのふれあいの中で、様々な刺激を受けながら、脳と神経系統を発達させてゆくのです。その時、言葉も身につけてゆきます。実は“早産”は、人類の特徴である大きな脳を、人間特有のものに発達させるための方法だったのです。

この“早産”によって、“家族”の絆が必要となり、そこに最も素朴な愛情が育まれ、豊かな言葉が生まれる条件が出てくるのです。そして“家族”は、“自然”という大きな揺籃の中で、体を動かして働き、手と脳を使い道具を工夫し、生きてきました。“家族”はまた、子供に生きる知恵を継承する“学校”でもあります。人間は、一人前になるまでに十数年もかかるので、“家族”の果たす役割は、はかり知れなく大きいのです。

この一連の育ちゆく条件を失った時、人間は、もはや人間ではなくなるのかもしれません。現代社会で頻発する子供をめぐる問題の根本的原因は、結局、ここにあるのではないでしょうか。人間としての「系統発生を繰り返す」べく、初めて外界に生まれ出てきた現代の赤ちゃんは、“自然”と“家族”という最も本源的な受け皿を失い、きっとびっくりしているにちがいありません。

空洞化した“家族”や“地域”に、精神性やかけ声だけで、人を呼び戻せるわけではありません。共通に働きかける生産手段がそこにない限り、日常的に力を合わせて暮らす必然性は生まれてこないものです。

「菜園家族」構想が、生きるに必要な最低限の土地と道具を、それぞれの“家族”にとり戻し、“自然”に抱かれた暮らしを現代に確立しようとするのも、人間が工場で製造されることのない“いのち”である限り、決して避けることのできないこの“家族”が基盤になるのが自然だと考えるからであり、ますます“いのち”が軽んぜられる今日の殺伐とした世界に抗して、ひとつひとつの“いのち”が自由に花咲く、新しい社会の枠組みをもとめるからなのです。

(2)池田博昭さんからのコメント

第7回のコメンテーターに、滋賀県八日市市で建築事務所を開く池田博昭さんをお招きしました。

池田さんは、3年前まで、主に北米産の材木を使っておられたそうです。それが、過度の伐採による現地の森林破壊が問題になってきたことと、「池田さんも、国産材を使った建築もやってや」との声を受けたことから、滋賀県の山の木で家を建ててみることになったのです。

ところが、行動する中で初めて分かってきたそうですが、県内産と明確に分かる丸太をどこで購入するのか、それをどこでどのように乾燥するのか、どうやって製材するのか、自然の素材を生かすことのできる大工さんや左官さんはいるのか・・・・・などなど、次々に難問が立ちはだかり、ひとつひとつのハードルをクリアするのは、相当な苦労だったそうです。特に、丈夫な用材にするために、木の乾燥は重要な過程ですが、池田さんたちが考案した薫煙熱処理という方法は、理論的には確立されているものの、実用化まではあと一歩、さらなる試行錯誤が必要だそうです。

今、効率を最優先する経済システムの中で、“職人さん”でさえ、もはや、工夫したり、間違えたり、考えたりする“無駄な時間”をそぎ落とし、工業素材を使い、マニュアル通りの工程で、短時間で効率よく、決まったものしか作らない人になっているそうです。

そういう中で追求されてきた“技術”は、最先端ではあれど、しなやかに応用が利かないのだそうです。ですから、自然素材を使うなら、その目標に適った技術を、自分たちの手で再構築する必要があり、それには森と野の多分野の人との連携が、必要になってくるのです。

「近くの山の木を使って家を建てる」という目標をたて、行動にうつした時、いろいろな課題が初めて明らかになり、深まってゆく・・・・・。「時々、くじけそうになるが、ここを突破しなければ、と思ってやっています。」とのお言葉を聞いていると、池田さんは、その“苦労”を実に愉しまれているのではないかと、感じられてきます。たゆみない努力と確かな志に裏打ちされた池田さんの楽天性に、“建築”という分野を越えて普遍的に通ずる、勉強や創造活動の本来の姿を教えていただいたようで、小貫先生のお話とも合わせて、人間が育つとは何かを深く考えさせられました。

コンピューター画像提示など、今回、お手伝い下さった事務所の勝部喜成さんと大隅智章さんも、こんなすてきな先生のもとで経験を積み、やがて巣立ってゆかれることでしょう。

☆前回(11月15日)のコメンテーター池田博昭さんのご紹介☆

(池田さんに書いていただいたものを、そのまま掲載させていただきました。)

【プロフィール】

○池田建築計画 一級建築士事務所 代表
○1979年、滋賀県八日市市金屋にて事務所開設
○1990年、同市緑町に移転、現在に至る。
○受賞歴:1995年、八百亀 商店コンクール(滋賀県商工会主催)知事賞受賞
1996年、酒游館 麗しの滋賀建築賞(滋賀県主催)受賞
○URL http://www.ne.jp/asahi/ikeda/plan

【日本の住まいをめぐる現状】

住まいは人にとって必要であり、生きて行く上での希望でもあると思います。

その住まいが、今では25年ほどで取り壊し、また建て替えられています。なぜ、そのような状態になってしまったのか考えてみると、住宅に魅力がなくなってしまった、というのが共通した理由のようです。

今、一般の住宅でも、建築材料は工業製品が多くなっています。本物に見せかけた、安くて狂いのない物をつくることができますが、どうも時間とともに魅力が失せます。

また、マニュアル通りにすれば、誰がつくっても同じ結果になるようになりました。職人は決まった物をつくる人になり、「人が必要とする物をつくれる人」ではなくなりました。

ほとんどの建築材料が工業製品に置き換えられた現在、ようやく残ったものが木材です。しかし、その木材でも、国内自給率は2割で、多くは海外からエネルギーを費やして運ばれてきているのです。戦後植林された木が、十分使える状態まで育っているのに、それらは放置され、山の荒廃が進んでいます。

左官の材料にしても、自然の土を扱うのをやめ、調合品として工場生産により供給されています。これらは主に樹脂でプラスチック化して固めるもので、土の壁が持っていた吸放湿性を大きく失いました。魅力の失せた材料と湿式構法特有の工期の長さを嫌われ、左官の仕事自体が、消滅の危機に晒されているのです。

このように、手間のかからない見かけだけのすぐに出来る家の普及により、延々と築き上げられてきた自然の素材を扱う知識や技術が失われ、出来たときが一番良く時間とともにみすぼらしくなって行く、魅力のない家が大量につくり出されてきました。

その結果が、25年ほどで取り壊し建て替えられることになったと考えます。

【近くの山の木で家を建てる】

もう一度、伝統の知恵と伝承された技術から学び、それを科学の力を借りて実証しながら、自然素材の性質を理解し扱う技術を再構築しなくてはなりません。

木材の場合、近くの山の豊富な木を使うのが基本です。用材にするためには、乾かす必要があります。杉の木を自然に待って乾かすのには2年間以上必要ですが、私たちが進めている方法なら、24日位で完全に乾きます。これは、木くずを燃やし煙でいぶして乾かす薫煙熱処理、薫煙乾燥として、理論的に確立されている方法です。実用化は簡単ではありません。装置は手作りで、その特性は一様ではないからです。

しかし、これは何も特殊なことではなく、工業素材を決まったやり方で扱う“与えられた技術”とは正反対の、自分たちの目標にかなった技術を、多くの人の力を合わせて再構築する努力が必要なのです。

このような考えを方々で話しかけてきた結果、賛同を得て、2000年に「里の家をつくる会」、2002年に「淡海の舎事業協同組合」が生まれました。両会の共催で2002年11月から月一回、「根本から見つめなおして、ちゃんとした家をつくる」という連続講座を続けています。

もう簡単に家をつくるのはやめにして、本当に必要な家を、時間と手間をかけてつくってはどうでしょうか。山の木をたくさん使うことによって、山にも仕事の機会が多く生まれます。手仕事によって、多くの職人に本来の仕事の機会が生まれます。人が本当に必要とする家が出来ます。

☆アンケートより☆

★滋賀県の木材で住宅がまかなえるという池田さんのお話には、驚きました。湖北のマキノ辺りでも、林業に従事する方が高齢で、手入れができない、と聞いたことも思い出し、県産木材を使って、自由な発想で家づくりを進めていらっしゃるというお話は、有意義でした。
(滋賀県守山市・51歳・女性・添削指導員)

★その昔(40数年前)、木造の家を建築する時の光景を思い出しました。土壁を練って、左官さんが手にもった板に壁材をのせて壁塗りをし、高い所では、下から左官さんが投げる壁材を板で“ホイッ”と受けて塗っていたことや、柱のカンナがけで、薄い木くずがクルクルと丸まって落下する様や、墨壺から糸印をつけていた風景を、飽かずに眺めていました。

  

技の中に思考があり、知恵が生きていたように思います。今や「アルバイト大工さん(経験のない)」もおられると聞いています。昔の職人さんがもっていた誇りは、ないでしょうね。
(滋賀県草津市・51歳・女性・主婦)

★池田さんの仕事にかける情熱が、その話しぶりからもビンビン伝わってきて、大変感動しました。自分の仕事を常に前向きにとらえ、飽くなき挑戦をしておられる姿を見聞きし、陰ながら拍手喝采を送りたい気持ちでイッパイです。

池田さんの仕事ぶりを見ていると、労働自体の中に人間性の回復を求める、というアプローチも、大切なことのように思えました。交流会の中で、今後の具体的な目的、進め方の提案がなされまし たが、私は、こうして月1回の“学校”に参加すること自体に、意義を見出しています。『四季・遊牧』を見て、いろいろな人々の生き方、考え方を聞き、モンゴル乳茶をすすり、それこそ酔心地、 夢心地のひととき。そのような場を設けていただいて、大変ありがたく思っています。出来ることなら、いつまでも続くことを願っています。
(滋賀県彦根市・59歳・男性・会社員)

★小貫先生の、30億年前の生命の発生から進化して、人類までの過程を、人間の胎児は繰り返して、人として産まれてくる、また産まれた段階では未熟で、そこに家族のかかわりあいが出てくる、との見解、雄大な構想には、敬服いたしました。

ところで、この“学校”は、今後どのような方向で進められるのでしょうか。これからは、具体的な形を作ることが必要ではないでしょうか。私自身、有機野菜栽培を心がけておりますが、いまだにこれで良し、といった形も出来上がらず、試行錯誤の連続です。
(滋賀県守山市・66歳・男性・自家菜園)

★不透明な時代に、この“学校”で、一筋の光を灯していただき、本当にありがとうございます。この光を消し去ることがないように、出来れば、大阪堺市の方々のように、各地域で継続してグル ープディスカッションをして、その結果をまた、この“学校”へフィードバック出来るよう、希望します。
(奈良市・64歳・男性・定年後、自然菜園をしています)

★岡山にいて、彦根から立ち上る煙が、ユートピアの目印です。その煙をより大きく見やすいものにするよう、薪をくべて火を保ち、煙を立ち昇らせるために、参加しました。

家の耐久年数、約25年=1世代。家族の耐久年数も25年に。世代と世代の分離。人と道具の分離。長い時間で考える思考法の必要性を感じました。7時間40分の映画。
(岡山県真庭郡勝山町・24歳・男性・パート社員)

★現在、コンピューター会社に勤めています。会社では、環境への取り組みが活発で、最近、霞ヶ浦の流域を中心に活動している環境  NPOと連携し、会社として「里山」をお借りし、ここを社員に開放し、いろいろな農作業が体験できる場づくりが進んでいます。

季節を彩る様々な野菜を作ったり、土地の果物をその場で食べたり、さらに酒米を植え、収穫期には、みんなでお酒を酌みかわす計画もあるなど、いろいろな構想が湧きあがっています。近隣の農家の方とも交流を進め、家族ぐるみで、もっと土地にふれあえる機会を増やす計画もあります。

会社員として、なかなか農作業を体験できる機会がなかったのですが、今後は、こうした場を通して、農作業のやり方を身につけ、将来の「菜園家族」の一員として、がんばっていこうと思います。

 私の周囲でも「菜園家族」構想に共感する人が増えていますし、会社の中でも、少しずつですが、この「構想」に向けた動きが、出てきているように思います。将来展望が描きにくくなっている近代社会に代わる、新しい文明のパラダイムシフトが、じわじわと広がっていることを強く実感します。

一人一人が自分の人生の「主役」として生きられる「菜園家族」が、社会全体に広がる時代の到来も、それほど遠い未来の話ではないように、思います。
(東京都板橋区・42歳・男性・会社員)

★いつもやさしい笑顔で、おいしいモンゴル乳茶をすすめて下さるアディヤさんのお話には、感動しました。謙虚な心と、深く物事を見つめる目で、日本にとけこみ、学び、それを祖国の生活に活かしていこう、というお考えを聞き、何か失っていた大切なことを教えていただいた気がして、深く心に残りました。
(滋賀県彦根市・56歳・女性・パート)

☆ご参加者のお便りから☆

農の可能性にかけて

岐阜県郡上郡八幡町在住 片岡美樹さん(40歳)

初めて映画『四季・遊牧』に出会ったのは、夫と私が長年暮らした関西を離れ、今住む岐阜県郡上八幡への移住を半年後に控えた2000年秋のことでした。知らない土地での新生活に一抹の不安を感じていた私達が、あのタイミングで“ツェルゲルの人々”、さらには小貫先生の「菜園家族」構想に出会えたことは、何よりの励ましとなったことを覚えています。

私達は元々、自然の中で過ごすのが好きで、休日になると、山歩きやキャンプをすることを楽しみとしていました。しかし次第に、もっと深いところで自然と結びついて暮らすのが人間本来の姿ではないか、と感じるようになったのです。これまでの自分たちの生き方は、まるで仮の姿のように思え、本当の生活は別にあるのだ、という考えに取り付かれてしまったところから、移住への道は始まります。

かと言って、山にこもって自給自足!には、さすがに自信がありません。なにせ、プランターでミニトマトを作る程度の経験しかないのですから。そこで、将来的には自給自足を目指しつつ、私が畑を担当し、夫は山仕事をして収入を得る、という形をとることにしました。

移住して1年後には、近所の方に畑を借りて、少し本格的に作物を作れるようになりました。なかなかの重労働ですが、自分の食生活を支えているという充実感は、他に替え難いものです。一方、山仕事は常に危険を伴いますし、肉体的にも大変厳しいものですが、四季の移ろいを肌で感じとれる労働に、満足感を得ている様子です。夫の「ただいま」の声と同時に、杉か檜が玄関を開けて入って来たんじゃないか、という匂いがすることがあります。それだけ“木まみれ”の一日だったのだなあ、と思うのです。

さて、私達現代人は、大地に裸で放り出されたら、何もできない生き物に成り下がってしまったように、思います。田畑を耕し、保存食を作り、縄を綯い、機を織る。一人の人が複数の仕事を淡々とこなし、自らの手で生活を作り出していく・・・・・。かつては、ひとりひとりの人間に生活の知恵と技が、ぎゅっと詰まっていたはずです。わずか数十年の間に、日本人は、生活の中の技をすっかり失ってしまいました。田舎も例外ではありません。郡上八幡程度の田舎度であれば、自家用車のある今の時代、いとも簡単に、大量消費社会の波に呑み込まれてしまうことでしょう。

日本は衣食住いずれも、自給率の異常に低い国となってしまいました。“食”が40%、“住”における材木は20%、“衣”に至っては、例えば綿は0%です。綿は以前、この辺りでも栽培していたと聞きます(専らふとん用)。実は今年、少しだけ綿を作ってみました。今後、力を入れてみようと企んでいます。

買って済ますということは、そのために働く人を失うことであり、そこに生じる文化を捨てることです。今ならまだ、昔を記憶に留める人達に、教えを請うこともできます。重要な時期に来ていると思います。

移住して2年半。畑仕事を通し、その可能性の大きさを実感しています。土に触れることは、まず、何よりの癒しとなります。四季の変化や気象条件に対応する必要はあっても、人間の作った時計にせかされて働くのとは違います。時間を金に置き換え、効率良く働ける者だけが受け入れられる経済のしくみとは異なる世界が、そこにはあります。

私は今、友人と共に、“農”を通して人々の集う場(協働の場・憩いの場)作りの活動を始めています。畑を2反借りて、来春から本格的に作り始める予定です。

多くの人が日本の行く末を憂え、このままではいけないと感じ始めています。スローフード、スローライフといった言葉もよく目にします。しかし、もはや“思い”、“言葉”だけではだめなところに来てしまっているのです。一人一人が生活を本質的に変えることを迫られているのです。M.K.ガンジーの話の中に、「そこにある真実を認めていながらそれをやらないのは、臆病者と呼ばれるにふさわしい人だ」という言葉があります。“思い”は実行しようではありませんか。真剣な“思い”を抱く人々がこんなに多く集う“菜園家族の学校”があるので すから。

2003年11月13日

*ご遠方から10月の“菜園家族の学校”にご参加下さった片岡美樹さん・浩さんご夫妻。美樹さんは、暮らしの様子をイラストとともに綴った『亀の子便』を、折々に届けて下さいます。気心の合うご友人・小比賀幸子さんと“のらの会”を結成、多くの人に伝えたいと、会誌『カエルトコロ』を発行されています。

“ガーデン・ファミリー”を考える

アメリカ・オハイオ州出身 ジョン・ウェルズさん(33歳,京都市在住)

私は、大学時代、映像学を専攻。今、モンゴル映画史やモンゴル語も勉強しています。昨年、『四季・遊牧』を鑑賞し、ツェンゲルさん一家にも会ってきました。

日本に住んで、“菜園家族の学校”に参加すると、日本語を分からないといけません。10月の会で小貫先生のお話を聞きましたけれど、言葉が難しくて、1%ぐらいしか分かりませんでした!

ところが昨日は、日本語を理解できない差し障りから大突破ができました。10月の会の内容をまとめた『菜園家族だより』6号をスキャナーで取り込んで、画像からテキストに変わるソフトでテキストファイルを作って読みました。読めない字を辞書のソフトで調べました。今までは読むのが遅すぎて、「菜園家族」構想を少ししか分かりませんでしたが、今の過程では、日本語をすぐに理解できます。

『たより』6号に出てきていた“道具”という言葉は理解できます。では、“テクノロジー”というのは、どういう概念になるでしょう?今年9月初めまでオハイオ州にいた間に読んだ本に、“テクノロジー”という言葉の議題が出てきました。英語の“テクノロジー”といえば、普通は“機械”のことだと思いがちですが、実は、機械+制度(機械+経済社会システム)=“テクノロジー”である、と書いてありました。私はこれから、“人間と道具”の関係と、“人間とテクノロジー”の関係とはどう違うのか、考えてみたいと思っています。

オハイオ州にいた間に、就職をしながら、マルクスの“Capital(資本論)”と“Manifesto”を読みました。マルクスの作風はとても暗くて、皮肉もよく使う人だと思いました。しかし、資本とはどんなものなのか、よく分かりました。“Capital”も、出版されたのは19世紀後半です。その時代の生産手段や、アメリカ・イギリスの工場労働者の窮状などについての叙述から、その時代の実状を多少なりとも想像できました。

私のふるさとは、田舎が多くて、とてもきれいなところです。家には菜園があり、お母さんがいろいろな野菜をつくっています。私も子供の頃、手伝いましたが、夏の暑い時はつらいな、と思ったことなど、懐かしく思い出されます。お母さんのつくる野菜やビン詰めの保存食は、とびきりおいしいです。リンゴの木もあり、ジャムなどもよく作ってくれます。私は、小さい時から、このリンゴの木が大好きです。

今、地域通貨の勉強で、シルビオ・ゲゼルの“The Natural Economic Order”という本を読んでいます。『菜園家族レボリューション』の本も、コンピューターとソフトの応援で読み、勉強していきたいと思っているところです。

2003年11月12日

*漢字も使って日本語で書かれたものに、お伺いしたふるさとのお話を加え、編集しました。摩天楼やハリウッド映画は、当然一面的なアメリカ像で、地方地方では、きっと人々のもっと別の営みと願いがあるのでは、と気づかされます。それが新しい社会の枠組みを探る、市民の多様な活動の潮流となり、深まる矛盾の陰で、胎動しているのかもしれません。

☆次回(12月20日)コメンテーター小林俊夫さんのご紹介☆

(小林さんに書いていただいたものを、そのまま掲載させていただきました。)

山に生きる 〜自立への道〜

私は、1945年に長野県大鹿村に生まれました。会社勤めの後、村へ戻って酪農を始めました。初めは酪農組合に乳を出荷したのですが、酪農状勢の変化に伴って、草主体の飼料で飼育している我が家の牛乳を活かすには、ということで、チーズの製造を考えました。現在は、木造校舎を移築した小さな宿「延齢草」もやっていて、小規模多角的家族経営で生活しています。

【幸いすむ地は自らが創るもの】

私の家は、南アルプスの麓にあります。現在は、乳牛4頭、山羊6頭、鶏10数羽を飼い、自家用の米と野菜を無農薬で栽培しています。自給率の高い生活です。牛と山羊の乳は、チーズに加工、販売をしています。

30数年前、列島改造論がとなえられ、日本が高度経済成長の最盛期にあった頃、私は、自分の生まれた村に帰ってきました。中学卒業と同時に村を出て、会社勤めを経験したものの、年を重ねるごとに思いがつのるのは、幼少の頃の記憶へのおさえがたい郷愁でした。野山を思いっきり駆け回った日々。牛や山羊、緬羊、鶏に兎・・・さながら動物園のようだった昭和20年 代から30年代にかけての生活が、私の今の暮らしの底流にあります。私の今の暮らし方を時代の先駆けと評価する人もいますが、ほんの少し前の農村の暮らしの中に、私は多くの示唆を受けるのです。

【スイスの景観と国民性】

チーズの製造を始めるにあたっ て、スイスへチーズ造りを学びに行って来ました。私が訪れたのは、観光客の全く来ないような小さな農村が多かったのですが、そんな所でも手入れの行き届いた実に美しい国でした。ある村の家の窓辺に、見事なゼラニュームが咲いていました。あまりの美しさに、花の手入れをしていた婦人に「何故花を作るのですか?」と尋ねると、「自分の住む場所は自分で手入れして、心地よく暮らしたいから。」と言うのです。一人一人が花を愛し、それが子供達にも受け継がれていけば、花が溢れる国になるわけです。

日本に住んでいてイライラさせられるのは、土木工事による環境破壊と、工事終了後に現れる醜悪な景観です。スイスに滞在中、彼の国ではどうなのかと、様々な場所を注視してきましたが、河川や道路、水力発電の送水管に至るまで、環境と景観に細やかに配慮され、「なるほど」と感心することばかりでした。自然界への影響を最小限にするための努力と、景観は国民の共有する財産であるという思想。私は、このような国民性に強く共感するのです。

【木造校舎を遺す】

1995年、私の母校であった校舎を一部移築し、体験型の宿泊施設「延齢草」を始めました。

この校舎は、1947年に施行された教育基本法に基づき、1948年に建てられました。敗戦直後の厳しい状況の中、国家財政は破綻し、税金や補助金は一切当てに出来ませんでした。経済的余裕もない山村でのことです。山から木を運搬するにも人力で、その建設過程は、まさに知恵と汗の結晶でした。

建物自体が、戦後民主主義の出発点とも言える校舎の取り壊しが決まった時、行政に移築保存を求めました。しかし、思いは届かず、私は個人での移築保存を決意したのです。

無機的なコンクリート校舎ばかりになり、教育について多くの問題が指摘されている現代、豊かな時代になったと言われながら、人の心は何処へ向かっているのでし ょうか。

【山羊のいる暮らし〜農的体験の場を〜】

スイスの農家の子供達は、実によく働きます。また、休暇になると農家を訪れて農作業をする家族連れもいます。日本の町の子供にもそんな場があればと、移築した校舎で、山羊の世話やチーズ造りなどの農業体験教室を開いています。最初は怖くて山羊にさわれなかった子供が、何度も訪れるうちに、上手に搾乳が出来るようになります。山羊は、子供や女性にも世話が容易で、気質が穏やかです。日本の歴史上、度々大飢饉の記述が残っていますが、その時代に山羊が飼われ、乳や肉が利用されていたなら、あれほどの悲惨な状況にはならなかったのではないか、 と考えます。

【「延齢草」から未来へ】

近い将来、私達が直面する大きな問題は、食料不足、環境破壊に伴う生活環境の悪化、交通・通信手段の発達によってもたらされる精神的閉塞感だと考えています。

だからこそ、農と食に根ざすことにこだわりたい。都市生活者を含めて、山羊や鶏を少し飼い、小さくても菜園を持つ農的生活を奨めたい。気持ちの通う動物と共に暮らし、自分の手をかけた食物を食べる。日々の暮らしの中で自分を律し、自然と人間との関わりを学ぶ時間が、これからの時代に必要になると思います。

『たより』第5号の「編集後記」で触れたルポルタージュ『そして我が祖国・日本』(本多勝一 著,朝日文庫)より転載。第一部「わが故郷」に、“いっぷう変わった”小牧場として、1974年・28歳当時の小林さんご夫妻・3歳と1歳の娘さんが登場します。乳牛4頭、ヤギ1頭・ニワトリ3羽・ネコ1匹。この挿し絵では、薪か飼い葉を背負っているのが小林さん で、傍らで見ているのは、娘さんでしょうか。

☆次回の“学校”のお知らせ☆

次回以降の“菜園家族の学校”のコメンテーターは、以下のように予定されています。

*12月20日(土):小林 俊夫さん(アルプカーゼ・牧場,長野県下伊那郡大鹿村)
 標高1,000メートル、南アルプスの山中にて、ご家族で営む。搾乳牛3頭、搾乳ヤギ5頭。40代でスイスにチーズづくりを学んだ時、家族とともに働き成長する子供たちの姿が印象的でした。1997年、木造校舎を活用し、農業体験宿泊施設「延齢草」を開設。30年前、高度成長の流れに逆行するかのように、ふるさとの地でスタートしたこの“小さな牧場”は、今、たしかな輝きを日本の子供たちの未来へと投げかけています。

☆来年度の“学校”について☆

4月の「開校」以来、ご参加の皆さまのご熱意に支えられて、おかげさまで毎月の会を続けてくることができました。  年明けて2004年の予定ですが、例年1〜3月は、大学の入試関連の行事が続き、実質上、会場を使用できないこともあり、誠に勝手ながら、この間は「休講」とさせていただきます。

再開は、2004年4月を予定しております。会場の予約は取れました。

再開にあたっては、実施要項を前もって皆さまにご郵送させていただきます。12月の会のご報告となる『菜園家族だより』第8号も、その際、同封いたしたいと思っております。

「休講」期間中は、「菜園家族」構想についての新しい著作の執筆などに取り組みながら、十分に充電し勉強を深め、より充実した“学校”をめざし準備したいと考えております。

再開までのこの期間中、皆さまからも、ご意見、ご感想、ご質問、近況やお取り組みの活動の様子など、情報をお寄せいただき、引き続き交流をもてればと思います。Nomadまで、お待ちしております。

編集後記

その昔、早起きの祖母の傍らで、布団の中から『明るい農村』という番組を、寝ぼけ眼で見た記憶があります。減反、出稼ぎ、公害など、子供心にもあまり明るい印象を残しませんでした。30年が経ち、少しは“高度成長”について学んだ今、日曜深夜『NHKアーカイブス』で、その頃のドキュメンタリーの再放映を見る時、あれが、どのような社会や経済の仕組みの中で起きた出来事だったのか、ようやく結びつくようになりました。画面に出てくる地方地方の人たちの喜びや悲しみの表情は、少し前の日本の紛れもない事実として、胸に迫ります。いつしか、それをつぶさに捉えた、当時の若きテレビの取材グループにも、思いを馳せます。新聞を広げ、24時間、多チャンネルの番組案内に圧倒されながら、そんな作品を現代にもとめるのが、なぜか難しい時勢になってきたと、ふと思うのです。(伊藤恵子)

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