『四季・遊牧』へのご感想
「菜園家族」構想についての書評・紹介・論考
「菜園家族」構想についてこれまでに刊行した拙著に対して、新聞・雑誌 ・ウェッブ上で、数々の書評・紹介などが掲載されています。また、この「構想」をめぐる論考も、さまざまな分野の方々によって展開されています。
この「構想」を多角的に考えてゆく上で、ご参考になればと思い、それらの中から主なものを、ここに順次、転載してゆきます。
ドキュメンタリー映像作品『四季・遊牧』に対してお寄せいただいたご感想も、随時、ここに掲載してゆきたいと思います。
☆みなさんのご感想も、ぜひ、里山研究庵Nomadまでお寄せ下さい。お待ちしています!☆
1.『四季・遊牧―ツェルゲルの人々―』 DVDダイジェスト版(前編・後編 各1時間40分)へのご感想
2.『四季・遊牧―ツェルゲルの人々―』 (三部作全6巻、7時間40分)へのご感想
3.「菜園家族」構想をめぐる論考
【論評】 江上 徹
「透徹した近代批判の上に立つ生活像、空間像を示せ 〜東日本大震災を受けて〜」
(『建築ジャーナル』2011年6月号 ・巻頭に所収、発行:企業組合建築ジャーナル) |
月刊誌『建築ジャーナル』2011年6月号(発行:企業組合建築ジャーナル)の巻頭に、「菜園家族」構想を通じて以前よりご交流のある江上 徹先生(九州産業大学工学部教授)の論評「透徹した近代批判の上に立つ生活像、空間像を示せ 〜 東日本大震災を受けて〜」が掲載されています。
この論評の中で江上先生は、
「 ・ ・ ・そう、私たちは考えなくてはならない。それも相当にラディカルに、である。(中略)私は1990年代以降、“今日は西欧発近代500年の歴史を見直すべき大きな転形期である”旨のことを幾度も書いたり、話したりしてきた。(中略)今回の被災地の復興計画に際してまず基盤に置かなくてはならないことは、近代を根底的に批判した上での、次の時代生成につながる提案を、という理念である。 ・ ・ ・」
と述べ、この理念に沿う具体的アイディアの一つとして、「菜園家族」構想についても触れておられます。
☆ 江上先生のご紹介は、こちらをご覧ください。
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【論考】 藤岡 惇
「ソ連型社会の本質は“国家産業主義”だった ―大地・生産手段への高次回帰、自由時間の拡大を指標に考える―」
(『経済科学通信』No.125、基礎経済科学研究所、2011年4月30日発行に所収) |
基礎経済科学研究所から発行された『経済科学通信』最新号No.125(2011年4月30日発行)では、ソ連崩壊から20年にあたって、特集「ソ連型社会とは何であったのか?―未来社会への展望を拓く」が組まれています。
この特集に寄せられた数々の論文の一つとして、藤岡 惇先生(立命館大学経済学部教授)のご論考「その本質は“国家産業主義だった”―大地・生産手段への高次回帰,自由時間の拡大を指標に考える―」が掲載されています。
この論考は、「自然から社会が枝分かれし、社会から政治と経済とが枝分かれした歴史的経緯を重視し、自然順応型文明の構築の展望を探ろうとする経済学を、私は“エコ社会経済学”と名付ける。この視点に立った場合、ソ連型社会はどのように見えるのかを考える」という趣旨のもと書かれたものです。
この中で藤岡先生は、「菜園家族」構想についても言及され、『菜園家族宣言』(2010年5月から当ホームページに公開中)にも触れられています。
☆ 藤岡先生のこのご論考は、ご自身のホームページ「ピースフル エコ・エコノミー」にも掲載されています。
☆ 藤岡先生のご紹介は、こちらをご覧ください。
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【論考】 河野直践 著
『人間復権の食・農・協同』(創森社、2009年10月刊) |
以前に『菜園家族物語』についての書評をお書き下さった、河野直践さん(茨城大学人文学部、農業経済論・協同組合論)。
このたび新しく出版されたご著書『人間復権の食・農・協同』(創森社、2009年10月刊)の第1章「“半日農業論”から未来を展望する」で、高度経済成長によるライフスタイルの大きな変化や、農業の近代化・産業化のアンチテーゼとして、1970年代以降、さまざまな分野の人々によって提起されてきた「農ある暮らし」論について、その系譜を辿り論じておられます。
その中で「菜園家族」構想を採り挙げ、かなり詳細に論及しておられます。
以下に、ご著書の目次をご紹介いたします。
☆――世界的な食料需給の逼迫が言われているのに、日本では人々が相も変わらず「飽食の時代」の狂騒に酔いしれ、いっぽうでは食料自給率の低迷や耕作放棄地の増加が続くという社会状況。
石油などの化石資源依存の限界が表面化するなかで、自然本来の力を生かした農的社会へのシフトが求められていることも忘れてはならない――(本文から)☆
はじめに 序章 協同の力で食・農・暮らしの再生を 第1章 「半日農業論」から未来を展望する 1.「半日農業論」の系譜をたどる 2.活発化する「半日農業論」の現在 3.「半日農業社会」の実現に向けて 第2章 「産消混合型」の協同組合づくりへ 1.はじめに―何が問題なのか 2.議論の広がりと現場での新たな動き 3.農政の方向転換と協同組合運動
4.未来の鍵は「産消混合型協同組合」にある
第3章 協同組合運動のこれまで・これから 1.協同組合の原点と将来 2.協同組合を活性化するには―市民運動の視点から 3.「生活」の視点から農協の事業を考える 4.農協の地域社会貢献と地産地消 第4章 食・農・協同から見た「脱原発」の考え方
1.JCO事故10周年に思う 2.農林漁業と原子力施設は共存できない 3.電力事業の民主化によって脱原発を 第5章 「農」と「食」の博物館をたずねて
1.いまなぜ「農と食の博物館」か 2.事例の分類と詳しい紹介 3.施設の今日的意義と直面する課題 おわりに
☆――本書のテーマの一つは、「食と農」をどう再生するかにある。
だが、本書では食料や農業の問題だけでなく、人々の暮らしや地域の再建、いのちや人間の再生といったテーマも含めて論じていきたい。 これらの問題は互いに関連しているし、さまざまな危機が一気に押し寄せてきたときには、広い視野で全体を見ていく必要がある――(本文から)☆
【著者プロフィール】
1961年、東京都生まれ。1985年、東京大学法学部卒業、全国農協中央会に就職。1991年、同会より(財)協同組合経営研究所に研究員として派遣。1998年、茨城大学人文学部助教授。2004年より同教授、現在に至る。
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【論考】 川村晃生「安藤昌益の夢〜三つのユートピア〜」
(柴田陽弘 編著『ユートピアの文学世界』、慶應義塾大学 出版会、2008年6月刊に所収) |
ユートピア――どこにも存在しない場所 それは ・ ・ ・現実からの逃避か それとも ・ ・ ・再建への希望か (本の帯より)
2008年7月、山梨県甲府市の川村晃生さん(慶應義塾大学文学部教授)から、突然、当庵にお便りが届きました。
前月に出版された『ユートピアの文学世界』(柴田陽弘 編著、慶應義塾大学出版会、2008年6月刊)の第2章で、「菜園家族」構想にも論及した「安藤昌益の夢〜三つのユートピア〜」と題する論考を書かれたとのこと。
この中で、川村さんは、近世江戸期に、農業を社会の基軸に据える「自然世」を説いた希有な思想家・安藤昌益(1703年生)、大正期に武者小路実篤らがはじめた「新しき村」の試み(1918年〜)に続き、21世紀にめざすべき社会の提案として、「菜園家族」構想のCFP複合社会を取り上げ、考察されています。
「ユートピア」という言葉は、ともすれば、「現実から逃避した空想の世界」、「理想ではあるが、実現不可能な社会」と、否定的にも使われがちです。
しかし、川村さんは、貧富の格差、戦争、環境問題など、現実の苦悩の中から芽生える「再建への希望」として、むしろ積極的な意味で「ユートピア」を捉え、その系譜を辿り、現代の私たちがめざすべき未来を探ろうとしているのです。
近世以来、日本の人々が描き続けてきた「ユートピア」の系譜は、極端な形のものが、徐々に時代への適応性を探りながら修正を加え、実現の可能性を獲得してきた歴史でもある、と述べておられます。
ところで、川村さんのもともとのご専門は、日本の古典文学(和歌)です。
それがなぜ、このようなテーマへと関心が移っていったのか ・ ・ ・。
ご著書『日本文学から「自然」を読む』(勉誠出版、2004年)、『壊れゆく景観――消えてゆく日本の名所』(共著、慶應義塾大学出版会、2006年)などを読むと、その深い思いに心打たれます。
論考「安藤昌益の夢〜三つのユートピア〜」の章立てを、以下にご紹介いたします。
『ユートピアの文学世界』
第2章 安藤昌益の夢 〜三つのユートピア〜 川村 晃生 1 昌益が問いかけるもの 2 昌益の「自然世」 人間と自然の一体化 差別や貧富を生まない皆農社会 「直耕」を重んじる社会 3 「新しき村」のユートピア性 「新しき村」の労働理念 村の変遷と立ちはだかる壁 「新しき村」から学ぶもの 4 CFP複合社会の提案 ―21世紀のユートピア 「家族」を中心に置く社会 CFP複合社会の可能性 5 農業が意味するもの ―農業とユートピア
☆――江戸時代から21世紀にわたって、人々が描き続けてきたユートピアについて ・ ・ ・歴史を振り返る時、私たちは一つの重要な事実に気付かされる。それはいずれのユートピアにせよ、すべてが農業が社会の基盤に据えられているということだ。
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