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『菜園家族宣言―静かなるレボリューション―』
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   東日本大震災から希望の明日へ

   ― 大地に生きる人間復活の道は開かれている ―

                小貫雅男
                伊藤恵子

               (2011.4.23更新)Nomad image
 


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                   ☆この緊急提言への反響はこちらへ!Nomad image


― 目 次 ―

はじめに
「原発安全神話」の上に築かれた危うい国
生産と消費と暮らしのあり方を根本から変える
緊急を要する生活再建
地域復興の基軸に家族をおく ― 家族の再生なくして復興なし
復興は上からではない ― 市町村の人々が主体に下から上へ積み上げる
従来の常識をくつがえし、今こそ独創的な財源捻出を!
誰のための復興構想なのか
にわか仕込みの復興構想私案 ― その典型    
続々と現れる復興への目論見
復興構想私案の震源地はここにあり
財界の意を汲む復興構想の末路
未来社会を展望し得る論究の欠如とそれがもたらす弊害
弱さを克服し新たな基本理念の確立を
3・11からの復興は21世紀日本のかたちを決める
むすびにかえて ― 北国、春を待つ思い


                           国破れて
                           山河あり
                           どっこい
                           菜園家族は
                           生きていく


       ――― * ― * ― * ―――


  3・11
  東日本大震災
  人々は
  人類破局のスパイラルから脱し
  素朴な精神世界への回帰と
  人間復活の壮大な道を歩みはじめる
  いのち削り
  心病む
  終わりなき市場競争
  我利私欲の世界に別れを告げ
  限りある資源を分かちあい
  共に支えあい
  共に喜びあえる
  人間のくにに生きる


はじめに
 二〇一一年三月十一日、東北・関東を襲った巨大地震と恐るべき巨大津波、そして、東京電力福島第一原子力発電所の大事故は、私たちが日常に安住し抱いてきたこれまでの幸福感や人生観、さらには自然観や社会観をはじめ、科学・技術のあり方に至るすべての観念をもことごとく打ち砕いた。
 一八世紀イギリス産業革命にはじまる近代とは、成長を前提にした時代である。したがって、実に長きにわたって多くの人々の心を捉えていたものは、「成長はいいこと」、「ゼロ成長などとんでもない」、ましてや「脱成長なんてあり得ない」という考えであった。
 3・11は、この近代の成長神話を根底からくつがえす、実に衝撃的な出来事であった。まさに私たちは、3・11によって近代文明の終焉への大きな分水嶺に立たされた。これまでの価値観の大転換なしには、もはや生き延びることができない時点に差しかかっていることを知らなければならない。今となっては、せめてもこの自覚が、そして自粛の念が一時的なものに終わらないことを切に願う。
 ところがどうしたものか、一ヵ月も経つか経たないうちに、すべてを忘れ何もなかったかのように、テレビにはお馴染みの商魂たくましい派手なコマーシャルが早々と復活する。人々の欲望をこれでもかと掻き立て、購買欲を煽り立てる。
 大震災に真剣に向き合い、被災地の状況を伝え、支援の手を差し伸べようと努力する放送が続けられている一方で、しばらく休止されていたかつての番組が旧態依然たる姿のまま頭をもたげはじめ、瞬く間に勢いを増していることに驚いている。被災地ではいまだ苛酷な状況が続いている。多くの人々の癒されぬ苦しみや悲しみを尻目に、相も変わらぬ低俗なバラエティー番組が息を吹き返し、四六時中、日常の暮らしの中に這入り込んでくる。今どき何がそんなにおかしいのか、たわいもないことにおどけ、ニヤニヤ、ゲラゲラ、馬鹿笑いに興じ浮かれている。
 こうした番組の合間を縫うように、ワイドショーでは、代わり映えのしない有識者や学者や評論家が登場し、復旧・復興を語る。いかにももっともらしい口調で、「過度な自粛は経済を停滞させ、企業活動を衰退させることにつながるので、被災地の支援にはならない」と、偏狭な市場理論もどきを振りまわし、まことに巧妙な手口で震災前の「成長戦略」なるものの軌道に引き戻そうとするのである。そこには、時代への根源的な問いかけや省察は微塵も見られない。
 はたまた政治・経済・社会問題を題材にした討論形式のバラエティー番組では、似たり寄ったりの面々がずらりとゲストに招かれ、不真面目きわまりないふざけた態度で時評や政治談義にうつつを抜かし、意図的に一方的な考え方を茶の間に垂れ流す。おどけを入り混ぜながらの実に巧妙な手口で、世論を操作、誘導する。電波のもつ公共性など、もはや眼中にない。報道の公正・中立はすっかりかなぐり捨て、無責任に好き勝手したい放題である。これほどまでに堕落した番組は、世界でもめずらしいのではないだろうか。
 大震災の瓦礫に圧し潰され、津波の不気味な濁流に多くのいのちが、家が、一瞬のうちに押し流されながら、なおも懸命に生きようとする被災地の人々の姿が脳裏から離れない。おそらく全国の多くの人々がこうした心境の中で、これまでの暮らしのあり方や人生観を深く反省し、あらためようとしているのではないだろうか。決して一時の「自粛」に終わらせてはならないのである。
 私たちが3・11を機にはじめて、こうした放送番組の異常さに気づいたとすれば、それ以前の私たちとは、一体、何だったのだろうか。私たちは、実に恐ろしく歪められた情報の氾濫に自己を見失い、思わぬ方向に誘導されていたのではなかったのか。
 あれから一ヵ月が過ぎた。あの悲惨なあまりにもむごい災難を忘れたかのように、あるいは、あらゆる巧妙な手を使って忘れさせようとしながら、またもや市場競争至上主義「拡大経済」の奥底に潜む得体の知れない巨大な怪物が息を吹き返し、頭をもたげて蠢きはじめている。こうした動きに打ち克ち、ひとりひとりが自己の意識を変革し、いかにその状況に対抗する軸を確立できるのか。新たな理念のもとに、被災地の真の復旧・復興ができるかどうかは、長い至難の道のりではあるが、このこと如何に大きくかかっていると言ってもいいであろう。
 つまり、被災地復興の問題は、被災地の当事者だけに限られたことではなく、まさに私たち自身の未来のゆくえを真剣に考えることである。今回、このささやかな提言を取り急ぎまとめようと思い立ったのは、そのためである。このことをふまえた上で、被災地の復旧・復興はいかにあるべきかについて、念頭におかなければならない基本的視点に触れながら述べていきたいと思う。

「原発安全神話」の上に築かれた危うい国
 私たちはこれまで市場競争至上主義「拡大経済」の延長線上に、化石エネルギーとそれに代わる「夢のエネルギー」原子力に下支えされた文明にしがみつき、経済の発展とよりよい暮らしを際限なく求めてきた。しかしそれは、ことごとく裏目に出た。長い歴史の中で培われてきた人間の絆は分断され、地域コミュニティは衰退し、「無縁社会」という、実に人類史上まれに見る異常事態を現出させた。人間にとって本源的な農林漁業を衰退させ、農山漁村の超過疎・高齢化とともに、都市部への人口集中と巨大都市の出現を許し、それを放置してきた。
 今や東京への一極集中に対する不安と恐怖も、いよいよ現実のものになってきた。今回の大震災時に発生した首都圏での交通麻痺や「計画停電」、放射能の拡散、水・食料・その他生活必需品の買い込みによる混乱状況からも、多くの人々がその恐ろしさをひしひしと実感したはずだ。首都圏直下型や東南海地震が起きたら、そのパニック状態は計り知れないものがある。
 経済成長の日陰となった僻地に原発を集中させ、遠隔地の大工業地帯や巨大都市の電気需要を賄う電力供給システムは、「原発安全神話」を喧伝し、住民を欺きながら構築されていったものである。このたびの巨大地震と津波と福島原発による複合災害は、東北地方に広がる農林漁業の基盤に壊滅的な打撃を与えたばかりでなく、人間のいのちに、そして長い歴史の中で培われてきた人間の絆と地域のコミュニティの息の根に、最後のとどめを刺しかねないものとなっている。

生産と消費と暮らしのあり方を根本から変える
 原発がこれほどの脆さと危うさを露呈した今、エネルギー政策は根本から変えなければならなくなった。原発廃絶の年限を明確に定めて、その目標年に向かって、年次ごとに段階的に確実に縮小していかなければならない。同時に、太陽光、太陽熱、風力、地熱、小水力、バイオマスなど、地域に適した小規模かつ再生可能な自然エネルギーを生み出し、それを「地産地消」する分散型のエネルギーシステムへの転換を計っていくことが必要である。
 ここで忘れてはならないことは、これまでの生産と消費と暮らしのあり方をそのままにしておいて、それに必要とされるエネルギーや資源(レアメタル・レアアースを含む地下鉱物など)の消費総量の削減を一切問わずに、ただ単にエネルギー源を新エネルギーに転換しさえすればそれで済む、という問題では決してないということだ。人間の欲望のおもむくままに際限なく生産を拡大し、エネルギーと資源の消費量の増大を野放図に放置しておく今日の経済社会の仕組みのままでは、この慢性的エネルギー不足病は解決されない。あまりにも大地からかけ離れた今日の私たち自身の暮らしを省みて、それぞれの家族に農ある暮らしを組み込むことによって、二一世紀にふさわしい新しいライフスタイル(詳しくは、後掲『菜園家族宣言』)を創造し、それを地域社会の基底にしっかりと据えていくことができるかどうか。この転換期にあって、このことが今、問われているのではないだろうか。
 こうすることによって、大量生産・大量消費・大量破棄型のこれまでの市場競争至上主義「拡大経済」下の生産と消費と暮らしのあり方は、根本から変えられていくであろう。それは、生産手段(自給に必要な最小限の農地と生産用具など)から引き離され、浮き草同然となった賃金労働者という人間の存在形態を前提とする、一八世紀産業革命以来の社会のあり方からの脱却にほかならない。生産効率が多少下がろうとも、モノが少なくなろうとも、再び家族に自立の基盤を取り戻し、大地に根ざしたより人間らしい、精神性豊かな自然循環型共生の暮らしを築きあげていくことにこそ、希望があるのではないか。文明の分水嶺に差しかかった今、これこそがかけがえのない地球を子孫に手渡す唯一残された道なのではないだろうか。
 文明史の一大転換期として、おそらく後世に記憶されるであろうこの東日本大震災に直面し、まさにこの渦中から、私たちはこれまでのものの見方、考え方を支配してきた認識の枠組みを根本から変えるよう迫られている。昨二〇一〇年五月一日にホームページ上に公開し、その後数次にわたって更新を重ねてきた論考『静かなるレボリューション 菜園家族宣言 ― 人間復活の高度自然社会へ ―』(小貫雅男・伊藤恵子、里山研究庵Nomadホームページ掲載、PDFファイル)は、3・11を機に、その意味することをあらためて吟味することになった。この『菜園家族宣言』の中で展開してきた時代認識や21世紀未来社会構想の核心部分は、まさに今、私たちが直面している被災地復興においても、その基本理念、基本原理として生かされなければならない、という思いを強くしている。

緊急を要する生活再建
 災害からの再生は、一般的に、第一段階にあたる緊急救援にはじまり、インフラの回復や仮設住宅の建設など第二段階の復旧、そして第三段階の本格的な復興へと段階を踏んですすめられていく。特に第三段階にあたる長期ビジョンのもとに策定すべき復興構想は、どこかで誰かが知らない間に計画し、決定したものを上から押しつけるのではなく、まさに被災地域の住民自身が本当の主体となって、現地の実情や当事者の切実な意見を組み込んで、時間をかけ、十分な論議を尽くし、練りあげていかなければならない。同時にそれは、先に述べたような的確な時代認識に基づく遠大な理念にしっかりと裏打ちされたものでなければならない。そうでなければ、その構想自体がたちまちにして色褪せ、被災地の地域の暮らしに取り返しのつかない大きな禍根を残す結果に終わるであろう。
 四月一日付の新聞報道によると、「民主党がまとめた『東日本大震災復旧復興対策基本法案』の原案と関連法案一七本の全容が判明した」と報じられている。菅内閣は五月の大型連休明けにも、基本法案をまとめて国会へ提出し、野党の理解を得て成立させることを目指すという。原案要旨によれば、「復興は単なる原形復旧ではなく新たな『地域社会の再生』」とし、「我が国の再興(再創造)を目指す」と強調。五年間をヒト・モノ・カネを投入する「集中復旧復興」期間と位置づけている。
 問題はその中身であり、同時に如何にして被災地をはじめ国民の総意を結集する方法を本気で編み出し、確立していくことができるのか、ということである。とにもかくにも、未曾有の大打撃を被り、家族を失い、家を失い、職を失い、農林漁業の生産基盤に壊滅的な打撃を受けた被災地の人々の生活と健康といのちを守る初動段階の生活再建に、国をはじめ地方自治体は、無条件で全力を尽くして取り組まなければならない。何よりも、国・地方自治体の責任において、瓦礫の整理と仮設住宅の建設を急がなければならない。震災からひと月が過ぎて、避難住民の心身の疲労状態は、急速に悪化している。プレハブ用の建材が不足しているというのであれば、海辺の被災地と、そこから内陸部に入った山村が連携し、いわばこの「森と海を結ぶ流域地域圏」(前掲『菜園家族宣言』に詳述)の人々の英知を結集して、地元の大工さんたちの手による、地元産の木材を使った木造仮設住宅の建設という方法もあるだろう。東北の冬は早い。この数ヵ月間が勝負である。
 職を失った住民に、就労の場をどのように保障していくのかも、差し迫った重要課題である。瓦礫の整理、仮設住宅の建設、ライフラインの復旧整備をはじめ、復旧・復興に必要な仕事は、地元の雇用創出のためにも地元の人々自身に優先させ、その後の長期的な就労についても計画的に準備していかなければならない。子どもたちの学校教育も、地域医療も、これまでにはなかったユニークなあり方を編み出していくチャンスでもある。
 その上で、同時併行してすすめていかなければならない大切なことは、繰り返しになるが、被災地の人々がどこまで本当の意味での主体となって、二一世紀にふさわしい新たな理念のもとに、長期ビジョンに立って、この広大な被災地をどのように復興させていくことができるのか、という問題である。このことは、3・11を境に遅かれ早かれ必然的にはじまるであろう二一世紀の新しい国づくりにもつながっていく重大な課題でもあるのだ。

地域復興の基軸に家族をおく ― 家族の再生なくして復興なし
 では、初動の復旧の段階に引き続きはじまる第三段階の本格的復興に際して、おさえておくべき大切な基本姿勢と考え方とは、どのようなことであろうか。
 地域社会の基本となる基礎単位は、家族である。今、大震災によって、この家族が壊滅的な打撃を被ったのである。地域社会を人体に譬えるならば、家族は人体を構成する基礎単位である無数の細胞の一つひとつにあたる。細胞が衰弱し、人体が再起不能に瀕しているとするならば、この人体を回復させるためには、何よりも、人体を構成する無数の細胞の再生に向けてあらゆる手立てを講じなければならない。このこととまったく同様に、家族が壊滅的な打撃を受け、そのために地域社会が再生不能の瀬戸際に喘いでいるとすれば、この地域社会を復興させるためには、何よりもまず、地域社会の基礎単位である家族を無条件で全面的、直接的に支援し、回復させなければならないのは当然である。衰弱し、壊滅の瀬戸際にある家族を放置したままでは、地域社会は干からびた細胞のような家族で充満していくだけで、一見どんなに立派な地域復興支援を上から試みたとしても、結局、徒労に終わることは目に見えている。家族の再生抜きにしては、地域社会の本当の意味での復興はあり得ないのである。
 本人の意思とは無関係に突如として襲った災害である。それを自己責任として被災者本人がどこまで負担しなければならないか、といった議論自体が不条理であり、土台間違っている。住居を流されたり、壊されたりした世帯に対しては、それが全壊であろうと、半壊であろうと、安心して暮らせる住まいの再建のために、すべて全額公的負担で支援するのが当然である。家族が再生できないところに、地域社会の復興などあり得ないのである。とりもなおさず住まい再建の全額公的負担、これこそが家族が生き生きと甦り、地域に復興へのエネルギーが漲る土台であり、これによって被災地の復興ははじまるのである。

復興は上からではない
      ― 市町村の人々が主体に下から上へ積み上げる
 一九九五年の阪神・淡路大震災では、上から一方的な「再開発」や空港整備など巨大開発の計画を持ち出し、住民に押しつけたことが大きな問題を生んだ。被災地復興における家族再生のもつ重大な意義を考えるならば、決してその事例を踏襲してはならない。まずこのことをおさえておきたい。失われた家族の住居・ライフラインをはじめ、生活備品など生活手段を無条件で、全面的、直接的に支援すること。これを被災地復興の第一義的な支援に明確に位置づけなければならない。
 次に重要なのは、学校、病院、介護施設など公共施設の再建である。同時に、家族成員の就労の場を保障することが極めて大切になってくる。そのためには、長期的展望のもとに、どのように産業基盤の復旧・復興をはかるかという課題が控えている。たとえば漁業を主産業とする地域である場合は、漁場の環境回復、漁具、漁船、漁港、水産加工・保存施設、商業・流通などの復旧に早期に着手しなければならない。農業を主産業とする地域であれば、何よりも田畑の土壌回復にはじまり農機具に至るまで、計画的に復旧させていかなければならない。甚大な被害を目の当たりにして、若い人ほど揺れている。ただでさえ高齢化に悩むこれら農林漁業や地場産業において、せっかくの後継者が地域を離れていく契機になってはならない。どのような農村、漁村に再生していくのか、見通しと夢を描いていくことが極めて重要である。
 そのためには、各市町村を単位に、何よりも農林漁業、中小零細の商工業、公共的職務に携わる当事者および地域住民が主体となって、それを基軸にして県が補完する体制のもと、実態調査をおこなわなければならない。そして、地域地域の復興プランの策定に取り組み、復旧・復興に必要な予算を市町村ごとに計上していくことが大切である。こうして市町村の現場から積み上げていったものを、最終的には県単位にまとめあげ、必要な予算総額を国に要求していく。上から下へ押しつけていく方法では、それぞれの地域の自然や歴史に根ざした創意ある豊かな計画は生まれてこない。

従来の常識をくつがえし、今こそ独創的な財源捻出を!
 復興の費用は、莫大なものになることが予想される。被災者本人の意思とは無関係に突如として襲った大災害である。まずこのことを、繰り返しになるが重々肝に銘じておく必要がある。国民的連帯の気運に乗じた「連帯税」とか、「復興税」とか、「消費税増税」によって復興財源に充てるといった議論が、この時とばかりに早々と持ち出されてきている。しかし、未曾有の非常事態に直面している今、考え方を根本から変えなければならない。
 ここ一〇年来、巨大企業は、派遣労働など非正規の不安定雇用を増大させ、リストラと賃下げ、下請け中小企業に対する単価の切り下げなど、庶民の犠牲のもとに巨額の利潤を上げ、法人税減税など巨大企業に対する数々の優遇政策のもと、莫大な内部留保を積み増して来た。一九九七年〜二〇〇七年の一〇年間で見ても、巨大企業の内部留保は一四二兆円から二二九兆円に急増し、さらに現在では二四四兆円にものぼり、手元資金に限っても六二兆円におよぶと言われている。
 政府試算で総額一六兆円とも二〇兆円とも言われ、あるいはそれ以上を必要とする復興費用の財源については、この際、一握りのメガバンクなど大手金融機関や巨大企業に積み増しされてきた巨額の内部留保金に追加課税することを含めて、徹底した国民的議論を尽くさなければならない。とにかく国民経済全体を見渡し、余力があるところはどこなのかを十分に考え抜き、そこから資金を工面し復興の財源にすることが筋なのではないか。
 また、原発事故の賠償については、今いろいろと取り沙汰されているが、結局は庶民に負担が大きくのしかかる方法であってはならない。東電が負担の全責任を負うことを大前提にしなければならない。やむなくその一部を政府が負担する必要がある場合でも、財源は、庶民の負担増ではなく、大手金融機関や巨大企業に積み増しされてきた巨額の内部留保への追加課税による解決を根幹にしなければならない。
 今ここで、国や地方自治体の住宅政策がいかに大切であるかを理解するためにも、第二次世界大戦による壊滅的な戦禍を被った西ドイツにおいて、戦後復興の極めて困難な時期に打ち出された住宅政策や都市計画・国土政策について想い起こしておきたい。
 戦後、W・レプケらの地域主義の基本理念に立って政策を推進していった西ドイツ政府は、国や社会の繁栄の基礎は家族にあるとして、家族が安心して平和に暮らせるためには、何よりもしっかりした住居の整備からはじめなければならないと考えた。「社会の基軸に家族をおく」というこの考え方は、“森と家族の共生”という森の民としてのゲルマン民族独自の伝統的思想を受け継いだものである。そして、この考えに基づいて住宅政策が進められていった。
 ドイツの住宅政策は、大戦直後の厳しい財政事情にもかかわらず、積極的な公的財政支援をおこなって、住宅耐久年数一〇〇年の建築基準を定め、一〇〇年間の長期無利息で建築に必要な資金の七〇%を融資する制度を実現していった。つまり、無利息で親子三代にわたる長期の返済制度である。
 その結果、西ドイツでは、緑に囲まれ自然の景観に調和した、美しくどっしりとした住宅が、次々に建てられていった。家族が生き生きと甦り、そのエネルギーによって西ドイツは見事に復興を成し遂げたのである。
 高度成長期の日本において、その場しのぎの政策によって狭い土地に密集して住宅が建てられていくのを見て、ドイツの元首相シュミットが「ウサギ小屋」と評したのとは、たいへんな違いである。それは、住宅そのものが貧弱であるということ以上に、高度成長期の日本人の考え方、とりわけ国や地方自治体のあり方や政策の根幹を成す思想そのものが問われているということなのであろう。
 この度の震災で住宅を流されたり、壊されたりした世帯に対して、それが全壊であろうと半壊であろうと、すべて全額公的負担で支援することを基本原則にしなければならない。万が一、それではどうしても国の財政が立ちゆかないと国民が判断した場合には、「一〇〇年間の長期無利息の融資制度」をごく一部組み合わせるという方法も考えられるのではないか。未曾有の巨大震災に直面したのである。これまでの考えを安易に踏襲するのではなく、既存の枠を取り払い、西ドイツの経験などからもおおいに学びながら、あらゆる方法を駆使して日本独自の素晴らしい解決方法を編み出していかなければならない。

誰のための復興構想なのか
 四月十二日付の新聞報道によると、大震災から一ヵ月後の四月十一日、菅内閣は持ち回り閣議で、有識者に東日本大震災からの復興像を描いてもらうため、「東日本大震災復興構想会議」の新設を決めた。この「復興構想会議」の議長は、五百旗頭真・防衛大学校長が務め、六月を目途に第一次提言をまとめるという。会議の議長代理には、建築家の安藤忠雄氏と御厨貴・東大教授が就任。脚本家の内館牧子氏ら各界の識者に加え、被災地の岩手、宮城、福島三県の知事ら十二人を議員に起用する。特別顧問(名誉議長)として、哲学者の梅原猛氏が参加するという。また、「復興構想会議」の下には、研究者や財界、労働界などから一九人を起用して検討部会を設ける。
 概略以上のような報道内容から推察するに、実質的にはその背後で現政権にとって都合のよい政・官・財・学の「新成長戦略」推進派の実働グループが中心になって策定する案を、この「復興構想会議」を隠れ蓑にして世間的にも権威付け、思うがままに押し進めていこうとする魂胆が透けて見えてならない。こうした常套手段は、これまで幾度となく繰り返し使われてきたのであり、今や誰もが多かれ少なかれ、そのような目で見ているに違いない。
 こうした政権レベルの表立った動きのかなり前から、復興構想に関する見解や提言が、メディアを通じて早々と伝えられていた。残念ながら、こうした見解や提言のほとんどが、今なおこれまでのものの見方や考え方、つまり成長信仰から脱却できずに、ただ目新しさやあるいは表面だけの受けを売り物に、被災地の人々を置き去りにしたまやかしであるように感じられる。これでは、3・11を機に大きく変わりつつある社会の客観的動きに応えることができず、その見解や提言自体が、いずれ色褪せざるを得ないであろう。それだけではない。今、災害に苦しみ、必死に生きようとしている住民に間違った幻想を植えつけ、何年後かには、取り返しのつかない重大な打撃を再び与えることにもなりかねない。

にわか仕込みの復興構想私案 ― その典型
 大震災から三週間も経つか経たないかのうちに新聞に発表された梅澤高明氏の提言「東北に未来都市をつくろう」(朝日新聞、二〇一一年四月二日付「耕論 ―3・11 再起」)などは、その典型である。今後のためにも、少し長くなるが引用しておこう。

(引用はじめ)
 (前略)私たちは青森市や富山市などで進む「コンパクトシティー」の発想を取り入れた大胆な地域づくりを、政府関係者に提言しています。
 コンパクトシティーとは、都市機能と集合住宅を中心部に集約した利便性の高い街のことです。この未来型の都市を東北の農村にいくつかつくりましょう、そこにみんなで住みませんか、という提案です。
 この地域は高齢化と人口減少が進み、しかも広大な土地に集落が転々と存在しています。これを前提にインフラや公共サービスを復旧し、医療や介護を続けるには膨大なコストがかかり、効率も悪すぎます。
 そこで、まず海岸から離れた危険度の低い土地をいくつか選びます。それぞれの中心部には免震・耐震構造の高層ビル群を建て、そこに行政機関や商業施設、医療や介護施設、そして住居が入ります。高層ビルは津波からの避難場所も兼ねます。
 中心部の住居は、お年寄りに入ってもらいましょう。歩ける範囲で、すべてがまかなえるようになります。介護サービスをする側も目が届きやすい。周辺部は子ども世代です。おじいちゃん、おばあちゃんが孫の顔を見に行くのもすぐです。将来、子ども世代が年をとったら中心部に移り住む。こういう発想です。
 外側には広い土地ができます。ここに田畑をつくり、コンパクトシティーから通えば、年をとっても安心して農業を続けられるでしょう。生活の質は確実に上がるはずです。(中略)
 それぞれのコンパクトシティーは、(中略)先端的な特色を持たせる。
 例えば高度な高齢者医療の集積地をつくるとか、産学協同の再生・循環型エネルギー推進地にするとか、東北ならではの温泉・食・スキーをパッケージにした観光基地にするとか。「農業の工業化」、つまり生産から加工・調理・包装までを取り込んだ新たな形態をつくるのもいいかもしれません。(中略)
 財源ですか? 国内だけで考える必要はありません。世界にはコンパクトシティーを支援する会社もある。外国の資金やノウハウ、人材を持ってくることも考えてほしい。(中略)
 もちろん、土地所有など私権の大幅な制限が必要です。(後略)
                             (引用おわり)

 この記事に添えられた略歴によると、梅澤氏は、一九六二年生まれ。日産自動車勤務を経て、アメリカ大手経営コンサルティング会社のA・T・カーニーへ。二〇〇七年から同社の日本代表。経済産業省のクール・ジャパン官民有識者会議の委員であるという。
 さすがにアメリカの大手コンサルタント会社A・T・カーニーの日本代表であるだけに、徹底した市場原理主義者である。大震災からまだひと月も経たないうちに、被災地の人々の知らないところで、アメリカ金融資本参入をはじめ、外国からの人材投入等々を目論む言動から垣間見えるものは、「復興」を食い物にした新たな利権をめぐって政・官・財・学が一体となって蠢動する姿である。
 氏は、3・11大震災が起こる数ヵ月前、昨二〇一〇年十一月九日付でWEBサイトに掲載された講演録の中で、こう語っていた。
 「日本は、……国内産業がばらばらであるためになかなか世界でうまく戦えていません。その状況を打破するひとつのきっかけとして有り得る話が、『生態系輸出』というストーリーです。たとえば、原子力や火力発電設備に高圧の送電設備、さらには発電オペレーションをセットで売っていく戦略です。……東芝や日立といった重電メーカーと東京電力やJ‐POWERのような電力事業者がセットで海外の大型案件をとりに行く。そして発電所を納入する設備需要だけでなく、その先二〇年〜三〇年と続く発電オペレーションやメンテナンスの需要をとりにいくという戦い方です」(オンライン経営情報誌『GLOBIS.JP』、二〇一〇年十一月九日付掲載講演録「グローバル超競争と日本経済の復活」より)。
 そして今度は、東北のコンパクトシティーという大型案件をセットでとりに行くという戦い方なのか。かつて、人を殺す武器を売って巨利に群がる者を国際政治学者の岡倉古志郎氏は、「死の商人」と呼んだが、果たしてこれは、何と表現したらよいのだろうか。
 梅澤氏は、同じこの講演の中で、次のように続けて語っている。
 「さらに言えばEVのエコシティ。最近では『スマートシティ』とか『スマートコミュニティ』とか、色々な呼びかたをされていますが、不動産開発の領域から街のコンセプトを考え、分散型発電を行うエコタウンをつくるという事業です。ここにマイクログリッドやスマートメーター、あるいは充電ポストといった関連サービスを組み合わせたら、相当大きなプロジェクトになりますよ。しかも日本はそれら分野ですべて技術要素を持っています。それを組み合わせて大きく売りましょうというのが生態系輸出ですね」。

続々と現れる復興への目論見
 こうした考え方は、梅澤氏に限ったものではない。同じような見解や構想案が次々に出てくる。氏と同じ日付の朝日新聞社説「復興再生ビジョン ― 希望への一歩構想しよう」では、「例えば仕事と生活の場を極力分け、住居は高台に置く、『職住分離』を原則に考えたい。……一人一人の高齢者が分散して暮らすのではなく、一定の地域に集中して住み、病院通いや買い物など気楽に出来る街を作りたい。そのモデルになる中核都市を東北各地に作れないか」と述べられていた。先に引用した梅澤氏のコンパクトシティーに酷似した考え方である。復興財源については、「現行消費税に上乗せして課税する方法も考えたい」とされている。
 また、同日の同紙記事によると、菅首相は、「すばらしい東北、日本をつくるという夢を持った復興計画を進める」と強調。三陸沿岸の再生策については、「山を削って高台に住むところを置き、海岸沿いの水産業(会社)、漁港まで通勤する」「植物やバイオマスを使った地域暖房を完備したエコタウンをつくり、福祉都市としての性格を持たせる」などと説明した、と報じられている。
 さらに、同紙四月一七日付記事では、菅政権は「津波被害を受けた各地の農地を集約して大規模化を進める一方、壊滅した小さな漁港も拠点ごとに集約するための法案を今国会に提出する方針を固めた。東北地方を新たな『食糧供給基地』と位置づけ、攻めの復興策を目指す」とされている。「規制も緩和し、農業生産法人などの新規参入を促す」という。
 そこには、農林漁業、ひいては農山漁村の衰退の原因をつくってきた過去の政策に対する省察も反省も見られない。もともと農林漁業は、家族を基盤に自然と人間と地域との有機的一体性の中にあってはじめて、本来の繊細にして豊かな機能を十二分に発揮し成り立つものである。戦後の農政は、経済成長と引き替えに、農林漁業が持つこの固有の特性をないがしろにし、農林漁業と農山漁村を衰退へと追いやってきた。菅政権はこの大震災を機に、今度は軽率にも圧倒的多数を占める中小家族経営を排除し、本格的な規模拡大と効率化をさらに徹底した形で推し進めることによって、その同じ誤りをまたもや繰り返そうとしている。これでは、日本の農山漁村に最後のとどめを刺しかねない重大な失策を犯すことになるであろう。
 これまた朝日新聞二〇一一年四月一六日付の土曜版『be』では、日本政策投資銀行参事役の藻谷浩介氏を二ページにわたって大々的に喧伝。氏は、この数日前、政府の復興構想会議の下に設けられた検討部会のメンバーに指名されたところである。この記事によると、氏は、新書のベストセラー『デフレの正体』(角川グループパブリッシング、二〇一〇年)の著者であり、学者でも評論家でもなく、銀行員であるという。
 氏は、この著書にこう書いている。「……水だとか、ワインに日本酒にお米に野菜に果物に肉、そして装飾品、服飾雑貨についても、日本製品は世界最高だと、車がやってきたのと同じようにアジアの金持ちに言わせることができるか、そこが本当に命をかけてやるべき競争なのです」。また、こうも書いている。「ハイブリッドカーの場合の言い訳は実利面と理想面と二つもあります。前者がエコカー減税や買い替え補助金であり、後者が『地球環境を考えるのはいいことだ』という大義名分です。このように利得とタエマエと両方の言い訳があれば、人間は抵抗少なく購買行動に走ります」。
 このいかにも軽い市場原理主義者が、同じ著書の末尾に、何の脈絡もなく「私が深い確信をもって想像するのは、『多様な個性のコンパクトシティたちと美しい田園が織りなす日本』の登場です」と述べるのである。そのあまりにも大きな落差には、これまた驚きである。こうした考え方の持ち主で多くを占められた復興構想会議の検討部会メンバーによって、被災地の人々の知らないところで、いつの間にか話が進められ、ある時突然、上から押しつけられてきたとしたら、たまったものではない。

復興構想私案の震源地はここにあり
 『文藝春秋』二〇一一年五月特別号(四月九日発売)で、日本経団連会長の米倉弘昌氏は、「震災に負けない『日本経済復興プロジェクト』」と題する文章の中で、次のように述べている。
 「昨年十二月、経団連は日本経済の復活・再生に向けた民主導の競争力強化のためのアクションプランとして『サンライズ・レポート』を発表した。……その中の目玉ともいえる『未来都市モデルプロジェクト』は、全国十二の都市・地域に環境、エネルギー、IT、医療、交通、農業などの分野で日本企業が有する最先端の技術を結集し、革新的なシステムやインフラの開発を行っていく計画だ」。
 たとえば農業分野については、「最先端技術を駆使した先進農業に取り組む。具体的には、GPSを使って農機や無人ヘリコプターの自動運転を行うほか、農薬や肥料を精密散布する。さらには、IT技術を使った農作物の生産、流通の工程管理に取り組む」という。「このような最先端の技術に基づいた革新的なシステムやインフラが完成すれば、これを国内に広く展開すると同時に、海外に輸出していくことで、日本の新たな成長産業を生み出すことができるだろう」とし、「現在、政府は日本が卓越した技術を持つ新幹線などを世界に積極的に輸出することで、新たな成長の原動力としようとしている。経済産業省はインフラ輸出関連のGDPが二〇〇七年の一・一兆円から、二〇二〇年には一三・四兆円になると予測しているが、この『未来都市モデルプロジェクト』が成功すれば、その額はもっと増えるはずだ」と続けている。
 この引用の中で内容の一部が紹介されている「先進農業・教育推進都市」のほか、日本経団連の『サンライズ・レポート』には、未来都市モデルプロジェクトとして、「スマートシティ」、「先進医療・地域医療連携と地方観光資源の融合による日本型ツーリズム地域活性化」、「アジアにおける物流先端都市」など十三の具体的プロジェクトが挙げられている。そして、これら未来都市モデルプロジェクトの実施場所については、「インフラ整備や事業展開のしやすさ、地域活性化への貢献などの観点から、とりあえず人口二〇万から三〇万人程度の区域を中心に、実証実験の内容や地域特性、さらには、自治体の意欲などを勘案して柔軟に判断する」とある。
 この『レポート』には、さらに「本プロジェクトが連携を予定している政府の総合特区制度は、二〇一一年の通常国会に関連法案が提出され、早ければ二〇一一年春には特区の提案募集、二〇一一年夏から秋頃には特区の指定が行われる見込みである」と書かれている。
 国会は、国権の最高機関であったはずだ。財界のいわば私的機関に過ぎない経団連界隈でお膳立てされたプロジェクトなるものが、政府の特区制度と連携すべく、その関連法案が国会の日程まで約束されて国民に見えないところで準備されていたのには、驚いている。大震災によってこのスケジュールは若干遅れてしまったとしても、復興の切り札を装い、強引にすすめられていくにちがいない。
 ここで先に一部簡単に触れた梅澤氏、朝日新聞社社説、菅首相、藻谷氏、これら諸氏のコンパクトシティーなるものには、なぜかお互い見事に相通ずるものがある。それらの背景には、かなり以前から準備されてきた経団連の『サンライズ・レポート』と気脈を通ずる一連の様々な動きがあったのであろう。震災からひと月も経たないうちに、競うように続々と類似の提言があらわれてきているのも、やはり背景にこのような事情があってのことにちがいない。震災後の今となっては、被災地の復興は、経団連の「未来都市モデルプロジェクト」を推進する、あるいはそれに乗る絶好のチャンスとばかりに、その周辺を蠢きはじめたということなのであろう。

財界の意を汲む復興構想の末路
 経団連のこの『サンライズ・レポート』が文書にまとめられ公表されたのは、昨二〇一〇年十二月のことではあるが、それは、一九八〇年代、アメリカが国内製造業の大苦戦を強いられる中で、自国産業の国際競争力を回復するためのプランとしてまとめた『ヤング・レポート』の取り組みをヒントに、財界主導でかなり以前から準備されてきたものであろう。もとを正せば、震災以前に打ち出された菅内閣の「新成長戦略」なるものの本質も、実は財界主導のこうした動きの中で、その意を受けて出されてきたものであると言える。こうした事情を含めてこれらを「新成長戦略」と呼ぶならば、先に挙げた諸氏をはじめ大震災後の一連の動きも、震災以前の旧態依然たるこの「新成長戦略」に、何の反省もなくただひたすら追従しようとしているにすぎないものではないか。震災後ただちに発表された先の『文藝春秋』誌上での経団連会長の発言は、この「新成長戦略」を変更することなく推進する決意を、あらためて表明したものにほかならない。
 菅内閣が、大震災による時代転換の重大な歴史的意味を深く認識することなく、震災以前につくられた財界主導の方針にただただ追従し、相も変わらず「新成長戦略」のもとに被災地復興と都市開発を性急に上から押しつけていくならば、取り返しのつかない大きな誤りを犯すことになるであろう。
 特に東北地方は、戦後六五年の歴史の中で、たえず大都市部へとヒトとモノを送り出し続けてきた結果、農山漁村地域の過疎・高齢化がもっとも進んだ地方の一つである。長きにわたって続けれてきた過去の政策のツケが、この大震災によって最後のとどめを刺されかねない事態に陥っていることを忘れてはならない。天災のみならず、人災、しかも今の一時期ではなく歴史的に蓄積されてきた様々な要因による複合的な人災によるものなのである。
 効率的であるからといって、周縁の広大な農山漁村と切り離した形で都市機能を中心部に集約し、快適なコンパクトシティーを急ごしらえする発想は、これまで人工的な巨大都市で贅沢な生活を享受し、農林漁業のなりわいやその多様な機能・意義を肌身で知らないごく一部の都市エリートによる、財界の意を汲んだ思いつきでしかない。それは、決してて東北地方の人々のために考えられたものではない。大切なのは、戦後一貫して経済成長の犠牲となり、放置され見過ごされ、未解決の大きな問題を抱えたまま取り残されてきたこの広大な農山漁村をどのようにして再生していくのか、という課題意識のもとに、そもそも地域とはいかにあるべきかを今こそ根本から考えなおすことなのではないか。東日本大震災からの復興にあたって、地域づくり、街づくりのあり方を論ずるのであれば、少なくともこうした考察を抜きにしては考えられない。
 かつて、高度経済成長の時代に地方の農山漁村から大都市への人口移動が急速にすすむ中、時代の要請に即応するかのように、大都市郊外の農地や林野を開発して、大規模な宅地造成をし高層アパート群を建て、その地域の伝統とは切り離された形で続々と巨大ニュータウンを建設していった。大阪の千里ニュータウン(一九六二年入居開始)、東京の多摩ニュータウン(一九七一年入居開始)がその代表的な典型である。高度成長の波に乗って地方から出てきた若者は、やがて家庭を持ち、甘い夢を抱いて住みついていった。
 あれから四〇年経った今日、かつて最先端の街であったこのニュータウンも、急速に進む少子・高齢化の波の中で実に奇妙な街へと変貌を遂げた。人口の年齢構成は過疎地並みとなり、高齢者の単身世帯も増加している。生活を営む人々にとって、当初より住みやすいとは言えないものであったこの近代的都市は、今や高齢住民の医療・介護問題、経済的困窮化、「孤独死」、さらには建物やインフラの一斉老朽化など、新たに深刻な問題を抱え、「都市の限界集落」と揶揄されるにまで至っている。わずか四〇年の歴史的変貌である。長期展望のないままコストや効率といった近視眼的で偏狭な経済的側面にとらわれ、人間らしい営みや近所同士の関わりあい、家族の成熟や世代継承などを軽視し、地域の自然に根ざしたなりわいとは隔絶した形で極めて人工的に急ごしらえする都市開発が、いかに危険きわまりないものなのかを、この事例からも学ぶ必要があろう。
 私たちは、自然や歴史への根源的なまなざしと長期的な展望のもとにものごとを考える力を、今こそ取り戻さなければならないのである。
 財界をはじめこれまで触れた一連の見解や提言の特徴は、エネルギーや資源の無限利用と経済の際限のない拡大を前提にした、従来型の経済成長路線の延長上にあらわれた地域構想であり、社会構想である。時代は3・11を境に、不可避的に新たな方向に大きな潮流となって動きはじめるであろう。こうした構想は、いずれ新たな価値に基づく社会への転換をもとめる人々の潮流とは本質的にそぐわないものになり、色褪せ破綻していかざるを得ないであろう。

未来社会を展望し得る論究の欠如とそれがもたらす弊害
 こうした構想が出てくるのも、無理もないことなのかもしれない。それは、未来社会を展望し得る普段からの真摯な論究が、あまりにも欠落していたことによるものであろう。わが国においてはマスメディアをはじめ論壇や言論界は、欧米などと比べても、あまりにも「経済成長」の枠内にとどまった中での細部の差異にこだわる議論の繰り返しで、その時々の目先の施策に終始したものであった。つまり、こうした狭い枠組みを超えた、まさに未来を展望し得る根源的な論究は、極力避けられてきたように思う。「ゼロ成長」とか「脱成長」とかいった社会構想にしても、ほとんどが時たま欧米から輸入される翻訳書の紹介程度にとどまるのである。それすらも単発的な紹介記事に終わり、さらに深め議論されることはほとんどなかった。ましてやわが国の現実から出発し、そこから未来への新たな可能性を見出そうとする気風や土壌は、あまりにも欠如していたことを認めざるを得ないのである。
 この欠如こそが今、大震災からの復興構想を長期ビジョンのもとに描くことを困難にしている。それは、平時の普段から、二一世紀を長期的に展望し得る、しかもわが国の現実から出発した地道な議論が、「失われた一〇年」とか「失われた二〇年」などと繰り返し騒がれながらも、実に長きにわたって封印されたまま、なされてこなかったことによる弊害である。このことをまず自覚する必要がある。
 先に梅澤氏の見解を取りあげたのは、それをただ批判すればそれで済むと言うことではもちろんない。また、それが目的でもない。震災直後から、氏と類似の復興への見解や提言が次々に出されていること自体に驚いているからである。それは、震災によってこれほどの壊滅的な打撃を受けたにもかかわらず、3・11以前の国民の思想的土壌が今なお払拭しきれずに、依然として根強く存在し続けているからなのではないだろうか。冒頭にも敢えてテレビ番組を例に触れたように、由々しきことは、国民を3・11以前の意識状況に引き戻そうとする得体の知れない大きな力が絶えず体系的かつ系統的に働き、それがますます強まってきているという現実である。経済成長の枠組みから一歩も外へ出ようとさえしない内輪の議論が、文明史の流れを分けるとまで言われているこの未曾有の非常事態においてもなお、延々と繰り返されているのには、それなりの理由があると見なければならないであろう。

弱さを克服し新たな基本理念の確立を
 この状況から抜け出すことは容易でないことも承知で、これまで触れてきた傾向とはおそらく対極にある前掲『菜園家族宣言』をあわせて読んでいただき、それらとの違いがどこにあるのかを吟味していただきたい。財界をはじめ絶大な権力を有する現体制を背景に、次々に打ち出されてくる類似の見解や提言の本質を見極める、ささやかな契機になればと思っている。そして、この『菜園家族宣言』が、被災地の復興にとって何よりも大切な、新たな価値に基づく基本理念と基本原理を見出していく一助になれば、と願っている。
 当初、今回のこの小文の表題を『東日本大震災からの復興は21世紀日本のかたちを決める』とも考えてみたのだが、それは、3・11によって日本が重大な岐路に立たされている今、被災地の復興のゆくえが日本の進路を決定づけるという信念のもとに、被災地から離れた地域に生活する私たちも、それぞれの自らの地域において、新しい時代にふさわしい地域再生の道をひたすらに探究し続けることが、やがて被災地への最大にして究極の支援になるはずだ、という思いを込めてのことであった。そうなることを心から願っている。
 「過度の自粛は経済を萎縮させ、被災地のためにならない」といったたぐいの一知半解の市場理論もどきに惑わされ浮かれることなく、この時こそ、被災地の人々の苦悩や悲しみをわが身にしっかりと引き寄せ、いつまでも徹底的に自粛するのだ。そして、このような事態になってしまったことの本当の意味を深く考え、被災地の人々とともに、明日への道を切り拓いていくのである。
 『菜園家族宣言』は、まさにこうした自粛からはじまるひたむきな国民的思索の努力の中で、これから本格的に登場してくる被災地復興の旧態依然たる構想のどこに問題があり、その拠って立つ理念がどんな時代認識に基づいているものなのかを浮き彫りにしていくであろう。この『宣言』の中で展開されている社会構想の核心とも言うべき理念と原理は、被災地の復興を考えていく上でも、さらには、二一世紀日本の未来を構想する上でも、その基本的な理念と原理になるにちがいないと確信している。

3・11からの復興は21世紀日本のかたちを決める
 菅首相と前原前外相がベトナムに出向いて原発のトップセールスに奔走し、その成果を誇示したのは、3・11直前のつい最近のことであった。よもや「あれはあれ、これはこれ」などと言ったりはしないであろう。官民一体となって原発を推進する傾向をよしとして伝えてきた、あるいは懐疑的な見方や反対意見をほとんど併記せず、国民に深く考える機会を与えようとしてこなかったマスメディアの責任も、大きいと言わなければならない。
 とにかく原発の問題は、フクシマを教訓に一国の首相たるものは軽々しく扱ってほしくないのである。それは、多くの人々の心からの願いでもあろう。日本国内ではもうすでに五四基の原発が配置されている。原子力に下支えされた快適で便利で「豊かな」暮らし。「エコ」とは裏腹に、危険は地球に拡散し、充満していく。この危険を代償にあてがわれる暮らしとは、一体何なのだ。こんな国土を、地球を子どもや孫たちに渡すわけにはいかない。
 3・11までの日本は、原子力に頼りさえすれば、CO2の排出量を気にせずにエネルギーを青天井に生み出すことが可能であるという前提のもとに、生産を拡大し、「消費は美徳」とばかりに浪費を煽り、需要と供給の好転のみを金科玉条の如く追い求めて来た。原子力事故の国際的評価尺度(INES)で、旧ソ連チェルノブイリ原発の大惨事(一九八六年)と同じ最悪のレベル7と評価された福島原発の事故によって、この前提は脆くも崩れたのである。3・11は、あらゆる意味において、それ以前とそれ以後を画する大きな分水嶺になるであろう。
 これまでの前提が大きく崩れた以上、経済は縮小していかざるを得ない。こうした中で、市場競争至上主義「拡大経済」に代わる新たな流れが、ゆっくりではあるが確実に力強くはじまるに違いない。それに伴って、人々の価値観も大きく変わっていくであろう。新しい時代のはじまりである。それは、人々が限りある資源を分かちあい、共に支えあい、自然に溶け込み融和しつつ、人間らしく生きる新たな価値への転換、つまり、自然循環型共生の新たな社会への大きな流れなのである。
 それはまた、これまでの市場競争至上主義「拡大経済」からの勇気ある訣別を意味する。東日本大震災からの真の復興は、こうした新しい流れの選択による壮大な長期ビジョンのもとに、何よりも被災地の人々とともに英知を結集し、閉じられたごく一部の政・官・財・学のグループによってではなく、被災地の人々をはじめ広く国民に開かれた対話によってはじめて可能になる。こうしてはじめて、真の復興への国民的エネルギーは、より大きく結集されていくのではないだろうか。

むすびにかえて ― 北国、春を待つ思い
 現在、琵琶湖畔・鈴鹿山中に研究調査の拠点をおく私たちの出発点には、長年にわたって研究してきたモンゴルの遊牧地域がある。モンゴルがアジアの片田舎であるとするならば、遊牧の村は、そのまた片田舎の小さな地域社会であると言える。そんな「辺境」で生きる人々の姿は、私たち現代人の暮らしのあり方や、ますます混迷を深める世界のゆくえを見つめる上で、実に大切な視点を与えてくれたように思う。
 モンゴルの遊牧民が好む花に、ヤルゴイ(モウコオキナグサ)という早春の草花がある。
 北国の高原の酷寒に耐えぬいたヤルゴイの草たちは、春を迎え大地が根雪をとかすと、一斉に芽を吹き出し、紫や黄色の小さな花を咲かせる。これは現実かと目を疑うほど華やかに冬の灰色を吹き飛ばし、なだらかな丘陵の南斜面に鮮やかな色彩をひろげる。それは、見事な生命力を見せつけてくれる。
 この小さな蕾には、ビタミンがいっぱい詰まっているという。長い冬の間、雪の下でじっと堪えたエネルギーが、一気に噴き出すからであろう。越冬に体重を三割近くも減らし、憔悴しきった家畜たちは、丘にうす緑が広がると一斉に駆け登り、春一番に咲くこの栄養源を夢中になって食み、急速に体力を回復してゆく。
 大自然の循環の中で、家畜たちの生命の再生のために、肩ひじ張らず、あるがままに献身するこの可憐な花に、遊牧民たちは自らの生きざまを重ね合わせる。そしてわが身も同様、地上と天上を巡る大循環の中にあることを思う。それは、自己の生存の因縁を悟り、生命に対する敬虔な心に浸る一瞬でもある。
 モンゴルの自然は厳しい。しかし、じっと目を据える余裕があるならば、大地と家畜と人間が、悠久の歴史の中で織り成し創りあげてきた、繊細にして見事な世界がそこにあることに気づくであろう。人間は、まさにこうした世界の中にあってはじめて、自然の過酷さに耐える能力も、つつましさとか心優しさといった人間の優れた資質をも育むことができたのである。
 先進工業社会に生きる私たちは、あまりにも科学技術を過信すると同時に市場原理を神格の座に祭り上げ、欲望を掻き立て、ひたすら走り続けてきた。その結果、人々は大地から分断された極めて人工的な世界の中で、一〇〇パーセント賃金に依存する根無し草のような暮らしを強いられることになった。個性的で多様な幸福観は、人間が大地を失い耕すことを忘れたその時から、次第に画一化され始めた。人間の幸せはいつしかモノとカネによってのみ計量され、心の安らぎはますます失われてゆく。今人類は、手のつけようのない不可解な世界に迷い込んでしまったようだ。このままでは断崖から落ちていくほかあるまい。
 人間は自然の一部であり、人間そのものが自然であるという、現代人にはとうに忘却の彼方に追いやられたこの命題が、文明の地の果てと言われる“遊牧の世界”に、今もなお見事に息づいていることを記憶に留めたいものである。
 映像作品『四季・遊牧 ― ツェルゲルの人々 ―』は、そのような世界でたくましく生きる遊牧民の姿を描いている。この長編ドキュメンタリーは、一九九二年秋から一年にわたって、首都から南西へ七五〇キロ離れた大砂漠にそびえるゴビ・アルタイ山中の遊牧の村ツェルゲルでおこなった、住み込み越冬調査の記録をもとに制作したものである。
 二〇〇〇年、秋も深まり肌寒くなった仙台の東北大学で、この作品の上映会が開催された。一般の市民のほかに、三十数名ものモンゴル留学生が参加。なかでも、中国内蒙古自治区から来た留学生は、複雑な思いで見入っていたようだ。
 その一人、植物生態学専攻の大学院生ナチンさんによると、お国では、圧倒的多数を占める漢族の中で、モンゴル族はただでさえ肩身が狭いのに、高度経済成長のただ中にあって、遊牧は遅れた前世紀の遺物とみなされ、心の故郷(ふるさと)さえも失ってしまったという。仲間たちに民族文化の大切さをいくら説いても、大勢の中、ほとんどの人が考えようとしないか、諦めの境地にいる。『四季・遊牧』は、こうしたやるせない気持ちを一気に吹き飛ばしてくれるものだったという。
 さらに彼は、熱を込めて意外な指摘をつづけた。「民族として生きる心の故郷を失った内蒙古の我々と同様、今日の日本の人々も自国の中に故郷を失っている。そこに、両者が理解しあえる共通の何かがあるのではないか」と。
 私たちは長年の間、『四季・遊牧』の世界を「辺境」からの大切な視点として受けとめ、そこから日本の現状を見つめ直し、未来のあるべき姿を模索してきたのだが、私たちの考えの核心部分と、彼の思いとがあまりにも一致していることに驚かされた。
 市場原理は、科学技術と手を結ぶやいなや、人間の意識下に眠る欲望をかき立て、煽り、一挙に暴走をはじめる。高度経済成長の過程で、人々は、一方的な市場の論理によって大地から引き離され、大地という故郷を失い、心の不安に苛まれている。
 朝昇る太陽に今日一日を祈り、夕べに沈む太陽に今日一日を感謝する。そんな中で平和な気持ちで暮らせることが、豊かなことではないのか。いのちに対する慈しみの心、感謝や尊敬の気持ちが根っこにない暮らしは、嘘だと思う。だから、二一世紀こそは故郷を奪還し、大地に根ざした人間本来の暮らしをとり戻さなければ……。いつしかナチンさんと私たちは、高揚感に浸っていた。
 留学生たちは、宴席ということもあってか、次第に閉ざされた心を開いて、幾度も千昌夫の「北国の春」を流暢な日本語で歌っていた。「届いたおふくろの 小さな包み/あの故郷(ふるさと)へ帰ろうかな 帰ろうかな」。この最後のリフレインが、“大地”を呼び戻す切なる叫びに聞こえて、いつまでも耳から離れなかった。
 千昌夫さん、あなたの目の届かないところで、今なおあなたの歌に鼓舞され、誠実に生きようとしている人がいるのです。
 未曾有の大災害の苦しみや悲しみをのり越え、多くの人々が強く生きようとしている。こうした中にあってもなお、一部の人々や政治家は、目先のことに心を奪われ、今の温もりを失うまいと必死になる。景気回復とか成長戦略とか聞こえはいいが、それは所詮、従来型の生き方を強化こそすれ、決して変えるものではない。
 今必要とされているのは、産業革命以来の路線の根本的転換であり、勇気なのである。
 大地に生きる素朴な精神世界への回帰と人間復活の壮大な道のりを心に描いて、最後に、『四季・遊牧』のエンディングから次の詩を引用し、未来に夢をつなぎたいと思う。

    それがどんな「国家」であろうとも
    この「地域」の願いを
    圧し潰すことはできない。

    歴史がどんなに人間の思考を
    顛倒させようとも
    人々の思いを
    圧し潰すことはできない。

      人が大地に生きる限り。

    春の日差しが
    人々の思いが
    やがて根雪を溶かし
    「地域」の一つ一つが花開き
    この地球を覆い尽くすとき
    世界は変わる。

      人が大地に生きる限り。

 

                        2011年4月23日

                    琵琶湖畔、鈴鹿山中大君ヶ畑にて

                         小貫雅男
                         伊藤恵子

                里山研究庵Nomad

                〒522-0321 滋賀県犬上郡多賀町大君ヶ畑452番地
                TEL&FAX:0749−47−1920
                E-mail:onuki@satoken-nomad.com
                http://www.satoken-nomad.com/

 

『菜園家族宣言 ― 静かなるレボリューション ―』(小貫・伊藤、里山研究庵
 Nomadホームページ掲載、PDFファイル、A4用紙92枚分、2010年12月8日
 更新) をあわせてご一読いただければ幸いです。

 

 

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