限界集落サミット2 in 大君ヶ畑(2009年8月8日)
が開催されました!
☆その模様をご報告します☆(09.9.12更新)
1.はじめに
滋賀県湖北町で農をベースに多彩な活動を展開されている、農事組合法人大戸洞舎&どっぽ村の松本茂夫さんからの呼びかけで、2009年8月8日(土)に、ここ鈴鹿山中・多賀町大君ヶ畑において、「第2回 限界集落サミット」が開催されました。
昨夏、湖西の山村・朽木村針畑集落で開かれた第1回に引き続くもので、山村や農村で多彩な活動をされている方々、また、そうした取り組みに関心を寄せられている都市部の方々を結ぶよい交流の機会になればと、計画されたものです。
※どっぽ村の詳細は、こちらをご覧ください。
※朽木村針畑での第1回の様子は、こちらをご参照ください。
2.経緯と準備
6月下旬、この集いの主催の松本茂夫さん・富子さんご夫妻たちが、里山研究庵を訪ねてこられ、7月に入ると、「どっぽ村」で作成されたチラシも届きました。以来、当日に向けて、安藤信男さんを中心とした大君ヶ畑のみなさんとともに、準備をすすめてきました。
【チラシ要旨】〜山人から街人へ、街人から山人へ〜
◆◇◆ 第2回 限界集落サミット in 大君ヶ畑◆◇◆
「限界集落」に何が見えるのか?みんなで探ってみよう
☆日 時:2009年8月8日(土) 受付10:00〜 開始10:30〜終了15:00
☆ところ:大君ヶ畑体育館&旧保育園(滋賀県犬上郡多賀町)
☆プログラム:自己紹介,大君ヶ畑見学,昼食(バーベキュー),
意見交流・情報交換など
☆主 催:どっぽ村(東浅井郡湖北町上山田880 農事組合法人大戸洞舎
=代表 松本茂夫)
☆協 力:菜園家族 山の学校 準備会(大君ヶ畑)
「限界集落サミット」の準備の様子を紹介する新聞記事 (09.7.24付 読売新聞『しが県民情報』)
当初、50名ぐらいの想定でしたが、チラシの配布やインターネットでの情報発信、新聞での紹介などで、県内外から何と130名もの事前申込みが入りました。
これだけたくさんの方々が関心をもって、この山奥まではるばるお越し下さるのですから、こんなうれしいことはありません。
と同時に、何せ過疎・高齢化で若い世代がほとんどいない大君ヶ畑。40〜50代の方々も、お勤めや家事にそれぞれ忙しい日常。
どうなるんだろう、本当にできるだろうか、と不安も入り交じります。
「多賀クラブ」のメンバーの皆さん 中川信子さん(左から2人目)、栗本 泉さん(右から2人目) (多賀町の議会情報誌『たが』2009年8月号より転載)
そんな私たちに、準備の当初から元気を下さったのが、「多賀クラブ」の中川信子さん、栗本泉さんたちです。
「多賀クラブ」は、同じ多賀町の山のふもとに位置する一円(いちえん)という集落で、150年経つ庄屋さんの屋敷を再活用し、地場野菜市、郷土料理づくりなど、地域活動に取り組む女性グループです。
代表の栗本さんは、ご自身が「K農園」を営み、トマトやカボチャ、トウモロコシなど季節季節の野菜、そしてメロンまで丹念に育てておられます。
中川さんは、山歩きが大好きで、地元多賀の山野草の観察会を長年続けておられます。
一円集落の屋敷を再活用した多賀「里の駅」で みそづくり体験をする「多賀クラブ」の皆さん (多賀町広報『たが』2009年3月号より転載)
この「多賀クラブ」のみなさんが、今回の「限界集落サミット」にご協力してくださることになり、7月中旬、中川さんと栗本さんが里山研究庵をお訪ね下さいました。
もう1人一緒に来られたのが、何と、大君ヶ畑に分校があった時代、教鞭をとられていた種村和子先生。中川さん主宰の多賀の花の観察会のお仲間なのだそうです。
かつて大君ヶ畑分校では、自然観察を通じた郷土学習の活動が、長年にわたって地域ぐるみで取り組まれていました。
その記録『花ごよみ』については冊子でよく拝見し、地元の方々からも、分校を核に生き生きとしていた当時の集落の様子をうかがっていただけに、種村先生に実際、お会いできたことは、本当にうれしいことでした。
分校での取り組みをまとめた冊子 『大君ヶ畑の花ごよみ 昭和46年度〜平成7年度』
(発行 多賀町教育委員会、1996年)
このお三方と、今回の集いのことだけでなく、町の今昔、教育のこと、地域づくりのことなど、いろいろと語りあいました。
多賀を、自然に寄り添った楽しい暮らしの場にしていきたい!という共通の思いに触れ、この上ない励ましをいただきました。
こうした中、地元大君ヶ畑のみなさんも、せっかく各地からたくさんの方々を迎えるのだから、何とか大君ヶ畑らしい、肩肘張らない「ふだん着の」サミットにしなければと、気運が高まってきました。
三日前の最終打ち合わせには、主催の松本さんと「多賀クラブ」の栗本さんを地区公民館に迎え、夜遅くまで婦人部の方々も一緒に準備・運営について話し合いました。
3.開催前日
犬上川のほとりに佇むサミット会場 うす緑の体育館(右)と旧保育園(黄色)
前日は、大阪・豊中市から穂積統史さん、福島県から門谷明日香さん、大津市在住の内モンゴル留学生アイソイさん・ハイルハンさんご夫妻が、泊まりがけで応援に駆けつけて下さり、大君ヶ畑のメンバーと一緒に会場の準備をしました。
穂積さんは、「麦工房らくだ」という手作りパン屋さんを営んでおられる方です。20代の若き頃、アフリカのサハラ砂漠を自転車で単独横断したという強者。
映画『四季・遊牧』や「菜園家族」構想について、新聞記事やラジオ番組を通じて関心を持たれたことがきっかけで、お付き合いがはじまりました。
大君ヶ畑の安藤信義さん(左)と麦工房「らくだ」の穂積統史さん 暑い中、準備に汗を流す(旧保育園の前にて)
すとう農産のパンフレットより (門谷明日香さんによると、会津若松の人たちは本当にゆったりで、 「昭和、ときどき大正」だそうです。名言!)
門谷さんは、滋賀県立大学の小貫ゼミ卒業生。日野町の出身ですが、有機農業を志し、会津若松の「すとう農産」で、研修を兼ねながら、もう数年、働いています。
アイソイさんは、県立大学の大学院の時、同じこの犬上川の中流に位置する甲良町北落をフィールドに、農家のおじいさん・おばあさんともすっかり溶け込んで地域調査をし、修士論文にまとめています。
大君ヶ畑と北落は、郷土に伝わる民話『幸助とお花』にちなみ兄弟邨の提携を結んで、21年になります。彦根と犬上郡(多賀町・甲良町・豊郷町)に広がる森と琵琶湖を結ぶこの犬上川・芹川流域地域圏において、この2つの集落は、古くからそれぞれの土地の恵みを交換し、支え合いながらいのちをつないできた歴史があります。
森の民・大君ヶ畑(多賀町)と野の民・北落(甲良町)の
兄弟邨の交流活動の様子も、会場内に掲示されました。
サミット会場は、犬上川のほとり、かつて分校があった校庭に建てられた体育館と、今は休園となった保育園です。
若い助っ人を得て、大君ヶ畑の方々も、汗だくになって、テント張り、会場内の設営など、準備に力が入ります。
遠来の助っ人と私たちは、夜、旧保育園の教室に宿泊。
森の闇、空には月の光。
「ひんやりとした空気は最高だ!」と、都会を抜け出してきた穂積さんとアイソイさんは、しきりに繰り返しておられました。
4.いよいよ「限界集落サミット」当日
さて翌朝。「限界集落サミット」当日。
曇りがちだった前日とはうって変わって、夏らしい太陽が輝いています。
梅雨が長引き、短かった今年の夏にあって、今思えば、この日が一番、夏らしい空だったようです。
テキパキとお昼の準備をする大君ヶ畑の婦人部のみなさん
多賀クラブのメンバーや、門谷さん(右から4人目)、
ハイルハンさん(その左)もお手伝い。(地区公民館にて)
集落の各家で冷やしておいた麦茶を手に手に、朝早くから地区公民館に大君ヶ畑の婦人部のみなさんが集まってきます。
お昼のバーベキュー、梅の炊き込みご飯などの準備です。
足りない道具があれば、「それならうちにある!」と、取りに帰る。さすがに息のあったチームワークです。
「多賀クラブ」の栗本さん、中川さんたちも、新鮮な野菜をもって、応援に駆けつけて下さいました。
湖北町の「どっぽ村」からは、薪でご飯を炊くかまどや大釜を軽トラに積んで、若いメンバーが到着。さすがに「ドッポムラ」!
どっぽ村の若者たちも加わり、準備に張り切る大君ヶ畑の男性陣
(座っている小障子正喜君、その右が菊本 登さん)
(1)午前の部(10:30〜12:30)
10時30分の開会に向けて、参加者が続々と集まってくる。
いつもはひっそりと人気のない校庭も、急ににぎやかになりました。
以前、県立大学の教室で月1回開催していた「菜園家族の学校」に通って下さった、懐かしい“同窓生”の方々の顔も見えます。
多賀町木曽の西澤エミおばあさん。定年退職後、菜園づくりにいそしむ守山市の川口広治さんと、ご友人の山本善弘さん。同じく守山の臣さんご夫妻と小川さん。
棚田を囲む山のふもとでヤギを飼い、農ある豊かな里山づくりに取り組む竜王町の辻澤武男さんは、その様子を写真アルバムにまとめ、会場内の情報コーナーに展示して下さいました。
分校時代の桂田賢治先生(右端)も、駆けつけて下さいました。 (左端は、大君ヶ畑の今年度区長・中居幸生さん)
分校時代の種村先生、そして同じく分校で、地元に伝わる雨乞い踊り「かんこ踊り」の指導を続けてこられ桂田賢治先生もご参加。
懐かしそうに村の人たちと談笑されています。
広々とした明るい体育館に、大勢の方々が集まられた。
午前中は、広々と明るい体育館内で、参加者それぞれが自己紹介。
今回は多人数であるので、時間の制約上、残念ながら一言ずつになってしまいましたが、それでも、各地で多彩な活動をされている方々の様子が伝わってきました。
多賀町長の久保久良さんもお忙しい中、参加されました。過疎・高齢化が進む町の現状を訴えるとともに、町の再生にお力添えをと、熱く語られました。
甲良町でのフィールドワークでお世話になった「地域の先生」たちと再会し喜ぶ、
内モンゴル留学生アイソイさん(右から3人目)。
左から、辻川淳一さん、辻川公夫さん、石川和昭さん、野瀬修さん。
右から、上田武彦さん、野瀬喜久男さん。
甲良町からは、兄弟邨の北落や他の集落からも、7人の方々が駆けつけて下さいました。北落の野瀬喜久男さんは、甲良町の総務部長でもあります。昨年秋、兄弟邨提携20周年記念の集いを行った様子を語られ、今後も地道に交流活動を続けながら、流域循環の長い歴史を思い起こし、2つの町が助け合いながら再生してゆく道を探りたいと、語っておられました。
続いて、大君ヶ畑の安藤信男さんの案内で、集落の散策。熱心な質問が飛び交ったようです。
(2)お昼の交流会(12:30〜13:40)
お昼は、校庭でバーベキューと梅の炊き込みご飯を囲み、真夏の炎天下にもめげず、楽しく交流。
犬上川沿いの校庭の木々が、涼しげな木陰を作ってくれます。
体育館前の校庭でバーベキュー
地元産の鹿肉の燻製、小貫ゼミ卒業生の西田亮介君営む西駒とうふ店(大津市朝日)の手づくり厚揚げ、それに添えられた大君ヶ畑自生のミョウガ。
門谷さん自慢のすとう農産のアイガモ米は、どっぽ村のメンバーが、薪で上手に炊きあげました。
冷やしトマトやキュウリ、辻澤さんや川口さん差し入れのスイカは、みずみずしく、渇いたのどを潤してくれるのでした。
大忙しの大君ヶ畑のみなさん 右から安藤信男さん、安藤新七さん、中居捨喜智さんたち
はるばる岡山県北部から駆けつけてくれた 小貫ゼミ卒業生の谷口雅章君(右端)と、 同僚の山田養蜂場「ヤギクラブ」のみなさん
大君ヶ畑唯一のお店・安藤商店のご夫妻も、
地元の晴れ舞台に友情出演
加藤節子先生(元近江兄弟社中学校教諭、右から2人目)は、
彦根教会のお仲間と、暑い中、ご参加くださいました。
宮川一恵さん(右から3人目)の手作りシフォンケーキは、絶品です!
冷たいトマトやキュウリ、スイカにほっと一息!
大君ヶ畑の数少ない高校生・澤村君の姿を発見!(左端) 大人に混じって、いろいろと手伝ってくれました。ありがとう!
(3)午後の部(13:40〜15:00)
午後は、ふたたび体育館に戻り、「限界集落」と呼ばれる山村の現状と、その未来への可能性をめぐって、意見交流がおこなわれました。
大君ヶ畑の宮河秀樹さん(左)と、司会の松本茂夫さん(右)
【限界集落サミット2 in 大君ヶ畑(2009.8.8)】
午後の部 発言要旨記録
☆司会進行:どっぽ村 松本茂夫さん(湖北町上山田)
1 司会の松本さんより、午後の部の流れの説明
2 大君ヶ畑を代表して、安藤信男さんから大君ヶ畑の状況説明
・30年ぐらい前から徐々に過疎化が進みはじめた。プロパンガスの登場(エネルギー革命)によって薪・炭の需要がなくなったこと、そして、林業の衰退が大きな原因。
・10年ぐらい前、何とか過疎化を食い止めたいと、当時40代の村人もまだいた頃だったこともあり、「ステーション大君ヶ畑」を拠点に、特産品づくりの取り組みをはじめた。 しかし、高齢化が進んできて、それも現在、停滞気味。
60歳代・70歳代が若手だといわれるような現状である。
大君ヶ畑の安藤信男さん
・休園になった保育園の園舎を再活用して「菜園家族 山の学校」をはじめようと、現在、その本格的スタートに向けて準備を進めているところである。 悪あがきに見えるかもしれないが、何もしないまま終わるより、何かやってみよう、一歩でも半歩でも前に進もう、という気持ちで取り組んでいる。
3 松本さんから安藤さんへ質問
松本:・過疎・高齢化が進む大君ヶ畑であるが、この集落に外の人が住む場合、林業など山の仕事にたずさわらない場合でも、集落の外へ働きに行く(会社などに勤める)形で、大君ヶ畑に住む形態は可能と思いますか?
・また、都市部から大君ヶ畑に移住を希望する人がいたら、受け入れる可能性があるか?
安藤:・外の人に対しては、やはり一枚「壁」がある。
外の人は、村のことをはっきり言って「閉鎖的」であると感じられるようだ。実際、以前、移住してこられた人がいたが、結局、しばらくして出て行かれたことがあった。
小貫先生はその点特別で、「壁」を乗り越えて入ってきてくれる。
・もう少し外に対して開いていかないと、このままでは集落が消滅してしまうのでは ・ ・ ・ とも思っている。
松本:これに関連して、小貫先生、どうですか。
小貫雅男(滋賀県多賀町大君ヶ畑・里山研究庵Nomad):
・画家や木工をする人など、多様な職種の人を受け入れることは、大切。
・ただし、こうした村づくりの活動は、時間をかけることが、何よりも大切。
たとえば、15年ほど前、モンゴルでも「辺境」にあたる奥地の山岳・砂漠の遊牧地域ツェルゲル村で住み込み調査をおこなった時、分校や協同組合(ホルショー)の結成などを目の当たりにしたが、これもすぐに実現したことではなく、現地の村人の長年の努力や、知恵や工夫があってのことだった。
・悲観することなく、時間をかけて少しずつやっていくことが大切。
4 山の木を活かす仕事の現状、山村の魅力とその可能性
松本:林業そのものが衰退しているが、この犬上川流域の地元で、どんな取り組みがあるか。
澤田順子さん(滋賀県多賀町・マルト):
・大君ヶ畑の一つ下の集落・佐目(さめ)に生まれ、マルトの本社もそこにある。
・マルトは、80年前、祖父が山から木を出してはじめた会社。端材がもったいないので木箱を作ったりしていたこともあった。
建築については、フランチャイズに入っていた時代があり、その時は、北欧材を使っていた。簡単に組み立てることができた。地元の木を使うことは少なくなった。
・彦根で材木の市場もなくなった。製材所も少なくなった。
・多賀町の一ノ瀬という集落に葉枯らしをしたりする場所ができ、少しずつ地元の木材が手に入るようになってきている。
マルトの澤田順子さん
(※澤田さんが綴られたサミットの様子は、こちらのブログへ。)
・山主と家を建てる人をつなげる役割を担う人が必要だと痛感している。
山主さんにちゃんとお金を払えるような工夫、たとえば、「間伐をする→木が育つ→CO2を吸収する」というローカルなカーボンオフセットのシステムを確立するだとか、環境や地域に貢献したい企業と話し合って、「企業の森」をつくるとか ・ ・ ・、をしていくことが考えられる。
・大君ヶ畑では、かつて分校のあった時代に、地域ぐるみで『花ごよみ』という自然観察教育が取り組まれていた。これは、これから、地球温暖化の問題とともに、「生物多様性」が大切になってくる時代に、お手本となるような貴重な取り組みであり、記録であると思う。
松本:大君ヶ畑での林業の現状は?
安藤:・今のところ、大君ヶ畑では、林業をもう一度、という力が残っていない。
・獣害で立ち枯れた木が多く見られ、荒れ放題。
・森を活かす術が見つからないのが現状。
山岸飛鳥さん(大阪府吹田市・「木の家プロデュース明月社」):
・建築家の立場から言えば、地元の木材が使いやすくなるには、乾燥、そしてストック(安定的な供給量)が大切。
・ところで、一般によく「国産材は高い」と思われているが、実は、今や国産の杉が日本で一番安い。
では、なぜそれでも売れないか、その原因は、(1)外材を売りたい商社による「国産材は高い」という意識の植えつけ、(2)在庫、納期の問題 ・ ・ ・流通が整っているところでも、1ヵ月半もかかる、(3)林業の「黄金時代」を知っているお年寄りにとっては、「木が1本売れれば、大金が入ってくる」という思いが消えない、ということが挙げられるのではないか。
清水陽介さん(滋賀県湖北町・どっぽ村):
・湖北のすごい過疎の「なかのかわち」という集落に引っ越したが、農業だけでは食っていけず、当初、スキー場に勤めた。
・人のつながりの中、余呉町の入り口に住むようになって10年が経った。
・地産の木を使った家を建てている。「地産」の範囲は、必ずしも、滋賀県産材ということではなく、自分たちの所からはむしろ隣の岐阜県の方が近いので、その点はあまり狭く捉えずにやっている。
どっぽ村の清水陽介さん(右端)
・「どっぽ村」では、若い学生さんや大工さんが、教わりながら家を建てる仕事に参加することで、建築の技術を身に着けていく。給料は月10万円で、6人いる。
このようにして、坪40万円ぐらいで昔ながらの家を建ている。
・まずは、一般の人に「木造はいい」ということが伝わることが大切。
それができれば、このような不況下でも、建築の仕事は続いている。
・他の人が気づかないようなものに目をつけ、新しい仕事を自らつくっていくことも大切。
たとえば、サッシ。日本ではなぜかみんなアルミサッシに変わってしまった。(北欧では木製のサッシである。)そこで、地元の杉で木製サッシをつくり、切りかえていくという仕事もはじめている。県から少しだけ補助(年間250万円)をもらっているので、価格を少し下げることができる。
このように、目に見えるものをつくって、納得していただけるように ・ ・ ・と心がけている。
・「どっぽ村」には、もうすぐ陶芸の工房ができるし、画家さんも来る。
生きる術を学び、身につける場所にしていきたい。
池田博昭さん(滋賀県八日市市・池田建築計画):
・食べること、住むことを自分でできるという、基本的なことが大切である、と今あらためて思うようになった。都市から田舎へ移住したいと思っても、それができなければ ・ ・ ・。
「どっぽ村」は、その力を養う場で、おもしろいところに目をつけておられるなあ、と注目している。
・サッシの話だが、ヴォーリスさんの建てた建築物でも、木製サッシ!
・家は、自分が「よいなあ」と思って住まないと。
八日市のベートーベンこと 池田博昭さん(左から2人目)。
その右 琵琶湖博物館主任学芸員の中藤容子さんは、近江昔くらし倶楽部を組織、活動中。
・山にはいっぱい木があるのに、「使える木」がない。使っていけるようにしていかねば。
それができれば、まさに「宝の山」になる。
・山の仕事が甦り、木の文化が再生すれば、その文化の薫りに惹きつけられて、多様な人々(芸術家、工芸家、作家など)が山村集落に寄ってくるだろう。そうすれば、住みよい村になってゆくはずと、勝手に夢見ている。
川口広治さん(滋賀県守山市・定年退職し、家庭菜園実践中):
・話題が建築の専門的なことに集中しているようなので、別の角度から発言したい。
・大君ヶ畑のような「限界集落」の再生を考える時、ここの魅力は何か、それを見つけ、この集落から発信していくことが大切。
しかも、身内だけでなく、この流域の中核都市・彦根、そして滋賀県全体、さらには京都、大阪まで射程に入れた関西圏一円の一般の人たちに届くように、発信していく必要がある。
右から川口広治さん(守山市)、野瀬 修さん(甲良町北落)、大君ヶ畑の藤川 伝さん
・人が集まるような活動をしていくことが大切。
たとえば、子どもたちや若い人たちが集まるように、夏のキャンプとか。
活動をしていくにあたって、この大君ヶ畑には、体育館・保育園や広々とした校庭といった、活用するにはうってつけの施設があるし、何と言っても、緑濃い鈴鹿の山々、犬上川のせせらぎという自然にも恵まれ、立派な集落の家々のたたずまいといった景観の良さが、都市部の人たちにとっては魅力的である。
清水:
・観光は一過性に終わる。なりわいとして何かなければ、その村に住み続けることができないのが現実だ。たとえば余呉でスキー場がつくられたが、10年ぐらいして衰退してしまった。観光はあまり長続きしないと実感した。
・今日の午前中、アフリカのサハラ砂漠を自転車で単独横断したことがある穂積統史さん(現在、大阪府豊中市でパン屋さん「麦工房らくだ」を営んでいる)とお話しした。自分を同じ体験をしたことがあり、特に、水の大切さを痛切に感じた。日本は水が豊富でありながら、日本人はそれに気づいていないと言えるのではないか。
・親がよかれと思って田舎暮らしをがんばっていても、自分の子供は「大阪へ出たい」と思っているかも ・ ・ ・。しかし、さまざまな世代が住める集落に甦らせていかねばと思っているところだ。田舎に暮らしていても、現金収入は必要。ただ、環境によくないことをして現金を得るのではなく、別の方法を工夫して編み出していくことが大切だと考えている。
松本:・長い目で見て、大君ヶ畑でも、その他の山村集落でも、下流の方の都市部でも、このまま地元地域の林業と、それに関連する仕事をまったく捨ててしまっていいのだろうか?
今まで関心のなかった人も、そうした取り組みに関心をもって見ていただけたらな、と願う。
・今ある施設を新しい形で活かしていく方法も考えてゆかねばならない。
若い参加者に囲まれる 司会の松本茂夫さん(左から2人目)
中川信子さん(滋賀県多賀町出身・「多賀クラブ」):
・もともと植物が好きで、地元の山を歩き山野草の観察をしているうちに、山が荒れていることに気づく。これでは大好きな植物が守れない。どうにかしなければ ・ ・ ・、と思ったのがきっかけで、地域の活動に取り組みはじめた。
「多賀クラブ」の中川信子さん
・多賀町の山のふもとに位置する一円という集落で、150年経つ古民家を取り壊す、という話しを耳にし、見に行くと、「げだん(=あがりかまち)」がとてもすてきで、何とも言えない懐かしさを覚えた。この建物を何らかの方法で活かして、守っていきたいという思いが湧いた。
・そして、2008年9月に「多賀クラブ」を結成。まさに「はじめまして」というあいさつからはじめたメンバーたちでスタートした。 今日のお昼に参加者のみなさんに食べていただいたバーベキューの野菜や、水で冷やしたキュウリ・トマトなどは、「多賀クラブ」の方々がつくられたもの。安心して食べていただける地場の野菜です。
一円集落の屋敷を再活用した多賀「里の駅」で 郷土料理を試食する「多賀クラブ」の皆さん (多賀町広報『たが』2009年3月号より転載)
・毎月土曜日に「多賀の駅」を開いている。 今月は、ちょうじ麩のからし和えをつくった。自信を持って「これが多賀の味よ」と言える料理をつくっていきたい。「多賀そば」も練習中です。
・何をおいても、自分が楽しむことが大切。そうでないと続かない。 そして、自分が大事と思うものを守ることが大切。 自分の住んでいるところの良さを感じられるように、今後も活動を続けていきたい。
小貫:・戦後60年で、経済・暮らしの仕組みをがらりと変えられたという現状を踏まえる必要がある。
今、100年に一度とも言われる世界的な経済危機の中で、地方でも都市でも、雇用問題などさまざまな問題が噴出している。
今日、出されたお話は、こうした全体的な時代状況の中、いずれも今すぐには解決できない難しい問題を含んでいる。
・これからはじめる「菜園家族 山の学校」では、まず、人が寄って、自由に語りあって、こうした社会の全体的な状況や、地域が抱える具体的な問題など、地道にみんなで勉強してゆくことが大切と考えている。
・現代は、世代が分断されている。若者は若者の文化・娯楽があり、こうした集会にも残 念ながら、なかなか来ないのが現状だ。
「山の学校」では、犬上川流域の一番山奥で、細々とでもいいから、今、当面の問題も、また長期的な展望や夢も、語りあいたい。
旧保育園も様変わり。
看板も地元のみなさんが掛け替え、夢がふくらみます。 (大君ヶ畑の安藤里美さんと藤川 伝さん)
・犬上川中流域、山のふもとの扇状地に位置する農村地帯・甲良町の北落集落は、郷土に伝わる民話『幸助とお花』にちなんで、20年前、大君ヶ畑と「兄弟邨」の提携を結び、さまざまな交流活動をしている。
今日も、甲良町から総務部長の野瀬喜久男さんをはじめ7人が参加して下さっている。
・甲良町では、13の集落がそれぞれ「村づくり委員会」をつくり、20年かけてまちづくりの取り組みを続けてきた。
酒を酌み交わしながら、自由に語りあうこと自体が大切。普段からそうしたことをしていないと、急には何もできない。すごい取り組みを続けてこられていると思う。
・大君ヶ畑にも希望があると思う。
今日も、集落の高校生3人のうち、1人の男の子が参加してくれた。
声をかけたら、「山の学校の先生にしてくれ」と言っていた。
大人が真剣に何かやれば、子供たちは見ていないようで、ちゃんと見ているものだ。
松本:今日は、さまざまな地域で、さまざまな活動をしている方々がせっかく集まったので、これを機会によいネットワークにしてゆきたいと思っている。名簿に沿って、後日、通信など発信したい。 大君ヶ畑のみなさん、ありがとうございました。
安藤:「山の学校」が今後、どのようなものに育ってゆくか未知数ですが、精一杯やってゆきたいと思っています。
今日はありがとうございました。
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5.「菜園家族 山の学校」のスタートに向けて
〜ブックレット『菜園家族 山の学校』を発刊〜
サミット午後の部でも発言があったように、年々深刻の度を増している「限界集落」の現状を何とか打開し、次の世代に希望をつなげる新たな活動をスタートさせようと、ここ大君ヶ畑では、2007年の夏以来、「菜園家族 山の学校」の開校にむけて準備を続けてきました。
これは、1999年3月をもって休園となった集落内の旧保育園を再活用し、この地域の自然や歴史を礎に、これまで地元で続けられてきた地道な地域づくりの伝統と経験を活かしながら、21世紀にふさわしい、自然循環型共生の健康で清新な生活と文化の創造をめざすものです。
ちょうど「限界集落サミット」直前の8月1日には、この「菜園家族 山の学校」がめざす活動や、地域未来の新たな展望を示す「菜園家族」構想の大まかな内容をまとめたブックレット『森と湖(うみ)を結ぶ 菜園家族 山の学校』(A5判・114頁)が発刊されたところです。サミット参加者のみなさんには、このブックレットが配布されました。
※ご希望の方には、郵送いたします。里山研究庵Nomad(〒522-0321 滋賀県犬上郡多賀町大君ヶ畑452番地、TEL&FAX:0749-47-1920、E-mail:onuki@satoken-nomad.com)までお問い合わせ下さい。
ブックレット『森と湖(うみ)を結ぶ 菜園家族 山の学校』
小貫雅男・伊藤恵子 著
里山研究庵Nomad発行、2009年8月刊
A5判、114ページ、頒価 200円
(郵送料:1部の場合 ・ ・ ・180円)
<目次>
はじめに
プロローグ 私たちはどこから来て、どこへ行こうとしているのか
I 週休五日制の三世代「菜園家族」構想
II いのち輝く「菜園家族」
III 「菜園家族」が育つ場、「菜園家族」を育てる力
IV 近江国に21世紀の未来を探る
V おおらかな学びあいの場、温もりある人間の絆
エピローグ はるけき空の彼方に
あとがき
* * * * *
過疎・高齢化の波に押され、ややもすると、あきらめの気持ちに流れることすらあるこの「限界集落」ですが、サミット午後の部での川口さん(守山市)のご発言に、とても勇気づけられました。
川口さん曰く、「ここの魅力は、何と言っても、緑濃い鈴鹿の山々と犬上川のせせらぎ、そして昔ながらの集落のたたずまい。この自然の中に、保育園や体育館、広々とした校庭と、活用するにうってつけの施設もある。ぜひ、その魅力を活かす活動をして、大君ヶ畑発で発信を!」と。
地元大君ヶ畑の人にとっても、何よりの力強い声援です。
犬上川北流のほとりに佇む大君ヶ畑の旧保育園
「菜園家族 山の学校」はここを拠点にスタートします。
今、経済社会の行き詰まりの中、自然や農的暮らしへの関心が高まっています。
また、パートや派遣労働など、過酷で不安定な働き方に苦しむ若者たちも、ますます増えています。
都市部や地元のこうした人たちとも広く連携しながら、学びあいを重ね、やがて、子どもや孫たちの代にも、地域の暮らしが継承されてゆく日を夢見るのです。
そして、いつの日か、奥山から発信するこのささやかな試みが、他の農山村集落にも波及し、森と琵琶湖を結ぶ犬上川・芹川流域地域圏の再生、さらには、“21世紀・近江国循環型共生社会”の誕生と日本の再生へとつながっていく、そんな日が来ることを願いつつ ・ ・ ・。
「菜園家族 山の学校」について、ご関心のある方は、ぜひ、ブックレットをご一読ください。
みなさまからのご意見・ご感想をお待ちしています。
5.大阪・北摂のタウン誌『バーズアイ』でも紹介
8月8日の「限界集落サミット」には、はるばる大阪の吹田市から、タウン誌『バーズアイ』の宗近孝さんと中本洋子さんたちが取材に来られていました。
最新号(9月号)で、今回のサミットの様子とともに、21世紀の「新しい日本」を再生させるビジョンとして「菜園家族」構想の内容をまとめ、特集を組んで紹介して下さいました。
大阪・北摂のコミュニティ・マガジン 『バーズアイ』2009年9月号
この『バーズアイ』は、吹田・茨木・高槻・箕面・池田・豊中など、北摂エリア一帯を主な配布対象に、1983年以来、発行されている月刊のコミュニティ・マガジン(発行部数8万部)です。
特に、3年前からは、「LOHAS(ロハス=Lifestyles Of Health And Sustainability、健康と持続可能性を大切にするライフスタイル )」の概念との出会いを機に、21世紀のキーワードはこれだ!と、NPO法人「北摂市民のための市民による相互支援ネットワーク」を立ち上げ、その活動のための情報誌として、再出発されたそうです。
「ココロとカラダと地球にやさしい生き方・ライフスタイルを探しましょう!」の新しいテーマのもとに、編集も取材対象や出会いも、また、ご自身の生き方やライフスタイルも、以前とは本当に変わってきた、と代表の宗近さん。
「菜園家族」構想との出会いも、「北摂をロハスな街に!」という発信に共鳴した建築家の方々と、地域再生について話し合いをはじめた時に、メンバーの1人で、木の家の設計事務所を営む明月社の山岸飛鳥さん(吹田市)から、参考になる本として、『菜園家族21―分かちあいの世界へ―』(コモンズ、2008年)を紹介されたのがきっかけで、興味を持たれたのだそうです。
『バーズアイ』の主な設置場所は、北摂エリアの各市市役所および図書館・公民館、北大阪急行各駅構内をはじめ、カフェ、レストラン、雑貨屋、美容院、映画館などです。
その他の地域で購読をご希望の方は、「バーズアイ編集室」(TEL:06-6384-1995、FAX:06-6386-9566、E-mail:yoko@hokusetsu-shimin.or.jp、〒564-0062大阪府吹田市垂水町3-24-14-218 グリーンコーポ江坂第2)まで、お問い合わせ下さい。
※「限界集落サミット」は、地元大君ヶ畑のみなさんをはじめ、たくさんの方々のお力が結集して、楽しい集いになりました。
本当にありがとうございました。(伊)
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