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【論評】 江上 徹
「透徹した近代批判の上に立つ生活像、空間像を示せ ~東日本大震災を受けて~」 (『建築ジャーナル』2011年6月号・巻頭に所収、発行:企業組合建築ジャーナル) |
月刊誌『建築ジャーナル』2011年6月号(発行:企業組合建築ジャーナル)の巻頭に、「菜園家族」構想を通じて以前よりご交流のある江上 徹先生(九州産業大学工学部教授)の論評「透徹した近代批判の上に立つ生活像、空間像を示せ ~ 東日本大震災を受けて~」が掲載されています。 ![]() この論評の中で江上先生は、
☆ 江上先生のご紹介は、こちらをご覧ください。
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【論考】 藤岡 惇
「ソ連型社会の本質は“国家産業主義”だった ―大地・生産手段への高次回帰、自由時間の拡大を指標に考える―」 (『経済科学通信』No.125、基礎経済科学研究所、2011年4月30日発行に所収) |
基礎経済科学研究所から発行された『経済科学通信』最新号No.125(2011年4月30日発行)では、ソ連崩壊から20年にあたって、特集「ソ連型社会とは何であったのか?―未来社会への展望を拓く」が組まれています。 ![]() この特集に寄せられた数々の論文の一つとして、藤岡 惇先生(立命館大学経済学部教授)のご論考「その本質は“国家産業主義だった”―大地・生産手段への高次回帰,自由時間の拡大を指標に考える―」が掲載されています。 この論考は、「自然から社会が枝分かれし、社会から政治と経済とが枝分かれした歴史的経緯を重視し、自然順応型文明の構築の展望を探ろうとする経済学を、私は“エコ社会経済学”と名付ける。この視点に立った場合、ソ連型社会はどのように見えるのかを考える」という趣旨のもと書かれたものです。 この中で藤岡先生は、「菜園家族」構想についても言及され、『菜園家族宣言』(2010年5月から当ホームページに公開中)にも触れられています。 ☆ 藤岡先生のこのご論考は、ご自身のホームページ「ピースフル エコ・エコノミー」にも掲載されています。 ☆ 藤岡先生のご紹介は、こちらをご覧ください。
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【論考】 河野直践 著 『人間復権の食・農・協同』(創森社、2009年10月刊) |
以前に『菜園家族物語』についての書評をお書き下さった、河野直践さん(茨城大学人文学部、農業経済論・協同組合論)。
![]() ☆――世界的な食料需給の逼迫が言われているのに、日本では人々が相も変わらず「飽食の時代」の狂騒に酔いしれ、いっぽうでは食料自給率の低迷や耕作放棄地の増加が続くという社会状況。
はじめに ☆――本書のテーマの一つは、「食と農」をどう再生するかにある。
【著者プロフィール】
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【論考】 川村晃生「安藤昌益の夢~三つのユートピア~」
(柴田陽弘 編著『ユートピアの文学世界』、慶應義塾大学 出版会、2008年6月刊に所収) |
ユートピア――どこにも存在しない場所 2008年7月、山梨県甲府市の川村晃生さん(慶應義塾大学文学部教授)から、突然、当庵にお便りが届きました。 この中で、川村さんは、近世江戸期に、農業を社会の基軸に据える「自然世」を説いた希有な思想家・安藤昌益(1703年生)、大正期に武者小路実篤らがはじめた「新しき村」の試み(1918年~)に続き、21世紀にめざすべき社会の提案として、「菜園家族」構想のCFP複合社会を取り上げ、考察されています。 「ユートピア」という言葉は、ともすれば、「現実から逃避した空想の世界」、「理想ではあるが、実現不可能な社会」と、否定的にも使われがちです。
ところで、川村さんのもともとのご専門は、日本の古典文学(和歌)です。
論考「安藤昌益の夢~三つのユートピア~」の章立てを、以下にご紹介いたします。 ![]() 『ユートピアの文学世界』 第2章 安藤昌益の夢 ~三つのユートピア~ ☆――江戸時代から21世紀にわたって、人々が描き続けてきたユートピアについて・・・歴史を振り返る時、私たちは一つの重要な事実に気付かされる。それはいずれのユートピアにせよ、すべてが農業が社会の基盤に据えられているということだ。 【著者プロフィール】
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マクロビオティック・マガジン 月刊『むすび』No.650(2013年11月号、正食協会 発行) 書籍紹介コーナー「新刊EXPRESS」 モンゴルから鈴鹿山中 辺境から見えてくるもの 片山明彦さん (正食協会『むすび』編集部) |
![]() 「今だけ、金だけ、自分だけ」とは、目先の利益のみにとらわれる最近の世相を皮肉った言葉です。むき出しの市場競争至上主義がもてはやされる現代にあって、著者らは「大地への回帰」こそが、混迷を深める社会を根本から建て直す指針となるのではないかと訴えてきました。 ともにモンゴルの遊牧民研究から出発し、琵琶湖畔の鈴鹿山中を拠点に、「辺境」に生きる人々の視点を大切にして、研究と実践を重ねてきた著者らは、三世代による「菜園家族」を基礎単位にした社会づくりを一貫して提案しています。 菜園家族とは、週のうち二日だけ企業や公的機関の職場で従来型の仕事をして、残りの五日間は暮らしの基盤である菜園で自給農をしたり、手づくり加工や商業、サービス業といった自営業を、三世代が協力して営むというものです。
東日本大震災で近代文明終焉の分水嶺に立たされた今こそ、「アベノミクス」に代表されるような従来型の「経済成長」をかたくなに推進するのではなく、新たな価値観のもとに大胆な一歩を踏み出そうと呼びかけています。 片山明彦(正食協会『むすび』編集部) ![]()
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立命館大学経済学部の学生の課題レポート 「菜園家族宣言」を読んで ― に対する総括的講評 (2011年3月) |
2010年、立命館大学びわこ・くさつキャンパス(滋賀県草津市)にて、経済学部教授・藤岡惇先生と共同で、後期授業科目「平和の経済学」の講義を行いました。(※ 講義全体の内容は、こちらをご参照ください。)
■ 学生のレポートに対する総括的講評(伊藤恵子)
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「菜園家族宣言」を読んで 黒須 正雄さん(東京都三鷹市在住) (2011年1月) |
☆ 黒須さんは、2000年11月に東京・世田谷区民会館でドキュメンタリー映像作品『四季・遊牧』を鑑賞されたのをきっかけに、2003~2004年にかけて滋賀県立大学(彦根市)にて開催した“菜園家族の学校”にも、毎回、ご参加くださいました。ご遠方にもかかわらず、いつも一番乗りで駆けつけ、教室や廊下で待っておられた姿が、今も懐かしく思い出されます。 その後も折にふれて、里山研究庵にお便りやE-mailなどを下さり、もう10年来の交流ということになります。 『アルプスの少女ハイジ』をはじめ「世界名作劇場」シリーズで知られる日本アニメーションでのお仕事と併行して、近江や信州で「農ある暮らし」の実践も自ら続けてこられた経験から、今年2011年年明け早々に、以下のようなE-mailをお寄せ下さいました。☆ ![]() 明けましておめでとうございます。改めてご挨拶申し上げます。
拝読しながら感じたことは、将来にわたって、この日本において、家族を中心とした菜園生活を実現するためにも、その大きな障害になっているのが、現在の日本の農政ではないかということです。
![]() ただ、現在借りている長野県の四賀村(数年前に松本市と合併)のクラインガルテンは、ドイツのクラインガルテンに形態上のヒントを得て、都市と農村の相互補完を目指した実験的な事業として、今後の「菜園家族」が、この延長線上でも考えられるのでは、とも感じるようになりました。
![]() 私自身、農にかかわってきたこの10年強の間、家族の野菜は自らの手で作り、料理して食する事を継続し、また、滋賀県での「農業小学校を作る会」の活動に参加しながら、子供達が親と一緒に土に入り、自分で種をまき、育て、料理して食べる事で、嫌いなピーマンを美味しそうに食べ、子供らしさを取り戻し、家族との一体感を持つ事を、目のあたりにしてきた経験から、この「菜園家族」構想が、かなり現実として理解できるようになったのでは、とも思います。
![]() また、現役勤労者世代には、<中山間地での土日農業を希望する都市住民の為の住宅と菜園の供給システム>。最も近いのが、上記のクラインガルテンですが、農地やワークシェアリングなど関連する法制度を含め、大きく改善された場合、都市で住宅取得やローン返済のためのハードワークを強いられている家族が、地方で住宅と食料を確保できさえすれば、大きな意識改革が生じる、と信じています。
![]() ドイツのクラインガルテンは、あくまで、現役での週末や引退後の趣味の一環としてのようですが、多くは都市から30分程度に立地するため、かなりの市民が利用し、結果的に、そこで生産される野菜の総生産量は、国内総需要の40%に相当する、と読んだことがあります。これも大きなヒントになります。
以上、漠然とした考えですが、こうした延長線上にも、「菜園家族」構想により現実的に接近していく良いヒントがあるように思います。
☆ 黒須さんが「菜園家族」構想に深く関心を寄せて下さっている背景には、「貿易立国日本」のため、商社マンとしてひたすら走り続けた20~30代を経て、40代での過労と心労からのダウンが人生の転機となり、家族や仲間とのつながりを大切にしたゆったりと健康的な生活、そして、自分が納得のゆく仕事をと、心に留めるようになられたという、ご自身の実体験に深く根ざした思いがおありになるからなのでしょう。
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「菜園家族宣言」を読んで 藤井 満 さん(朝日新聞松江総局・記者) (2010年7月) |
☆10年ほど前、大阪におられた時代から、『四季・遊牧』上映会にご参加くださるなど、ご交流を続けている朝日新聞記者の藤井満さんから、「菜園家族宣言」へのご感想のお便りが届きました。 家族はいわば細胞である。外から血液で栄養が運ばれ、細胞室内では生産活動も繰り広げられる。
なるほどなあと思う。
![]() 過疎と高齢化に悩む田舎でも、まれに元気な地域がある。多品種少量生産で野菜や果物をつくり、自給するとともに直売所などで外に売り、現金収入を得る。それだけでは現金が十分とはいえないが、かつて役場や会社に勤めていて厚生年金などを受給していれば十分食べていける。年金受給の兼業農家、とくに女性は実は元気なのだ。1人あたり月10万円の現金収入と、1~2反の畑があれば、それなりに豊かに暮らせることをこれらの事例が示している。 でも圧倒的多数の農山村の集落は、そんな「元気」はない。その差はどこから出てくるのか。「あきらめない」文化や、土とともに働く喜びを感じる文化の有無がその差であるような気がする。 あきらめない地域の典型的な例が、たとえば島根県雲南市木次町の日登地区にある。
加藤の目指した豊かな農村の夢は、高度経済成長によって一度は破れたが、教え子たちが定年を迎えはじめたここ10年ほどでまた見直されてきた。「土と働く喜び」「たえず前向きに改良する楽しさ」を植えつけられた世代の人々が今、農産物直売所や地元野菜を使った学校給食などを通して独特の明るさをつくりあげている。 ![]() 「あきらめ」「さだめ」に沈まない地域をつくる基盤には「土と働く喜び」、生活の中で何かを創造する喜びがある。それを実感できる人間は強い。
「生産教育」以外に「あきらめ」を克服する文化はないかなあと考えていたら、四国遍路の文化が頭に浮かんだ。遍路道の沿道は過疎地ばかりだけど、ほかの地域に比べてなぜか人が開放的で明るいような気がする。
「あきらめ」という名のガン細胞によって破滅するのか、それとも今もわずかに土中に残る「根っこ」を再生し豊かな農山村を再興できるのか、日本の山村は、ぎりぎりのせめぎ合い状態になっているように思えてならない。 藤井 満(朝日新聞松江総局・記者) ☆上記、加藤歓一郎さんについては、朝日新聞・島根県版の連載『街に生きる ムラを生かす』コーナーに、藤井さんが「雲南市・旧日登村と加藤歓一郎」(2010年5月23日・26日・27日の全3回)として、詳しく書いておられます。記事の全文は、こちらからご覧ください。
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「菜園家族宣言」を読んで ~「住まい論」の視点から~ (2010年6月) 江上 徹 さん(九州産業大学工学部建築科・教授) |
2010年6月中旬、福岡市の江上徹さんから、次のような文章ではじまるお便りをいただきました。 ホームページの「菜園家族宣言」を拝読いたしました。賃労働、大量生産、大量消費から、自然と融和した家族小経営の循環型の共生社会へという方向性がわかりやすく説かれていると思います。 江上さんは、九州産業大学で建築をご専門に研究をされている先生です(研究室のホームページはこちらへ)。
その折に、住宅総合研究財団(東京都世田谷区)から発行されている季刊誌『すまいろん』2007年冬号(通巻第81号)を送って下さいました。この号の特集テーマは、「夕日が丘三丁目のすまいろん」。あの映画『ALWAYS三丁目の夕日』をめぐり、舞台となった昭和30年代頃の身近な生活の姿について、家具や道具、街並み、子供たちの遊びといった様々な角度から焦点を当てた論考や、監督との対談などが掲載されています。
ベルリンの壁や東西冷戦構造の崩壊と重なるようにして新しい年号の時代が始まって20年近く経つが、今日本を覆っているのは・・・・・・、その年号“平成”の響きとはほど遠い、不安・不信と混乱の事態である。
![]() つまり、昭和30年代と今日とでは、暮らしを支える基盤や構造が大きく変わっており、むしろそれに注目して「昭和」を省みることによってこそ、「平成」の今を批判的に捉える視点が生まれるのではないか、そして、人間社会を支える「信」(政治における信義、経済における信用、人と人との信頼、自分自身にとっての信念など)さえ大きく揺らいでいる現代が、歴史的に見ても大きな時代の転換期にあることを認識できるのではないか・・・という視座の提起です。 そして、着目すべきは、「三丁目」が商店街であることだ、と指摘されています。つまり、あの時代は、わずかではあるがまだ雇用者、つまりサラリーマン・賃労働者よりも、自営業や家族従業者の方が多かった時代で、そうした人間の営みを基盤とする信頼関係があってはじめて、「三丁目」の暮らしの空間の開放性が支えられている、ということです。 そして、未来への課題について、 ・・・ここ30年近く続いている西欧先進国での高い失業率や現代日本の不安定雇用の広がり等を見ると、賃労働というものの拡大や深化の限界が示されているように思われる。賃労働とは異なる仕事の仕方や、賃労働の拡大・深化を抑制するような方法が模索されるべき時代であろう。・・・ と指摘し、模索の例として、森と海を結ぶ流域地域圏の「菜園家族」構想や、EUで長く議論されてきたベーシック・インカム構想を挙げ、 ・・・そのような新しい仕事の仕方や生活のあり方と結びつく形で、すまいやまちのことを考えることができればと思う。・・・ と述べておられます。そして、終わりなき市場競争の中で余儀なくされる敵対的な人間関係や、何でも「お金」のマネー万能社会の限界を越えて、今こそコミュニティの意義を再評価し、新たな価値に基づく生活の豊かさをもとめる時代に来ていると、締めくくっておられます。 ![]() 当初、「建築」がご専門の先生が、なぜ「菜園家族」構想に深い関心を寄せて下さっているのだろうか・・・、と思っていましたが、この『すまいろん』をはじめ、その後折々に送って下さった数々の論文を読ませていただく中で、よりよい「住まい」の構想のためには、家族や仕事のあり方、そしてそれらを基盤に形成されるコミュニティのあり方など、社会構造の土台から見ていかなければならない、という江上先生の重要な視点がだんだんと分かってきたのでした。
このたびの「菜園家族宣言」に対してお寄せ下さったお便りには、冒頭のお言葉に続いて、次のような主旨のことが綴られていました。 ベーシック・インカムのアイデアを初めて知ったのは1990年代の半ばでした。月刊誌『新建築住宅特集』に、建築家の黒沢隆氏が「集合住宅原論の試み」という連載をされており、それを手伝っていました。黒沢さんの将来像は、人口減少を見越し、かつ高度成長期およびそれ以降に形成されたインフラを前提にし、極端に言えば、都市国家のようにコンパクトに居住するというイメージでした。
その後、小沢修司氏の著書などを読み、先進国ではリアリティがある、という思いでいます。ただ、全地球規模で(今の時点で)はどうか?・・・、といった疑問もあります。
「菜園家族」構想の理念も、時を経て、今日のベーシック・インカム議論のように、より広範なディスカッションの場を持てるようになるといいですね。ただ、あまり時間は残されていないのかもしれませんが・・・・・・。 江上先生の研究室では、10年ほど前から、卒業設計のテーマとして、農業に関するものを取りあげる学生さんが出てきているそうです。こうした中、学生・院生のゼミや講義でも、今回の「菜園家族宣言」など「菜園家族」構想に関する文章もとりあげ、学びあって下さっているそうです。
☆ 私たち人間の暮らしを、家族の起源、その形態の歴史的変遷、個の発達と共同など、根源からあらためて見つめなおし、よりよい住まい像を探求しておられる江上徹先生の主な論文には:「近代末期の地平から家族と住まいの100年を省みる」(日本生活学会編『住まいの100年』、ドメス出版、2002年)、「IndividualとしてのCouple―多様化・個人化する家族というテーゼを考える―」(『新建築住宅特集』2002年3月号、特集「新しい家族のかたち」)、「家族と制度―家族を変化させるものへの想像力―」(『住宅特集』2006年7月号)、「人間の生活構造と家族―計画学のための基礎的考察 その6―」(2010年)などがあります。
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上毛新聞・連載エッセイ 「小屋は好日~風樹小屋だより~」第702回(2010年4月16日付) 田舎で農的暮らしを 久保田昭三さん(児童文学作家) |
☆ 久保田昭三さんは1929年生まれ、群馬県館林市在住の児童文学作家。 ![]() 自作の絵本『おにぎり八つ』(遊行社、2011年)を
手にする久保田昭三さん。 (上毛新聞2011年6月1日付記事より転載) もう、4月半ばだが、若い人たちはどうしているか。3月には、例年より就職内定率が低いようだと言われたりしていたが、学校を出ても職に就けない、仕事をして生活費を稼ぐことができない、ということだったろうか。 2月の末だが、滋賀県の田舎にある里山研究庵から『菜園家族 山の学校』が送られてきた。私信も添えられてあって、スタッフの伊藤恵子さんは「冬の間、雪に埋もれていた奥山も、ここ数日の陽光で雪が溶け、顔を出した福寿草がまばゆく輝いております。館林の春はいかがですか?」と。 数年前に、小貫雅男さんの『菜園家族レボリューション』(社会思想社)を読んでいたが、こちらはその小貫さんと伊藤さんの共著になっている。帯には「人々の出会いが、語らいが、21世紀の明日を拓く」とある。
「競争と成果主義にかき立てられた過重労働、広がる心身の病。弱肉強食の波に呑まれ、倒産に追い込まれる弱小企業や自営業。明日をも見出すことができずに、使い捨てにされる若者たちの群像。自殺者年間三万人を超える現実。家族や地域は崩壊し、子どもの育つ場の劣化が急速にすすんでいます。どれひとつとっても、私たちの社会のありようそのものが、もはや限界に達していることを物語っています。」 そのような現実に、ここでは「週休五日制による三世代『菜園家族』を基盤に構築される日本社会」を提起しているのだが、まず週に2日だけ民間の企業やお役所に勤務して賃金を受け取る。2日だけという、そのように仕事を分け合うワークシェアリングをできたら、失業者をなくせる。
耕すといっても、菜園ほどの広さでいいわけで、例えばこの小屋でのように、独居老人だが、ぼくは15坪ほどの風来園を、移植用のスコップだけで世話をしている。1日平均たったの5分か6分の手仕事で、好みの野菜を自給している。 そこで、都市化や工業化の果てに、ワーキングプアだ、失職だ、ホームレスだというものは、このような田舎に戻ってきたらどうか。地方小都市の、ここは郊外の、昔からの集落だが、あちこちに空き家もあれば空き地もある。農的暮らしという、それはまた、ベーシック・ワーク(基本的な仕事)とも呼べるだろう。
![]() ☆ 久保田昭三さんは、北欧ノルウェーをたびたび訪れ、45年間にわたる人々との交流記は、『北の国の花の島』(鳥影社、2009年)にまとめられています。
☆ 久保田さんのブログ |
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立命館大学 『国際平和ミュージアムだより』(第18巻第1号、2010年9月8日発行)より 「ミュージアムおすすめの一冊」 立命館大学国際平和ミュージアム 運営委員 藤岡 惇 さん (立命館大学経済学部教授) |
☆ 藤岡惇先生は、「菜園家族」構想のもっとも初期の段階=『菜園家族酔夢譚』(2000年刊)の頃から、10年来、この構想に関心をお寄せ下さっています。
![]() 本書『菜園家族21―分かちあいの世界へ―』(コモンズ、2008年6月刊)の原型をなす書物と評者が最初に出会ったのは、沖縄は石垣島の隣の竹富島の喜宝院であった。先般亡くなられた岡部伊都子さんが一時は永住を決意され、島の子供たちのために「こぶし文庫」を遺贈されたところだ。 ![]() 日本最西端の仏教寺院に併設される形で、島の文化センター・展示施設である「喜宝院蒐集館」がある。平和な生き方を探究する場だという意味において、この施設は「ピース・ミュージアム」と呼べるところであるが、そこの売店に、本書の原型をなす小貫雅男『週休五日制による三世代「菜園家族」酔夢譚』(映像地域学研究会、2000年)という本が平積みされていた。「すごい本だよ」と説く上勢頭芳徳館長の語りに誘われて、読みだしたのが発端であった。
小貫さんは教え子の伊藤恵子さんとともに、モンゴルの牧畜民の移動集落に住みつき、その体験を『四季・遊牧』という映画に仕上げられ、全国で上映行脚を行われていたが、その一環として竹富島でも上映会をされ、上勢頭館長と懇意になられたこと、滋賀県立大学を退職された後は、彦根の山奥に「里山研究庵ノマド」を開設され、あるべき未来社会についての探究を深められていることも分かってきた。 ![]() 「人間を失業させるのではなく、エネルギーを失業させる時代」、「モノづくりは市場に外注しても大過はないとしても、人づくりの柱は愛情と手作り」にあり、「半農半Xのライフスタイルこそが、ヒトの生き方の理想だ」という方向へと、時代は明らかに転換しつつある。
「いのち削り、心病む、終わりなき市場競争。21世紀、人びとは大地への回帰(レボリューション)と人間復活の道を歩みはじめる」というサブタイトルを掲げた本書の新しい貢献は何だろうか。
![]() 「食べたいものは脳に聞くな、腸のなかの微生物に聴け。作物にどんな栄養素を与えたらよいかは、土壌に棲むミミズと微生物に聴け」という金言がある。
本年度(2010年度)の後期に、本書を書かれた伊藤恵子さんと私とで「平和の経済学」を共同開講する。関心のある方は、この科目(経済学部)を聴講されることを薦めたい。(※ 講義の内容は、こちらをご参照ください。)
☆ 藤岡先生の論文は、こちらのホームページからPDFファイルをダウンロードできます。 ☆ 新しい経済社会にむけた藤岡先生の提言「持続可能な日本づくりのアジェンダの提案」は、『21世紀の経済社会を構想する ―政治経済学の視点から―』(森岡孝二・杉浦克己・八木紀一郎 編、桜井書店、2001年)に収められています。 ![]()
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WEBサイト通信 『お江戸舟遊び瓦版』より(2008年9月18日付) 中瀬勝義さん |
☆江戸時代の循環型ライフスタイルに学びながら、持続可能な社会を リーマン・ブラザーズの倒産に世界中が驚いている。60兆円の負債と聞く。アメリカがつくりだした虚像とも言える「グローバル経済」が破綻し始めている。
日本中の都市や地方がグローバル経済に追随できなくて困窮し始めている。そんな時にこの本に出会った。
一昨日、自転車で往復50キロの松戸へ墓参りに行った。私の住む江東区でも屋上菜園と自転車エコライフは楽しいもので、新しいライフスタイルではないかと挑戦している。
(中瀬勝義) ☆なお、この記事の全文は、こちらをご覧ください。 |
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「いま戦後政策を変える時」 マクロビオティック・マガジン 月刊『むすび』(2008年10月号、正食協会) 「BOOK LOOK―編集部おすすめ」より |
![]() 専門であるモンゴルの近現代史研究や遊牧民のフィールドワークを通し、尊厳ある人間の生き方や家族の復権を基本とした新たな社会づくりを模索し続ける小貫氏。
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『日本農業新聞』書評 (2008年7月28日付) 竹田純一さん |
![]() 自然と共生への道しるべ 本書『菜園家族21―分かちあいの世界へ―』(コモンズ、2008年6月刊)は一貫して、日本という国の仕組みの再生、分かちあいの高度自然社会への転換を提起している。 本書で説く「菜園家族」とは、親子三代の家族構成を基盤として、週5日は衣食住を手作りする暮らしにより、人間性を取り戻し、地に足のついた暮らしを復活させる。残り2日は企業や役場で働き賃金収入を得る、新たな社会を描いている。 日本各地で半農半Xの暮らしを求める動きや地域内循環を模索した民間非営利団体(NPO)活動に見られるように菜園家族に類した暮らしは、急速に拡大している。
本書は、社会思想、農業論、文化論に加え滋賀県の歴史などの膨大な資料をもとに、自らのモンゴルをはじめとする調査、経験を踏まえ、家族、地域、農業、地球環境などの解決の視点として「菜園家族」を提起している。
(竹田純一 里地ネットワーク事務局長) |
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【紹介・書評】 河野直践さん
エントロピー学会誌『えんとろぴぃ』第61号(2007年11月) |
☆2008年ゴールデンウィーク前、里山研究庵に、思いがけなく、
出版界の方には申し訳ないが、粗製濫造の本や時流に迎合した本ばかりで、買ってもがっかりさせられることがじつに多い。そんななか、ほんとうに何年ぶりかと思うくらい、心を揺さぶられるような本に出会った。
「これほど大がかりに、しかも構造的に人間の尊厳が傷つけられ貶められた時代も、ほかになかった」というのが、著者が本書の冒頭で示す現代社会への評価である。そして、こうしたなかにあっては、原初的な生きる力の回復が必要であるのに、「構造改革なくして景気回復なし」といったような風潮のもとで、「私たちが今こそ真剣に考えなければならない、一人一人のいのちのありようや、国民の暮らしや社会のあり方への真正面な省察は、絶えず避けられ、先延ばしにされてきました」と述べる。
もちろん、実際には帰農して自給自足するケースを想定するだけでは不十分であるから、著者らは社会的に一般性をもつものとして、「菜園家族」のみならず、多様な自営業を営む家族小経営セクター(匠商家族)の再生を考える。そして、「週のうち2日間だけ“従来型の仕事”つまり民間の企業や、国および地方の公的機関の職場に勤務し、残りの5日間は、『菜園』での栽培や手作り加工の仕事をして生活するか、あるいは商業や手工業、サービス部門での自営業(家族小経営)を営む」暮らしを展望する。
本書は、1935年生まれの小貫と1971年生まれの伊藤という、2世代の共著として世に問われている。にもかかわらず、そこには高度成長期以前の日本を原風景として捉える視点が共有されているのも興味深い。
本学会に集う私たちは、かつて槌田敦から、「半日は農業をして、あとの半日はさまざまな職業に従事するのがよい」とか、「いったん1960年代の生活に戻って考え直せ」とする提起が行われたことを知っているが、著者らの主張にはそれに近いものがある。「森と海を結ぶ地域循環型経済圏の再生」という主張もまた、玉野井芳郎らが展開した「地域主義」における入れ子構造的な社会論と、大いに重なるところがある。 参考までに、本書からおもな見出しを拾って以下に紹介しておこう(一部省略)。 はじめに
以上の見出しを紹介しただけでも、本書の魅力は十分にお伝えできると思う。 著者らは、「狭隘な保身の意識が人々の心に深く沈殿し、それがやがて社会の意識となって全体を覆い尽くす」ようになった今こそ、「人間の主体的実践によって、歴史をつくり変えてゆく積極的な姿勢」が必要であり、「自由な発想に基づく、大胆な提案が求められている」と述べている。評者もそう思うからこそ、一人でも多くの方に本書を読んでいただきたいと願って、ここに紹介をした次第である。 (茨城大学人文学部 教授 河野直践) ※河野さんはまた、茨城大学人文学部紀要『社会科学論集第45号』(2008年3月)に、論文「『半日農業論』の研究―その系譜と現段階」を発表。その中で、「菜園家族」構想を研究史の中に位置づけ、言及されています。
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「菜園家族物語」
日本ホリスティック教育協会・ニュースレター(2007年夏) 平野慶次さん |
モンゴルの遊牧民の間に伝えられている言葉がある。
この言葉と印象深く出会ったのは、『四季・遊民~ツェルゲルの人々~』というビデオ作品の中である。
「ホタアイル」とは、家族のこと、「サーハルト」とは、地域(ご近所さんくらいのニュアンスと思われる)のこと。
この本は、家族関係の再構築、地域創造、更に森から海へと結ぶ循環型の社会を構想している。
家族という関係性をいのちのレベルでひとつと捉えるモンゴルの遊牧民、それを少し拡げて地域へと構想するのだが、「なりわいとも」という言葉を使い、構想拡大していく。
この本の著者のお二人には、実は英国のウェールズで「シューマッハカレッジ」を開いたサティッシュ・クマール師の講演会を企画する実行委員会の席でお会いしたのが最初である。
実現の可能性は?という問いは必要だろう。
(常任運営委員 平野慶次) |
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書評コーナー【本】 生井兵治さん 『日本の科学者』(2007年8月号、編集・発行 日本科学者会議、発売 本の泉社) |
![]() 政府と財界に踊らされ拡大経済を追い続けた日本は、人びとの働き方や暮らし方をはじめ、次代を担う子どもたちを育む環境などが、家族的にも社会的にも著しく深刻な状態にあります。
「21世紀の未来社会論」の書である本書『菜園家族物語―子どもに伝える未来への夢―』(日本経済評論社、2006年11月刊)は、週休五日制を提案します。 著者のひとり、小貫氏は、里山研究庵Nomad主宰です。
本書は、
本書は、少数の強者だけが大多数の家畜化された弱者を酷使して巨万の富を貪る現代の競争社会に換わり、子どもたちに希望の未来を拓く「菜園家族」革命の書であり、今日の為政者と市民の必読書です。 (日本科学者会議茨城支部 生井兵治 |
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今月のおすすめBOOKS「田園ライブラリー」 月刊『ふるさとネットワーク』(2007年7月号、ふるさと情報館 発行) |
![]() 週2日は従来の労働勤務をし、残りの5日は菜園での栽培や手作りの仕事、もしくは小家族経営で自営業を営む。
◇ ◇ ◇ 以前、本誌の巻頭言、この田園ライブラリーの頁でも『菜園家族レボリューション』、『森と海を結ぶ菜園家族』の前著2冊を紹介した。
日本での週休5日制による菜園家族構想は、決して無理な提案ではない。
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「家族が人間を人間にした」 マクロビオティック・マガジン 月刊『むすび』(2007年4月号、正食協会) 「BOOK LOOK―編集部おすすめ」より |
![]() 「モンゴル」と聞いて多くの日本人がイメージするのは、草原、遊牧の民でしょう。
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「年末年始に読む経済ブックガイド」 週刊エコノミスト(2007.1/2・9迎春合併号、毎日新聞社) |
![]() 2006年の優れた経済書は何か。最も優れた3冊を、専門家15人に挙げてもらった。 (中略)
森岡孝二(関西大学教授)
1952年英国生まれのロナルド・ドーア氏が自ら日本語で書き下ろした渾身の労作が1である。
(後略)
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「『菜園家族物語』を読む」浅野 誠さん(沖縄県在住)
浅野人間研究所ホームページ(2007.1.3)より |
「田舎暮らしと人生創造」を執筆中、そして執筆後に、関係が深そうな最新刊本を何冊か読んだ。団塊世代大量退職を目前にして、こうした類の書籍の発行点数は大変多い。それらのなかで目につきやすいは、財政計画を軸にした定年後の生活へのアドバイスものである。アクセスしやすいのだが、底の浅さを感じてしまう。それらのなかの一冊ぐらい読めば定年退職にかかわる「常識」をえられるだろう。なかには多様なケースを紹介したものもあり、それなりに面白くはある。しかし全体とすれば、定年近くまで勤めあげてきた男性サラリーマンを標準にしており、そのことへの疑いのまなざしは弱い。 定年後に限定せず、人生後半期という大きなくくりのなかで、「働きバチ」「コースよりかかり」を中心にした人生のありようの再検討を提案している私としては、それらの本はそれほど興味がわくものではない。しかし、そうした書籍ばかりではない。生き方の問題に迫る本も多い。私が関心をもつスローライフ、ロハス的な生き方について語る本もある。退職後のことを話題にしてはいるが、実際の退職者対象に深くかかわってきた方々によって書かれた、生き方の問題を軸にすぐれた提案を多く含むドロシー・マッドウェイ・サンプソン、デール・フェザーリング、フィル・リッチ「セカンドライフを愉しむ」(ファーストプレス2006年)、分子細胞生物研究者によって書かれた福岡伸一「ロハスの思考」(ソトコト新書2006年)などは、示唆を受けることの多い本であった。 そんななかにあって、小貫雅男・伊藤恵子「菜園家族物語」(日本経済評論社2006年)は、先に「菜園家族レボリューション」ということを別の本で読んで興味を感じていたこともあって、早速を目を通した。 タイトルはやわらかいが、理論的提案の書という感じで、「社会的生産手段の共同所有を先行させる『A型発展の道』ではなく、生産手段(直接生産者が自己の生命の再生産に必要とする最低限の土地や生産用具)と、直接生産者である「現代賃金労働者」との「再結合」を何よりも重視し、これを優先させる社会発展」の道を提起している。そして、C=資本主義セクター、F=家族小経営セクター、P=公共的セクターの三つからなる「CFP複合社会」を提案する。ゆくゆくは、Cが消滅しFPで構成される高度自然社会へとなっていく。そして、CまたはPに週二日間勤め、5日間はFの「家庭菜園」で働くという。そして、森と海を結ぶエリアを築き、そのなかに家族-くみ-村-郡という多様な層をなす「なりわいとも」が築かれる。 かなり体系だった提案である。とともに、私自身が現在まさに週2日ほど「勤め」にでて、5日は自宅で読書執筆と菜園生活をしているので、実体験的に了解できる。また、アメリカ型「拡大経済」ではなく、エコロジカルな「循環」を推進しようとする点で、共感するところが多い。無論、私の考えと全く一致しているわけではない。たとえば家族のイメージが三世代家族をモデルに継承性が強く描かれたり、コミュニティもかなり固定的イメージが強い。私がいう、結社(アソシエーション)のイメージは弱い。人々が流動的に交流しあい、そのなかで選択しつつ創造していくイメージとは少々異なる。 そうした違いはありつつも、多くの点で注目できる書である。これに類した提案が多様に登場し、交流しながら、これからの社会の創造と、それらと並行する人々の生き方創造とが、積極的に展開されることを期待するものである。 |
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21世紀の未来社会論 ~今こそほんとうの学習運動の燃え上がる季節が訪れている~ 月刊『自然と人間』 巻頭エッセイ「千曲川のほとりで」連載第27回 小宮山 量平さん(理論社創業者・作家) (2005年1月号、自然と人間社 発行) |
![]() あのヒトラーによるファシズムの波が押しよせていたころ、独仏国境にほど近いストラスブール大学の若者たちを励ますかのように謳(うた)われたアラゴンの長い詩の中に、とりわけ心に残る一節がありました。 教えるとは希望を語ること
戦後日本の焼け野原へと帰ってきた若者たちも、こんな一節をつぶやきながら祖国の明日を見つめたものです。
「人々は欲望のおもむくままに功利を貪(むさぼ)り、競い、争い、果てには心を傷つけあい、人を殺し、国家も『正義』の名において、多くのいのちを殺すのです。・・・これほど大がかりに、しかも構造的に人間の尊厳が傷つけられた時代も、ほかになかったのではないでしょうか。」 この本は昨年(2004年)の10月に刊行された一冊なのですが、あたかもあの敗戦直後の祖国を眼のあたりにしているかのような嘆きを覚えるのです。 なるほど、人によっては第二の敗戦の訪れではなかろうか、と、嘆きを深めないではいられないほどの社会現象が相次いで生じています。
「今流行(はやり)のパート、フリーター、派遣労働者。そのどれ一つとっても、これでは使い捨て自由、取り替え自由の機械部品同然ではないでしょうか。これほど人間を侮辱し貶(おとし)めたものもないのです」と、指摘した著者は、あらためて「現代賃金労働者」の問題を根源的にとらえなおそうと迫っています。 私にこの分厚い一冊を送って下さったのは滋賀県立大学人間文化学部の教授・小貫雅男氏で、そのタイトルは『森と海を結ぶ菜園家族』とあり、「21世紀の未来社会論」と副題が添えられ、若き同学の伊藤恵子さんとの共著となっております。
ああ、こういう本こそが待たれていたのだ!※―と私はつぶやかずにはいられませんでした。
まぎれもなくこの一冊は「21世紀の未来社会論」として、こんなにも労働が貶められ、こんなにも正当な権利が踏みにじられ、こんなにも希望の着地点から遠ざけられている若い同胞(とも)たちのために、当代の悩みと苦しみという「異物」との格闘の中から生まれて来たと思うのです。
※あたかも私たちの世代が青年だったころに河上肇先生の第一第二『貧乏物語』にめぐりあった時に感じたようなやさしさと説得力に富んだ本の出現です。 * * * * * * * * ☆なお、『自然と人間』誌に2003年11月号より2006年2月号まで連載された小宮山量平さんのエッセイ「千曲川のほとりで」は、『地には豊かな種子(たね)を』(2006年8月刊)に収められています。☆ ![]() 『地には豊かな種子(たね)を』
小宮山量平 著、2006年
発行所 自然と人間社、発売元 エディターズ・ミュージアム
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「“菜園家族”について」 農事組合法人 大戸洞舎・松本茂夫さん(滋賀県湖北町) 『大戸洞舎通信』第9号(2005.3.31発行)より |
今春、滋賀県立大学を退官される小貫雅男さんは、二十一世紀の未来社会のあり方について、「菜園家族」を中心とするCFP複合社会という構想を提唱されています。「菜園家族」というのは、基本的に三世代からなる家族で、一週間のうち二日を従来のような賃金を得る為の労働にあて、残りの五日を自給自足的な労働や家族小経営を行うことによって生活を成り立たせる家族生活形態のことをいいます。またCFP複合社会のCとは、CapitalismのC、つまり従来の工業生産的な労働の場をいい、Fは「菜園家族」の家族小経営の場で、FamilyのF、それからPはPublicのPで公共的な機関を現します。この大きく分けて三つの部門CFPからなる社会構成をうまく機能させることによって、現代社会の抱える問題の多くを解決することができるというものです。 週休五日なんて嬉しいけれど、それで本当に食べていけるの?とか、そんな働きかたでは、生活レベルが随分昔のように貧しくなってしまうんでは?とか、まず第一に現実生活的な次元での疑問がでてきます。しかしそれらの疑問に対する詮索はとりあえず置くとして、そういう構想がでてきた背景としての現実感覚や問題意識については共感するところが僕にはたくさんありました。 よくパラダイムロストという言葉で表現されるように、現在の私達には未来への希望となるような構想や計画がもてなくなっています。決してこの現実社会に私達が満足していないにもかかわらず、です。何故でしょうか? モノの欠乏は私達にとって判りやすく、その充足のための目標や計画をたてるのは簡単です。しかし現代社会はモノにあふれ、どちらかといえばモノの過剰感を抱いている人の方が多いように思います。私達がのぞんでいることは、ゆとりといわれるような時間であったり、いやしとか自己充足とかいわれるような気持ちの部類にはいることが多くなっているにもかかわらず、それらを満足させるような方法や形を描くことは難しいからかもしれません。「菜園家族」構想はその難しい問題に挑戦し、かなり具体的な形まで示されています。 この構想の中で特に僕がおもしろいと思ったのは、社会の構成を個人という単位で考えるのではなく、家族という単位で考えられていることと、その家族に生産手段や自己実現の場が与えられる、もしくは持てるような社会がかんがえられていることです。原理的な宗教や、ユートピア的な共同体構想では、エゴを非とする個人が目指され、家族は利己的なものとして排斥されるように思います。また国家主義的な共同体観では、家族は疑似家族として利用されますが、決して主役とはされません。「菜園家族」では個人でもなく共同体でもない家族が中心となって、地域をつくり、流域地域圏をつくっていくと想定されています。またその条件として、自給自足的生産手段としての土地や家族小経営のための手段を家族自身が持つことになっています。大戸洞舎は農業生産法人として資本主義のルールに沿って経営していますが、その場で働くのに、それぞれにとってどういう形態がいいのかは、常に課題です。もう少し参考にさせて頂こうと思っています。 |
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「『森と海を結ぶ菜園家族』を読む」
S.Moriyamaさんのホームページ 「談話室」(2005.2.1)より |
アメリカによるイラク攻撃、そこへの日本の自衛隊の派兵、とどまることを知らないパレスチナ紛争。異常気象と地震・津波等の天災。日本国内では、失業の増大、ますます広がる貧富の格差、「自由」の名のもとでのあらゆる場面での競争の激化、多発する凶悪犯罪などなど。まさに「荒涼たる風景」がおおってきているように感じます。21世紀に明るい夢を描いていたのが、遥か遠い昔のようにさえ感じられます。 小泉首相は「構造改革なくして、景気回復はない」と叫び続け、市場競争至上主義拡大経済こそが未来社会のあるべき姿だとして、それをがむしゃらに推し進めようとしています。しかし、私には「荒涼たる風景」を社会の隅々にまで押し拡げること以外の何ものでもないものとして感じられます。 しかし、それでは私たちは一体どのような未来社会像を持つことができるのでしょうか。そうした未来像を描ききれないでいるのではないでしょうか。そんな中で読んだのが、小貫雅男/伊藤恵子共著による、21世紀未来論「森と海を結ぶ菜園家族」(2004年10月発行、人文書院)です。それは、小泉さんが進めている市場競争至上主義「拡大経済」と対極をなす未来論でもあるのです。 先ずは、未来社会の三世代「菜園家族」について、イメージ化しています。 この構想では、人々は、週の内二日間だけ“従来型の仕事”、つまり民間の企業や、国および地方の公的機関の職場に勤務し、残りの五日間は、「菜園」での栽培や手作り加工の仕事をして生活するか、あるいは商業や手工業、サービス部門での自営業(家族小経営)を営む、ということになります。 こうした生活を可能にする社会を「C(資本主義)、F(家族)、P(公共)複合社会」と定義づけ、三つのセクターについては以下のように述べています。 その三つのセクターのうちの一つは、極めて厳格に規制され、調整された資本主義セクターであり、二つ目は、週休五日制による“三世代「菜園家族」”を主体に、その他の自営業を含む、家族小経営セクターということになります。そして、三つ目は、国の行政官庁や都道府県・市町村の行政官庁や教育・医療・社会福祉などの国公立機関、あるいはその他の公共性の高い事業機関からなる公共的セクターです。 何故「菜園家族」なのか。あるいは、「菜園家族」の世界史的な位置付けという点について、多くの紙面をさいて説明しています。それは、生産手段(小土地、生産用具、家屋等)と直接生産者である賃金労働者との「再結合」を図るものであるからです。そこには、資本主義超克をめざした生産手段の人民による共有化が、一方で独裁政権を生み出したという歴史的な課題をのりこえるものとして提起されています。 一人の人間が賃金労働者としても働き、「菜園」でも仕事をする、つまり、農夫であり賃金労働者であるという、この二重化された人格によって、分業のために矮小化された狭小な世界からも解放され、人間の多面的な発展が保障されるということにもなります。何よりも、三世代の家族が、週の大部分の日数をともに暮らし、ともに仕事をするという、人間形成のすばらしい家族基盤が築かれることになります。「菜園家族」という自給自足度の高い小経営の単位が社会全体に埋め込まれることによって、結果として、資本主義セクターCでの市場競争原理が抑制され、緩和されることにもつながっています。 こうして導き出されてきた直接生産者と生産手段との「再結合」による「資本主義超克のB型発展の道」による社会モデルとは、ほかでもなく、「菜園家族」を基調とするCFP複合社会ということになるのです。 このような社会をどのようにつくり出すのかという点について、第1に「拡大経済」から「循環型経済」への大転換、第2に「森と海を結ぶ流域循環型地域圏」再生をあげています。そして、その可能性を滋賀県「犬上川・芹川流域循環型地域圏」をフィールドに具体的に考察をしています。 読後の感想として、以下何点かにまとめてみたいと思います。 1、私の今の生活は週に4日働いて、3日間を菜園で過ごすことを基本のパターンにしています。週末菜園生活、Uターン、Iターン、定年帰農、田舎暮らし等農のある暮らしを目指す人がますます増えているといいます。こうした流れも「森と海を結ぶ菜園家族」の揺籃期としての動きとして位置付けていますが、自分の体験にてらして大いに納得できる次第です。 2、自由時間評論家の津端修一氏は、自由時間の増大にともなう菜園を中心とする生活を「なつかしい未来のライフスタイル」(レトロ・フューチャー)と呼んでいます。また、故藤本敏夫氏は、21世紀のライフスタイルとしてワークシェアリングと関連づけて「農的生活」を提起しています。さらに、労働組合のナショナルセンター連合も「100万人の故郷回帰運動」を提案しています。「菜園家族」への動きが、着実で確かな流れになっているのを感じます。本著は、そうした流れに、理念的、実践的な体系を提示したものとして大変興味深く読みました。 3、学校教育、社会教育、地方行政かんけいで現職時代を過ごしてきた自分にとって、地域論、教育論としても興味を持って読み進めました。市場競争至上主義の拡大経済が自然を破壊し、地域社会を衰退させ、人の心をずたずたにしている現状の中で、人間の復権、環境保全(循環型社会)が至上の価値に代えられていかなければならないと思いました。 4、「森と海を結ぶ菜園家族」はどのように実現できるのだろうか。その実現のためには、新たな政治勢力の結集も必要になるでしょう。また、そこに至るステップとしての課題を一つ一つ現実のものにしていく、息の長い取り組みも求められるでしょう。いずれにせよ、窒息しそうな現今の政治的、社会的な状況の中で、2005年初頭に大きな夢を見させてもらった感じです。 |
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