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上映会
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商業主義に煽られた科学技術、なかんずく情報通信技術の進歩は、なんの脈絡もない断片的で、こま切れな大量の情報を世の中に氾濫させ、人々はひたすら情報の獲得それ自体を目的化して、その情報量の増大を競っています。
こうした中で、人々はあくせくと働かされ、生活スタイルは大きく変えられてしまいました。映画・テレビ番組といったマスメディアは、視聴率を競い、ますます刺激性と奇抜さに頼って、低俗化と短小軽薄の方向へと流されてゆきます。一事にこだわりの心をもって、長い時間をかけて、静かにゆっくり鑑賞する余裕などというものは、いつの間にか遠い昔のことのようになってしまったようです。
私たちは、こうした世の中の傾向に対しては、むつかしいことではあるが、自らの実践によって抵抗しなければ、どうしようもないところまでにきています。時間とゆとりのある、ゆったりとした落ち着きのある生活をとり戻すための、ささやかではあるが粘り強い運動が待たれるのです。
“お弁当二つの上映会”は、こうした状況の中で、まず自らの鑑賞のスタイルの改革からはじめて、さらには自分自身の本来の生活をも取り戻そうとする、生活建てなおしの実践の第一歩に位置づけられるものです。自らが朝から晩まで、丸一日さいて、昼と夕べには“お弁当二つ”を食し、幕間にはお茶や水割りを嗜みながら、ゆっくり7時間40分の“独自の世界”、つまり私たち現代社会とは対極にある“遊牧の世界”にどっぷり身をひたして、まずその異質の“世界”に生きてみようというのです。それは、いわば、江戸時代の民衆に定着した“歌舞伎芝居見物のスタイル”の精神を、現代に復活させる試みでもあります。
こんなことを考えているうちに、“お弁当二つの上映会”の夢は、次第にふくらんでゆきます。南は沖縄から北は北海道に至るまで、日本列島各地の農山漁村や町々をくまなく歩き、農家を訪ね、小さな学校やお寺や公民館などを訪れ、あるいは大都会の路地を徘徊し、さらにはアジアから世界の各地へと転々と訪ね歩く。ごく少人数で囲む、このささやかな“お弁当二つの上映会”を愉しみながら、放浪の旅をつづけるのです。そこには、さまざまな人々との出会いや語り合い、学び合いが待っています。
“映像地域学”という学問分野があるものとするならば、その実践は、まさしく映像の制作と鑑賞を通して、こうした学問と「地域」との接点をもとめ、自己の学問の鍛錬と、学問と「地域」との究極のつながりを模索する実践なのです。それは、一宿一飯のよしみを頼りに放浪する、終わりのない旅なのかもしれません。
世界的規模でつくりだされた今日の文化的閉塞状況と、そのメカニズムのどうしようもない重苦しさを漠然と感じながらも、こうした地道ではあるが個性豊かな上映運動や創作活動が、志ある人々によって担われてゆくとき、そこには“閉塞”打開の一縷の希望と可能性があらわれてくるのではないかと、秘かに期待しています。
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大阪での試写会に引きつづき、7月11日、滋賀県立大学でも、“お弁当二つの試写会”がおこなわれた。上映開始9時40分には、定員200名の大教室はほぼ満席。まもなく補助席を運び入れなければならないほどの盛況ぶりであった。
参加者の年齢層は、10代から70代までと厚く、滋賀県全域から万遍なく参加され、隣の京都や大阪、さらには長野や埼玉からの参加者も見られ、“試写会”への関心の広がりがうかがわれた。
ここに掲載する一つ目の文章は、当日会場で幕間に書き留められて、その場で直接手渡されたものであり、次の二つの文章は、“試写会”が終わった3日後に早々と寄せられたものである。
彦根での試写会の感想文は、次回のパンフレットに掲載を予定していたのであるが、この三つの文章については、今回のパンフレットに間に合うことになったので、急遽掲載させていただくことにした。これから寄せられる感想文については、順次発行される予定のパンフレットで紹介させていただくことにしたい。
常識をくつがえすような長丁場の上映にもかかわらず、終始温かい目で見守り、最後まで声援を送りつづけてくださった参加者の皆様に、この場を借りて心から御礼を申し上げます。
林 敏子(70歳)
滋賀県甲賀郡甲賀町大字小佐治
上映開始前
私は1928年(昭和3年)生れですので、まさしく昭和と共に生きてきました。平成の世となったのは、60歳。もうすでに老域に達していました。
物心づく頃には、日本は戦争をする国でした。軍国主義いっぺんとうの中に成長期を過ごし、青春と呼ぶ年令に戦争をしない国に早や変わりしてしまいました。目まぐるしく価値観や生活様式の変化する社会に自分なりに対応して現在70才を生きています。
「昔はよかった」と老人の仲間ではよく口にします。何が「よかった」のか。私の住んでいたところは農村でしたので、当時は半分程度は自給自足の生活でした。父母の働く姿を見て、模倣するのが幼い者達の生活でした。「もったいない」ということばは一日のうち何度聞かされたかしれません。
今でも日常生活の中で「もったいない」のことばがしらずしらずのうちに出てしまっています。孫達は、祖母である私の生活態度をひやかしたり笑ったりします。「おばあちゃんは、何でももったいない、もったいない言うて、破れた靴やカバン、はげた服、ごはんの残り、ようほかさんと」と。
“口癖のもったいないは、ひもじさに耐へし昭和ひとけたのわれ” 消費生活に慣れ切れないわたしが、もうすぐ21世紀を迎えようとするのに健在なのです。
さて、四季 遊牧−ツェルゲルの人々−。
私は10年前頃から司馬遼太郎の『街道をゆく』をかたっぱしから読んでひと時をその地に遊ぶことができるたのしみをもっています。なかでも『街道をゆく 5 モンゴル紀行』を読んだときには、心を遊ばすどころか、信仰に値するくらい、心に深くしみ通るものを感じました。信仰に値すると申しますのは、人間としての生き方が巧まずに伝わってくるのです。
私は、好むと好まざるにかかわらず、人間(ホモサピエンス)として生を享けました。尊敬しているものとしては雀・蟻・蛙・草花等々、これらのおかげで私が在るように思えるから尊び敬っているのです。
何を言っているのか判らなくなりましたが、自然とはすごいもの、人間などおよびもつきません。
きょう11日(土)、私は、忍者の里甲賀の地、小佐治という部落にありますところのわが家を出たのがAM6:20、草津線寺庄駅を6:43出発、草津で乗替え南彦根着が8:07、バス8:10、県立大着8:30。
1998年7月11日、AM9:45、今、ここにドキュメンタリー映像作品としてのモンゴルの姿を目のあたりにします。
なぜか緊張感が走ります。
電灯が消されました、始まります……。
軽食の幕間に
ボグド郡ツェルゲル村の人々が自然に立ち向かうことなく気象を含めた自然のすべてを受け入れて、自らの生活を営むようすに感動しました。幼児は幼児らしく、少女は少女らしく、母親は母親らしく、父親は父親らしく、ありのままをみせてくれました。これは文化人といわれている人間社会に失われつつあるものと痛感しました。
地域社会としてのボグド郡にも時代の厳しい波が押し寄せ、僅かずつ変化していくようすが悲しく映し出されていました。
「人間誇りをもって生く」と言われますが、「誇り」とは何なのでしょう。私は、誇り、誇り、誇りと三度唱えてみましたが、判りません。ツェルゲル村の人達を通してみえたものは、彼等のもつ「誇り」ではなく、命あるものに対する「心」でした。
「心」を失いつつある文化人といわれる私たちが誇れるものがあるとすれば、文化・文明と共存する「心」を持ち合わせることを「誇り」としたいものです。そうです、生きていく上の励みの要素が、即ち人の「誇り」なのです。
それにつけても、流れる音楽が映像とマッチして、溶け込まれ臨場感をいかが上にもたかめてくれました。
春を待たれる歌「早春賦」のメドレーを、これほど新鮮に心にくいまでに聴いたのは、はじめてです。
司馬遼太郎は言いました。ゲル(包)も一つの文化です、と。不必要なものを最低限取り除き、必要欠くことのできぬものだけを残して、生活する術をモンゴルの人は知っている、と。生活上不必要なもの、必要なものを知らないことは、そう、私は、無知に通じると思うのです。
有り余る物質社会に生きている私に、今なお、子供の頃、貧困で物のなかった頃に身をもって覚えた家族のぬくもりが、物以上に大切であることが失せていないことを思っています。
雄大な自然と、ちっぽけな人々や動物たち。しかし、この映画で演じているのは、人であり、動物であり、バックとしての自然はそれを援けていました。
いずこにおいても、人々の社会に起きる暗い一面があるものですが、この部分を削らず映し出されたことに、敬服いたしました。不幸のあったゲルのとびらが閉まり、ゲルの全体像がクローズアップされるのみの映像は、何とも言いようのない寂しさ、虚しさ、いらだち、苦しみをともに味わうことができました。
私は男児二人を出産し育ててきましたが、あの「肝っ玉母さん」ほどたよりがいのある母親だったでしょうか。また、あれだけの明るさをもち続けて、母として子どもを育ててきたでしょうか。反省することしきりです。 とりもなおさず「語り」のお二人のナレーションは、すばらしかった。 この会に出席をゆるしていただきました小貫先生をはじめ諸先生方、スタッフの方々に敬意を表し、お礼のことばといたします。
満70才の夏7月11日、このようなすばらしい時間が私に与えられたことを感謝し、これから生きていく上での「力」とさせていただきます。
ありがとうございました。
鉛筆の走り書き、失礼を申し上げました。おわび致します。
7月11日 PM4:40 会場にて。
原田 俊二(52歳・自営業)
滋賀県愛知郡愛知川町沓掛
遊牧−ツェルゲルの人々−の映像を観て、何とも言えない爽やかな気持ちにさせられた。これは多分私だけではなく、このドキュメンタリーを観賞した多くの人々の心に感じられた感傷だと思う。
映像時間を追うごとに、ツェルゲル村の生活に埋没させられていったこの気持ちは、人間が遠い遠い昔に置き忘れてきた人間の本源の世界に、いつの間にか帰っていったのではないだろうか、そんな忘れ去られ眠っていた心の片隅を、揺り起こされた感傷だと思う。
私達夫婦は、古代遺跡が好きで時々旅をします。ツアー旅行ですので、その国の一断片しか味わうことができませんが、その国その国の異文化に触れられた時は、大変感動します。
今年の四月もシリア、ヨルダンを旅してきました。視界360度岩砂漠のシリア砂漠をヨルダンのペトラをめざしてバスで走ったとき、砂漠の所々で出会った遊牧民ベドウィンの生活をみてきました。ツェルゲルの人々とは気候も風土も違うけれど、生活形態や生きざまなどは、大変似通っています。彼らも日々ラクダと羊の食む草を求めて痩せこけたシリアの大地を遊牧し、ラクダや羊と共に大地に共存しているのです。
今日の文化的(何をもって文化的というかわかりませんが?)な生活を営む私達から彼らの生活をみれば、ふと一種の時空の錯誤に陥ることがあります。でも彼らの人間としての心の優しさ、純粋さ、また豊かさに触れた時、私は一瞬、自分自身が淋しくなるときがあります。
人間は日々その生活の向上、言い換えれば生きていく過程に豊かさを求めて努力、研究、開発、生産を続けているはずです。その結果が今日なのであります。そうしたら今の社会は今迄のなかでは最高でなくてはなりません。2000年以上も気の遠くなるような大昔の生活を続けている彼らの生活を見れば、哀れであり、軽蔑であり、悪寒でなくてはなりません。それがどうでしょう、そんな気持ちは微塵も感じず、まるで私達の心の片隅にしまってあった風呂敷包みをひもとき、大人(世界のリーダーだと自負している人々達)が母親の乳房をまさぐり、ふと安堵のやすらぎの気持ちにさせられるのは、一体何なんだろう。これがきっと、心の安らぎなのではないでしょうか。
現在、社会には様々な情報が氾濫し、物が溢れ、次々と欲望を満たす願望が渦巻いています。ふと、一歩立ち止まって、人間の心の豊かさ、真の生活のゆとり、親子の関係、物の大切さ、華燭の人生や社会、その他諸々の事を一度じっくりと考え直してみたいと思っております。
『情報や物の豊かさだけが、人間の豊かさではない』ことだけは紛れもない事実であることを、この映像は強烈に私達夫婦に示唆してくれました。本当にありがとうございました。再度観賞する機会がございましたら、ご連絡いただければ幸甚と存じます。
追 伸
鑑賞以来、毎日の散歩のなかで、映像について主人と語り合っております。
私は妻や母といった立場から、ツェンゲル家の子供たちと両親との関係に、とっても考えさせられ、感動いたしました。ツェンゲル家では子供たちを小さな時から家族の一員として認め、子供たちが興味を示す事にはどんどんと自由にやらせている様子は、日本ではとても考えられません。
きっと、親に暴力を振るったり、今、子供たちを抱える親たちが悩まされている様々な問題は、起こっていないと思います。子供たちと正面から向かい合い、親の背中をみせ、子供を見守っていく愛情の捧げ方が大切だと思いました。
また、父親は父親の存在、母親は母親の存在が明確に確立され、その父と母の大きな谷間で子供は大きく、のびのびと育っていくものだと、痛感いたしました。
今後の人生を主人と支え合い、生きざまを考え、意味のある人生を生きていこうと思っております。本当に有り難うございました。そのうえ、各休憩には心温まるおもてなしをいただき厚く御礼申し上げます。楽しい一日を有難うございました。
かしこ
原田 路子
近藤 正美(47歳・主婦)
彦根市後三条町
私は高校生の娘と今回の試写会に参加させていただいた47歳の主婦です。
ビデオを通して、ツェルゲルの人々の生活、遊牧の実際、隣人との助け合い、美しい自然等、興味深く拝見いたしました。
その中でも私の心に一番残ったことは、ツェンゲルさんやアディアスレンさんやその家族の方々が、大地にしっかりと根ざして厳しい生活の中にも、自分に誇りを持って、家族やまわりの人々を愛して、明るく生きておられる姿でした。そういう大人達の生き方は、自然に子供たちに引き継がれていくのでしょう。子供たちが、自然の中で、親やまわりの大人から愛され、見守られながら、すこやかに育っていく様子がよくわかりました。また、家族が共に自分の役割を、精一杯果たし、助け合って信頼して暮らすことのすばらしさを思いました。
今、私たちが、暮らしている社会は、物は豊かですが、いろんな問題をかかえています。特に子供達に私たち大人は何を伝えてきたかと、このビデオをみながら考えてしまいました。物質的な豊かさを追求するあまりあくせくと暮らし、大切な人間としての誇り、心の自由、自分や他の人を大切にする心を、自分たちの生き方を通して子供たちにどれだけ伝えてきたか。私自身、物質的豊かさを求める故に、お金に縛られ、学歴社会の競争に負けないようにと子供たちを追いつめてきました。
生活自体は、日本よりツェルゲルの方が、ずっと貧しく厳しいですが、伝統の中で命がおおらかに継承されているツェルゲルの人々は、何と明るく自由な心をもっていることか。物にあふれてはいるけれど、今の日本の私たちは、特に子供たちに顕著にみられることですが、淋しいようと悲鳴をあげているように感じます。嘆いていてもしょうがないのですが、自分のことを、ふり返ってしまいました。
私も、ツェンゲルさんやアディアスレンさん、また、彼らを通して送られる小貫先生のメッセージを深く心に刻んで、自分の生活をつつましく、欲張らず、自分を、まわりの人を大切にして暮らしていきたいと思います。まずは家庭を大切にすることが第一歩、家庭が人間の根っこだと、ツェルゲルの人々に教えられましたから。私の子供達は、皆大きくなりましたが、そのことに気付いたことは、よかったと思います。私は、私の住んでいる湖国を大切にしながら。
正直なところ、ビデオを見る前は、7時間40分という時間の長さに耐えられるかと、不安でしたが、ついついひきこまれ、初めから終わりまで見入ってしまいました。心に深く入るためには、この長さが必要だったと思います。こんなにも心深くツェルゲルの人々に出会えたと、見た私まで思えたのは、製作をされた方たちの思い入れ、心が私に伝わったからだと思いました。ラストの別れの場面では、私までが別れの悲しさを味わいました。又、会いたいと思いました。
最後になりましたが、小貫先生初めスタッフの皆さん、心打つ作品を作って下さってありがとうございました。また、休憩の時、接待して下さった学生の皆さん、ありがとうございました。これから一人でも多くの方がこの作品を見られますように、と祈っています。
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2006年秋、待望のDVDダイジェスト版が完成しました。詳細は、こちらへ。
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ひとつのパターン
午前の部
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第1部
厳冬に耐える -再生への模索- |
10:00〜12:40
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上巻(第1部)
(1時間08分) 休憩 (15分) 下巻(第1部) (1時間14分) |
昼食
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12:40〜13:25
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お弁当一つ目の会
(45分) |
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午後の部
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第2部
春を待つそして夏 -試行を重ねる- |
13:25〜16:25
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上巻(第2部)
(1時間17分) 休憩 (15分) 下巻(第2部) (1時間28分) |
夜食
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16:25〜17:10
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お弁当二つ目の会
(45分) |
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夜の部
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第3部
忍び寄る秋 -歓喜そして思索- |
17:10〜20:15
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上巻(第3部)
(1時間13分) 休憩 (15分) 下巻(第3部) (1時間28分) |
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もう一度じっくり、ご家族の方々や、地域の人々、職場の仲間たちと一緒にこの作品を鑑賞し、この場で受けとめた思いをともにわかち合う空間を共有してはいかがでしょうか?いわば、あなたが主催の“ミニ鑑賞会”の開催です。
そして、今日の私たちの衣・食・住のことや、子どもの教育、文化、地域のあり方など、暮らしをあらためて見つめなおし、未来をともに語り合うことができるならば、それはあなたの周囲の人々への最良のプレゼントにもなるはずです。
都市や農山漁村の各地で、このような“ミニ鑑賞会”が新たな“ミニ鑑賞会”を生み出し、その輪を広げてゆくとき、今日のマスメディアに対抗して、21世紀にふさわしい、自らの手による新しい映像文化の創造を可能にする。それは、やがては、私たち自身の暮らしをもつくり直してゆくにちがいありません。
自主上映会を運営した
市民のみなさんと
2000年6月10(土)
宝塚市 シネ・ピピアにて
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『四季・遊牧』上映& 「菜園家族 」の講演・学習会の今後の日程です。
詳細は、各会主催者または里山研究庵Nomadまでお問い合わせ下さい。
2013年 これからの上映&講演・学習会日程
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公開日
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会場
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規模
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主催
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2013年12月7日(土)
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立命館大学朱雀キャンパス 304教室
(京都市中京区) 基礎経済科学研究所・ 現代資本主義研究会 (「菜園家族」構想についての報告&研究会) |
15名
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基礎経済科学研究所(京都市中京区)
司会:藤岡 惇(立命館大学経済学部特任教授) コメント:森岡孝二(関西大学経済学部教授) ☆お問い合わせ先 田中幸世(基礎経済科学研究所・編集局) 中野裕史(同研究所・事務局) E-mail:office@kisoken.org |
2013年10月19日(土)
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ギャラリーコジマ3階 コジマホール
(滋賀県彦根市銀座町) 中野 亘 陶展&飯森よしえ染織展 講話会 「モンゴルの遊牧社会から菜園家族へ」 |
30名
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小島充子(ギャラリーコジマ)
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2013年8月17日(土)
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小諸エコビレッジ内 ゲル
(長野県小諸市) 小諸エコビレッジ祭 (「菜園家族」構想についての講演&学習会) |
50名
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岡本一道(小諸・天池窯)
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2013年4月20日(土)
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帯広競馬場横 観光施設「とかちむら」内に設営のパオ
(北海道帯広市) (ダイジェスト版上映) |
名
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2013年2月17日(日)
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30名程度
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