久々の『山中人語』となりました。
みなさま、いかがお過ごしですか?
つい先日までのどしゃ降り続きとはうって変わって、急に猛暑の夏がやって来ました。
ここ鈴鹿山中も、日中はもちろん暑いのですが、陽が西に傾き、風が出はじめる頃、犬上川の渓谷沿いを行くと、金色の光の中に山の緑が包まれて、何とも美しく輝いて見えるのです。
鈴鹿山中・犬上川(北流)の渓谷
さて、数日前、何気なく夕刊のページを繰っていたら、「“脱成長”つましい幸せ」、「無駄な消費、汚染やストレス増やすだけ」の見出しがハッと目に留まりました。
2年前の洞爺湖サミット以来、高まってきた地球環境問題への関心や思索は、いつの間にか影を潜め、このところ、テレビをつければ「新成長戦略」とか、「消費税を上げる前に経済成長を」とか、再び成長モード一色になってきたな ・ ・ ・と思っていたところだったので、これはめずらしい記事だと、最後まで引き込まれるように読みました。
朝日新聞(夕刊)2010年7月21日(水)付・文化欄
日仏会館の招きで来日した、フランスのセルジュ・ラトゥーシュさんという経済哲学者のインタビューで、「いくら経済が成長しても、人々を幸せにしない。成長のための成長が目的化され、無駄な消費が強いられる。地球が有限である以上、無限に成長を持続させることは、生態学的に見ても不可能だ。経済の規模を徐々に縮小させ、本当に必要な消費にとどめることが真の豊かさにつながる」、との持論を展開されています。
一昨年秋のリーマン・ショック以来、世界経済が長期不況に喘ぎ、日本でも経済成長こそが失業・貧困などの問題を解決するという経済学の「常識」が力を得ていく中、このような「脱成長」は旗色がよくないのでは ・ ・ ・、という見方に対しては、「もちろん今の社会システムのままでマイナス成長に転じても、事態はかえって悪化する。大切なのは、成長信仰にとらわれている社会を根本的に変えていくことであり、グローバル経済から離脱して、地域社会の自立を導くことだ」という主旨のことを述べておられます。
今の経済社会のあり方、ライフスタイルを永遠不変のものとしてではなく、未来に向かって変わりうる、また、変えてゆけるものとして捉え、思考する視点が、とても重要なのではないかと、あらためて感じました。
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実際、従来型の価値からの転換の試みは、まだまだ小さいとはいえ、今、様々な分野ではじまろうとしているようです。
7月初めに、北野正一さんという方から、突然、研究庵にEメールが届きました。兵庫県立大学で経済政策を研究されており、「菜園家族」構想は、日本の未来像として共鳴するところが多く、こうした提案をどう具体化していくか、どんな条件を築きあげ、どんな道筋でいけるのかを考えてみたい、とのこと。添付ファイルで、社員に週末農業を推奨、助成制度を導入し、自らも週末は京都の自宅で農業を楽しんでいるという、ソフト販売会社アシスト(東京都・千代田区)の社長ビル・トッテンさんの取り組みを紹介した日本経済新聞の記事を送って下さいました。
日本経済新聞 2010年6月28日(月)付
トッテンさんは、「株主より社員」をモットーとする名物経営者として知られ、「雇用を守ることが経営者の責務だから、決して解雇はしない。しかし、経営が厳しくなることも考えられる今の時代、たとえ給料が減っても、社員とその家族が健康で幸福に暮らせるような対策を考え、会社として手助けしなければならない。それには、もっとも重要な“食”を自給できる農業が大切だ」という主旨を語っておられます。
「1週間のうち3日は会社で働き、4日は裁縫や農業、日曜大工など自分の衣食住や、家事・育児・介護などのために使う。そんな生活も豊かではないか ・ ・ ・」。経営者の側から、理念に基づいたこうした新しい試みがすでにはじまっているのは、たいへん興味深いとともに、私たち働く側も、今こそ価値の転換、新しいライフスタイルへの移行を本気で考える時に来てるのではないかと、痛感させれるのです。
7年ほど前、山梨県甲府市の向山邦史さんという小さな塗料会社の社長さんが、不況下の経営困難の苦しみの中から、トッテンさんのような試みをはじめておられたのを思い出します。
滋賀県立大学で開催した連続市民講座「菜園家族の学校」(2003〜2004年)に、ゲストとしてお招きしたこともありました(向山さんの自己紹介はこちら、試みの紹介記事はこちらをご覧ください)。
大君ヶ畑を流れる犬上川、やがて琵琶湖に注ぐ
冒頭のラトゥーシュさんの紹介記事によれば、今月初め、初の邦訳書『経済成長なき社会発展は可能か?―〈脱成長〉と〈ポスト開発〉の経済学― 』(中野佳裕 訳、作品社、2010年7月)が刊行されたとのこと。早速、出版社に注文の電話を入れると、たちまち品切れ(!)になり、8月上旬には重版が出る予定だそうです。
今、マスメディアは、やれ「強い経済」、やれ「成長戦略」と、目先の処方箋で一方的に埋め尽くされ、これまでの「常識」をくつがえすような視点からの議論が入る余地は、残念ながらほとんどないけれど、実は、密かにこうした考え方に関心を持ち、それをもとめている人が全国にいかにたくさんおられるか、あらためて感じた次第です。
トッテンさんや向山さんをはじめ、実践への模索も、すでに各地でいろいろと起こりはじめていることを見ても、やはり、私たちは今、「成長」なのか、それとも「脱成長」なのか、人間にとって根源的で重大な選択を迫られる、イギリス産業革命以来二百数十年の時代を画す大きな岐路に立たされている、との思いを強くするのです。(伊)
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