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Nomad image 自然共生の哲学を説く
    サティシュ・クマールさんの会に参加して
 

1.サティシュ・クマールさん来日準備シンポジウム
  in 京都・同志社大学今出川キャンパス・寒梅館
  (2007年3月25日)

 


サティシュ・クマールさん

 インド出身・英国在住の思想家・教育家であるサティシュ・クマールさんが、4月末に来日されるに際して開催される京都での催しに、私たち里山研究庵Nomad(小貫雅男、伊藤恵子)も、「サティシュさんを歓迎する市民の会・関西」の一員として、関わることになりました。

 サティシュさんは、1936年、インドに生まれ、9歳でジャイナ教の修行僧となり、18歳の時、還俗。ガンジー思想に共鳴し、若き日に2年半かけて、核大国の首脳に核兵器の放棄を説く1万4000キロの平和巡礼の行脚を行い、その後、1973年からイギリスに定住。『スモール イズ ビューティフル』で知られるE.F.シューマッハーと交流。自然に対する愛、相互関係・共生関係に基づく平和への新しい展望を示し、現在、イギリスで雑誌『リサージェンス(再生)』編集長を務めておられる方です。


エコロジー雑誌『リサージェンス』

 サティシュさんは、また、1991年、イギリス南西部に、真に持続可能で豊かな社会をつくり出していくための国際的な教育機関、シューマッハー・カレッジを創設。ここでは、机上の知識や理論を超えて、共同生活の中で実際の行動や経験から学ぶことが重視され、50人程度の小規模で、生徒から講師、スタッフまでが、ともに掃除や料理等、生活の基盤となる活動に参加しながら、開発・発展、食、経済、組織運営、精神的成長、持続可能性、平和、平等などについて総合的に学んでいるそうです。カレッジ専従講師の他、様々な分野の第一人者(ヴァンダナ・シヴァさん、ヘレナ・ノーバーグ・ホッジさん等々)も、短期講義をおこなっており、2006年までに、延べ88ヵ国の約3000人(18〜80歳)の人々が学んできたそうです。

『スモール イズ ビューティフル』
(E.F.シューマッハー著、講談社学術文庫)

 世界各地に講演の旅にも出かけられ、大変意義深いご活動を続けておられるサティシュさんですが、実は、私たち自身は、今回の来日をきっかけに声をかけていただくまで、存じ上げませんでした。

 お誘い下さったのは、「平和の経済学」を探求しておられる立命館大学経済学部の藤岡惇先生です。藤岡先生とは、「菜園家族」構想の関連で、数年来、交流させていただいているのですが、そのきっかけは、何と沖縄は八重山の竹富島。「うつぐみ」(=共同の精神)の伝統と、本土復帰(1972年)の頃、乱開発から風土に根ざした暮らしを守るために島人たちが定めた「憲章」(=売らない・汚さない・乱さない・壊さない・生かす)とを礎に、独自の地域づくりに取り組んできたこの島を訪問された藤岡先生が、私たちも『四季・遊牧』の沖縄上映の旅(1999年夏)の中でお訪ねして以来、親交のある喜宝院蒐集館(館長:上勢頭芳徳さん)で、「菜園家族」構想のごく初期の小冊子『菜園家族酔夢譚』がおかれているのを目にされたのがはじまりで、これもまた不思議なご縁です。

藤岡 惇先生

 藤岡先生は、アメリカ経済論・平和の経済学がご専門で、『グローバリゼーションと戦争―宇宙と核の覇権めざすアメリカ―』(大月書店、2004年)の近著があり、「くずれぬ平和(ディープ・ピース)」を支える社会経済システムはいかなるものかを探求しておられます。同時に、近代の「主流派経済学」の前提する人間観を克服すべく、人間活動を、従来の経済成長率など数値化された指標のみでは捉えきれない、社会・歴史の枠組みとの連関や、“いのち”そのもの、精神の諸領域にも光を当てて捉え直し、自然・宇宙の中での人間の存在といった壮大で総合的な視点から今一度、経済学を再構築することを試み、基礎経済科学研究所(京都市)の自由大学院で、学生・院生・市民の方々とともに、「人間発達の経済学」を長年にわたって考察し続けておられるのです。

 次代を担う若い人たちを念頭において、経済学教育にも尽力されており、その思いは、「マルクス・レノン主義」というユニークな発想(「“人間発達の経済学”をどう発展させるか―唯物論的アニミズム<=弁証法>の世界観のうえで」、『経済科学通信』NO.110、2006年6月)や、「宮沢賢治ならば、どんな経済教育を実践しただろうか」(『経済教育』NO.25、2006年)との異色の論文名からも汲み取ることができます。
 また、比良山麓のログハウスで、「菜園家族」を実践されているという一面ももたれているのです。

『君あり、故に我あり―依存の宣言―』
(サティシュ・クマール著、尾関 修・尾関沢人 訳、
 講談社学術文庫、2005年)

 さて、この藤岡先生の授業の一環で、昨2006年12月初、「菜園家族」構想の講義をさせていただいたのですが、思いのほかの小春日和、うっかりどこかにマフラーを置き忘れてきてしまいました。あきらめかけていた頃、先生からご連絡があり、やさしいご配慮でご親切にも送り届けて下さいました。その時、くるまれるように同封されていたのが、サティシュさんの新著『君あり、故に我あり―依存の宣言―』(尾関 修・尾関沢人 訳、講談社学術文庫、2005年。原題“YOU ARE THEREFORE I AM : A Declaration of Dependence”)だったのです。

 「依存」という言葉は、普段、あまり肯定的には捉えず、どちらかというと「独立・自立(independence)」の方ばかり考えていたので、まず、本の題名からだけでも、真意はどういうところにあるのだろうと、いろいろと思いがめぐりました。

 また、折しもBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)諸国のめざましい経済成長が、今後、世界的にも大きな影響力をもつものとして注目され、特にインドについては、ちょうどNHKスペシャルでも2007年1月末に三夜連続で、グローバリゼーションの波とIT産業の急成長、大衆消費社会化と超巨大市場の形成などについて取り上げられるなど、マスメディアでの報道も多くなってきている今、農に根ざした「清貧」とも言えるガンジー思想の水脈をもつインドご出身の思想家が、どのように自国の変貌と世界構造を捉え、未来へのどのような見解をもっておられるのか、大変、興味のあるところでした。

 なぜならそれは、インドという「外国」で起きていることというよりも、グローバル経済化による自由貿易・世界市場にますます呑み込まれてゆく中で、地域地域に根ざした暮らしや仕事のあり方がすっかり壊れてゆく瀬戸際にある日本の私たち自身の今とこれからそのものを見つめることであり、また、これまで研究調査をしてきたモンゴルについても、1990年代初頭の市場経済への急激な移行に伴って、経済・社会が混乱し、弱肉強食の競争原理と拝金主義が蔓延する中で、人々の精神の奥深いところまでもが変わってしまったこの10数年間を顧みること、さらには、日本をはじめ世界の先進国が「拡大経済」を指向し続け、新興諸国までもがそれに加わってくる中で、その周縁にあるモンゴルは、いよいよ本格的に地下資源の格好の収奪先という立場に追い込まれてゆく危険性の高い今、「開発」、「発展」、「豊かさ」とは一体、何なのか、そして今後どのような未来をめざすのか、根本的に考え直すことに繋がると思うからです。

尾関 修先生
(サティシュさんが今回の来日期間中に訪れた
 安曇野・舎爐夢<シャロム>ヒュッテのサイトより)

 そんなことを考えつつ、また「菜園家族」構想と対比しながら、読ませていただいたサティシュさんの『君あり、故に我あり』。尾関修先生(横浜商科大学)と奥様の亜紗世さん、息子・沢人さんの家族共同による名訳で、ぐいぐいとその世界に引き込まれ、じっくりと思考を深めながら読むことができました。表現や意味内容にわたって、どれだけ吟味を重ねられたことだろうと、そのご苦労を推察し、感謝するばかりです。

 グローバル経済の対抗軸として、ガンジーの提唱した「地域経済(スワデーシ)」の思想を今一度、現代に甦らせ、それを地域地域で確立してゆくことの重要さと、それが平和を築く大切な礎になることを、インド農村で脈々と続けられている「アーシュラム」等、数々の地道な取り組みの例から、あらためて感じました。
 また、「開発」や「援助」に関しても、2001.9.11との関連で、非常に鋭い視点から指摘されているのが印象的であり、共感するところが大きかったのです。

『君あり、故に我あり』の原著
“YOU ARE THEREFORE I AM : A Declaration of Dependence”,
 Green Books, Devon, UK, 2002)

 

 そして3月初、いよいよサティシュさんの来日を記念する京都での催しが具体化してきました。藤岡先生から、「歓迎する市民の会・関西」が結成され、来日を1ヵ月後に控えた3月25日(日)には、翻訳者の尾関先生ご夫妻をお迎えし、“準備シンポジウム”が開かれることになったとのご連絡を受けました。そして、この“準備シンポジウム”で、里山研究庵Nomadの私たちは、「菜園家族」構想の観点から報告をすることになりました。

 同志社大学今出川キャンパス・寒梅館の一室で開催されたこの会には、「サティシュさんを歓迎する市民の会・関西」呼びかけ人の藤岡先生、和田喜彦先生(同志社大学・エコロジー経済学)、佐々木健先生(京都グローバリゼーション研究所)、平野慶次さん(日本ホリスティック教育協会)をはじめ、立命館大学国際平和ミュージアム「平和友の会」の神原さん・庄田さん、同志社大院生の梶原さんら、様々な分野の24名の方々がご参加されました。
 以下は、その時の報告の骨子です。

 

 続いて、この“準備シンポジウム”では、サティシュさんについて、日本ホリスティック教育協会の平野慶次さんから、クリシュナムルティやモンテッソーリとの関連でコメントがありました。

 話し合いの中で、大阪外国語大学の今岡良子先生(モンゴル遊牧地域研究)から、直前に訪問された島根県温泉津(ゆのつ)で、2006年1月から老舗旅館を引き継いだJターンの若女将や、若者たち、地域の人たちの間ではじまっているという試みの一端について、ご紹介がありました。

 これらのことを考えあわせると、時代状況の中で、現在の競争至上主義社会とは違う新しい社会のあり方や人間観をもとめて、各地で様々な模索や議論が生まれ、動き出していることをあらためて感じるとともに、いつの間にか次々とおしすすめられてゆく「教育改革」なるものとは違った視点から、子ども・若者が本当にのびのびと育つ真の「教育」とは何かを考えることが、今、たいへん重要になってきていることを痛感します。
 サティシュさんが、ユニークな学びの場の創造に力を入れておられることの意義を、あらためて考えさせられるのです。

 夕食会では、翻訳者である尾関先生ご夫妻を囲み、楽しく有意義な交流のひとときを過ごすことができました。

 “準備シンポジウム”の後、私たち里山研究庵では、1ヵ月後にサティシュさんが来日された時、日本からのひとつの発信としてお手渡しし、有意義な交流のきっかけになればと、この“準備シンポジウム”での報告レジュメの英訳に取り組み、来日を心待ちにしました。 (伊)

 

☆サティシュさん来日を目前に控えた最後の実行委員会
  ―4月15日(日)

同志社大学での4月25日の講演会の準備等について話し合いました。
 (「市民の会」の平野慶次さん、説明する和田喜彦先生ら)

和田先生のご奮闘で、すてきなポスターとチラシも完成しました。
(左から、「市民の会」の神原喜久恵さん、庄田志津子さん、藤岡惇先生)

事前の広報活動や当日の運営方法等についても話し合いました。
(左から、「市民の会」の梶原君、佐々木 健先生、池邊幸恵さんら)

 

*サティシュさん来日記念講演会 in 京都(4月25日)については、このコーナーで
 引き続き掲載する予定です。

**マクロビオティック月刊誌『むすび』(正食協会 発行)の2007年7月号(6月中旬
  発行予定)に、「共生と平和の哲学」と題して、サティシュさんの来日特集が組
  まれるそうです。
  「菜園家族」構想との関連で、小貫(里山研究庵Nomad)も寄稿する予定です。

          

2.サティシュ・クマールさん来日記念講演会
  in 京都・同志社大学今出川キャンパス・
  寒梅館ハーディホール(2007年4月25日)

 


サティシュ・クマールさん来日記念 公開講演会
in 同志社大学・寒梅館ハーディホール

 前回、このコーナーでお伝えした3月25日(日)の“サティシュ・クマールさん来日準備シンポジウム”から1ヵ月。自然共生の哲学を説くサティシュさん(1936年インド生まれ、イギリス在住)が、4月24日(火)、いよいよ訪問先のカナダから関西国際空港に到着されました。

 5月3日(水)までの日本滞在期間中、サティシュさんは、京都、横浜、東京、長野(安曇野の舎爐夢<シャロム>ヒュッテと長野市)をまわられることになっており、それぞれ講演会や各種交流行事の準備が、市民のみなさんの手によってすすめられてきました。

 関西では、京都が唯一の滞在地となり、近畿大学のロバート・コバルチェック先生のお家に3泊逗留されながら、「歓迎する市民の会・関西」を中心に準備されてきた講演会や交流行事に出向かれることになっています。

 到着翌日の4月25日(水)には、平野慶次さん(日本ホリスティック教育協会)のお世話で、法然院(左京区鹿ヶ谷)において昼食会、15時からは、立命館大学の国際平和ミュージアムで、館長の安斎育郎先生、「平和友の会」や同大経済学部の藤岡惇先生のゼミ生のみなさん等との交流会、そして、夕方18時30分〜21時の同志社大学での公開講演会と、行事が続きます。

早春の鈴鹿山中・大君ヶ畑にて

 さて、“準備シンポジウム”の後、里山研究庵Nomadの私たち(小貫、伊藤)は、サティシュさんが来日された際に、日本からのひとつの発信としてお手渡しできればと、その時、「菜園家族」構想の立場から報告したレジュメの英訳に取り組んでいました。

 長い間、モンゴル語の世界に浸り、英語の方はすっかり錆びついている私たち。A4で数ページのレジュメと言えども、一文はおろか、一単語にさえ四苦八苦で、英和・和英辞書に加え、参考になりそうな同分野の本や論文の英語版、果ては英語の歌詞まで想い起こしながらの悪戦苦闘となりました。

 そんな調子で思いのほか時間がかかり、ネイティブの方を探してチェックしていただく余裕もないままに、4月25日の講演会当日を迎えました。はなはだあやしい訳ではあるけれども、それでもなんとか表紙をつけて仕上げた報告レジュメの英語版を抱え、転げるように鈴鹿の山道を下り、京の都へと駆けつけたのでした。

同志社大学今出川キャンパス・寒梅館

 公開講演会『君あり、故に我あり:いのちを育む経済社会へ』の会場となった同志社大学今出川キャンパス・寒梅館ハーディホールは、このまたとない機会に駆けつけた多くの市民の方々でいっぱいでした。集計によると、350名を超えていたとのこと。平和への願い、新しい社会・経済のあり方への関心の高さがうかがえます。

司会の和田喜彦先生(同志社大学経済学部)と通訳の大屋幸子さん

 JR福知山線の脱線事故からちょうど2年、同大学関係者も含む犠牲者の方々への黙祷の後、サティシュさんの講演がはじまりました。和田喜彦先生(同志社大学経済学部、エコロジー経済学)の名司会と、通訳の大屋幸子さんとの美事な協同の力で、徐々に場が和みながら展開してゆきました。

 力強くはっきりと語られるサティシュさんの言葉は、簡潔でありながらも、対比的な単語や概念の例示、身振り手振りによって、イメージが豊かに広がるものでした。四苦八苦の英訳予習が少しは役立ったのか、もちろん大屋さんの的確な通訳を同時に耳から補いながらですが、はなはだ心許ない英語力の私にも、ストレートに心に伝わってくるようでした。

サティシュ・クマールさんと通訳の大屋幸子さん

 講演の中でサティシュさんが、バブル崩壊後の経済の長期的行き詰まりの中にある私たちの日本を意識してかどうかは分かりませんが、「経済のdownturn(下降・沈滞)を歓迎しよう。それは、エコロジーにとってのupturn(好転・回復)になるのだから」、と語りかけておられたのが印象的でした。

 日本では、「景気回復」がめざされ、そのためには自明の善の如く「消費拡大」が叫ばれてきました。従来型の「拡大経済」においては、「浪費が美徳」とならざるをえない一方で、その同じ口から「地球環境の保全」を唱えなければならないという、どうしようもないジレンマに、私たちは陥っているのです。

 そんな時、サティシュさんのこの発想は、今日の日本の常識からすればまったく逆でありながら、よくよく考えてみれば、これこそ正気の思考であることに、気づかされます。

 私たち人間のいのちを生かしてくれている自然。この自然と調和した「シンプルでエレガントな」暮らしのあり方をどう実現させてゆくかについて、サティシュさんは、「“デモクラシー”の精神に加え、“バイオクラシー”の視点を育てることが大切です。そして、“貧困”とともに“豊かさ(ぜいたくさ)”も、過去のものにしなければなりません。地域の資源を外部のものが独占的に所有することをやめ、その土地の人々が分かち合って活用できるように、その権利を返す必要があります。グローバル経済・世界市場に対抗して、基本的な生活欲求は地域地域で満たすことができるよう、地域経済(local economy)を確立することが肝要です。それは、資本主義(capitalism)から自然主義(naturalism)への転換です」、との主旨で話されていました。


 思えば、19世紀以来、資本主義を克服するために、数々の思想と実践が重ねられてきました。21世紀の今、私たちは、歴史的経験の内容をしっかりと吟味することなく、その苦闘の中でようやく得てきた、平等に働き生きるための思想と権利までも、安易に手放そうとしています。そして、「生き残りのためには」というマジックワードと、経済効率最優先の無限競争の中、働く者は、正規・非正規を問わず、多くの人々が過密労働にいのちを削り、解雇の不安に心を病んでゆくのです。

 講演の後半でサティシュさんが、「みんなが“パートタイム”で働けばよいのです」、と発言されていたのも、そのような殺伐とした経済・社会のあり方、ギスギスとし、すり切れるような働き方・生き方から転換し、仕事と生活のバランスがとれ、人と人との関係性、自然との楽しみに満ちた暮らしのあり方を取り戻すために、適切なワークシェアリングが必要であることを指しておられるのだと思われました。それは、今日の日本でおしすすめられている、働かせ方の「規制改革」の転倒した思考とは、本質的に違う発想からのものであるはずです。

 「1週間に3日以上働かないこと。これで、失業問題も解決ですね!」とサティシュさんが言われた時、会場全体に大きな拍手が起こったことに驚き、またおもしろく思いました。なぜなら「菜園家族」構想(『菜園家族物語』、小貫・伊藤、日本経済評論社、2006年)の「週休5日制」について、「それは実現できないのじゃないか」との率直なご意見をいただくこともあり、やっぱりそうかな、と思うこともしばしばある中で、可能、不可能はさておき、「そうなってほしい」という思いが、市民のみなさんの心の中に切実な願いとしてあることが、分かったからです。


 続けてサティシュさんは、本来、「employment(雇用されて働くこと、賃金を得て働く勤め)」と「livelihood(なりわい)」とは違うということ、また、「success(成功)」と「fulfillment(達成)」もまた似て非なるものであること(前者は他人が評価することであり、後者は自分自身の中から生まれるもの)についても、話されていました。
 じっくりと考えてゆくと、これには、「菜園家族」構想で、週に2日は従来型のお勤めで応分の安定的な現金収入を得て、残りの5日間は、家族とともに菜園での活動にいそしむ、という形をとって提示したことの本質に通ずるものがあり、たいへん興味深く聴かせていただきました。

熱弁をふるうサティシュさん

 自然にとけ込み、充足感に満ちた暮らしのあり方を築いてゆくために、サティシュさんは、「soil、soul、society(大地、心、社会)」の三位一体を意識し、「平和の経済(economy of peace)」をめざしてゆかなければならないと語られ、日本の憲法9条はすばらしいものであり、世界が日本の憲法9条にならわなければならない、もしも改憲を問う国民投票という事態になった時には、日本の99.99%の人が、「No」に入れるべきだ、と憲法9条に込められた思想の大切さを強調されていました。
 日本の私たち自身がその良さを忘れかけている今、かえって外国の人から大切さを指摘され、はっとさせられます。

 21世紀の今も、幼い子どもたちは、自分の名前を呼んでくれる周囲の大人たちに心をゆるし、明日もまた青い空の朝が来ることを信じて、頬を赤くし眠りについてゆきます。そんな信頼をよそに、今、日本は、世界は、どのような未来に誘導されようとしているのでしょうか。今、私たちが、祖父母や親の世代から歴史と体験を継承し、大切なものを次の世代に伝えてゆかねばならないと、あらためて気づかされるのです。

 説得力に富んだ力強いサティシュさんの講演に、会場全体が未来への希望に包まれるようでした。

会場でご著書にサインするサティシュさん
後ろは藤岡 惇先生

『君あり、故に我あり―依存の宣言―』
(サティシュ・クマール著、尾関 修・尾関沢人 訳、
 講談社学術文庫、2005年)

 一旦、休憩をはさんで、質疑応答に入りました。壇上のサティシュさん、通訳の大屋さん、そして全体的な意味を捉えながら的確に司会進行しつつも、共感と感動の渦の中で、ご自身も次第によりいっそう楽しくなってゆくご様子の和田先生のご三方。会場の質問者とのやりとり、そして聴衆全体の反応。お互いが呼応するかのように、いっそう話は盛り上がってゆきました。

司会の和田先生、通訳の大屋さん、サティシュさん

 ご著書『君あり、故に我あり―依存の宣言―』を読み、考え、そして“準備シンポジウム”での交流や、講演会を通じて、この本を手にした当初の疑問点であった「依存(dependence)の宣言」の意味することが、少しずつ分かってきたような気がします。

 サティシュさんの言う「依存」は、決して特定の人や物への従属を指しているのではなく、人と人が互いを尊重し、支え合って生きることであり、さらにはまた、人間は大いなる自然界の一部であり、人間自身もまた自然である、そして自然界では、あらゆるいのちあるものが、相互に有機的に作用し合い、他者を助けながら、同時に自己をも生かしている―、そんなサティシュさんの“ナチュラリズム”の思想に根ざした、深遠な概念ではないか。
 それは、競争原理の白昼夢が現代世界に呼び起こしている相互不信、分断と憎しみ、支配と従属、そして収奪とは対置されるところの、「信頼」であり、「信じ合うこと」であり、そして「支え合うこと」、「共生」であり、あるいは「愛」という言葉で表せることなのかも知れない・・・。

 ・・・などと考えていたら、会場の若い女性から「サティシュさんの情熱の源は?」との質問が出ました。それに答えてサティシュさんは、「それはLOVEです。多くの環境学者は、こんな危険な事態が起こるかも知れない、そうなったらどうしよう、という恐れ・恐怖感から、環境問題を扱っています。しかし一方、私は、自然、地球、人々に対する愛があるからこそ、取り組んでいるのですよ」、と語られました。この言葉が今回の講演会全体の締めくくりにもなり、心に余韻を残しながら、閉幕となりました。

 参加者のみなさんそれぞれが、未来への希望を胸に、明るい表情でホールを出てこられたのが、とても印象的でした。

会場でご著書にサインするサティシュさんと
「歓迎する市民の会・関西」の神原喜久恵さん・庄田志津子さんら

講演会終了直後、サティシュさんを囲んで

 そして、翌26日(木)。17時まで、永運院(左京区黒谷町)の大広間で、英語を主たる言語とするリラックスしたギャザリングがもたれ、30〜40名の方が参加されたそうです。

 私たちは、夜18時30分から、平野慶次さんがセッテングされた、「彌光庵」でのベジタリアン料理をいただきながらの歓送会に参加させていただきました。

 サティシュさんご本人を囲んでのせっかくの機会、講演会を聴いての感想や、私たちの取り組んでいる活動についてなど、いろいろとお話したかったのですが、口をついて出てくるのはやっぱりモンゴル語で、ごく簡単な自己紹介をするのが精一杯でした。それでも、「里山研究庵」という私たちの活動拠点の名称を、いろいろと頭をひねって考えた「Research Cottage」という言葉を使って紹介した時、サティシュさんは大きく頷いて下さり、そのイメージが通じたようで、不安であっただけに、嬉しさはひとしおでした。
 そして、1ヵ月前に開かれた“準備シンポジウム”の時の報告レジュメの英訳版と、『四季・遊牧』DVDダイジェスト版(こちらはまだ日本語版ですが・・・)とを、何とかお手渡しすることができました。

“準備シンポジウム”での報告レジュメの英訳版
Thinking about the Conception of
“Garden Family Revolution”Again

―Learning from the Philosophy of
“YOU ARE THEREFORE I AM” by Satish Kumar―

 24名が集ったこの夕食会には、コバルチェック先生や娘さんのキンバリーさんなど、英語を母語とする方々も多く参加されており、かたや英語の話せない私たちも同席していましたが、和田先生や藤岡先生の丁寧な通訳によって、たのしい意見交流が展開されました。

 特に、新しい価値に基づく「コミュニティ」の創造に関して、サティシュさんが、「No plan.」とおっしゃっていたのが印象的でした。
 それは、19世紀イギリスのロバート・オウエンの「コミュニティ・プラン」とニューハーモニーでの実践と挫折、その後のソ連型社会主義の歴史的経験などに鑑みて、既存の農山村に依拠し、土地土地の自然に根ざした暮らしと共同性を甦らせることの重要性を言われたのではないかと思いました。

ロバート・オウエンのコミュニティ・プラン(1825年)

    森と庭園に囲まれた2,000人規模の共同労働と共同生活の場。
    中心部には教会、学校、病院、炊事場つきの食堂、図書室、
   音楽室、住居棟などがある。そのまた周縁に同心円状に耕地と
   作業場が配置される。高い生活水準を維持する理想的な施設を
   夢見ていた。
(『ロバート・オウエン』、土方直史、研究社、2003年より)

 サティシュさんのご著書『君あり、故に我あり』の最後に登場する、インド農村を基盤に、調査・実験・研究・教育・社会活動に取り組んでいるヴァンダナ・シヴァさんとの対話の中で、大方においてインド文化は森の文化であり、数千年もの間、人々は、食物と薬の宝庫である森に暮らし、その知恵を世代から世代へと継承してきたこと。さらには、インドの伝説―干ばつに晒された人々の祈りに応え、神々はガンジス川を大地に送ることにしたが、その力強い流れによって大地が損なわれないよう、ヒマラヤ山脈のシヴァ神の太く濃いもつれ髪(=森)を通すことにした。森に源を発する水は、数々の支流となって肉体(=峡谷・流域地域圏)を流れ下り、やがてそれらがガンジスの大河となって合流し、平野・海に至ることになった―が紹介されていました。

 「菜園家族」構想を研究・調査し、考察してゆく中で、「菜園家族」の形成にとって大切な場として措定した「森と海を結ぶ流域地域圏」(私たちが活動の拠点をおく大君ヶ畑の場合は、森と湖を結ぶ“犬上川・芹川∽鈴鹿山脈”流域地域圏)と、その流域循環を色濃く反映した民話(「幸助とお花」)が思い浮びます。大地に生きる人間本来の暮らしの共通性を思いました。

近江国・森と琵琶湖を結ぶ十一の流域地域圏
(作成:野口 洋)

森と湖を結ぶ「犬上川・芹川∽鈴鹿山脈」流域地域圏
(里山研究庵のある大君ヶ畑は、この流域地域圏の奥山に位置する。)

鈴鹿山中・犬上川上流域の過疎山村・大君ヶ畑

 私たちは、モンゴルの遊牧地域や鈴鹿山中の過疎山村での調査研究に取り組んでいますが、世界の隅々までがグローバル経済に呑み込まれてゆく今、このような農山村の暮らしと共同性の歴史や伝統を基盤に、いかに地域を現代に甦らせるかということが、インドでも日本でもモンゴルでも、多分、最大の共通課題であること、その大切さと難しさを、あらためて感じています。

 数日前に届いた『京都グローバリゼーション研究所通信』(第2号、2007年5月)の書評・紹介「南北学び合いの枠組を考える―V・シヴァ『地球民主主義』―」の中で、この「研究所」を主宰されている佐々木健先生は、ヴァンダナ・シヴァさんに触れて、次のようなことを書かれています。グローバル資本主義に対抗するには、「その外に強固な連帯的経済関係を構築することだ。日本の現状ではその過程は、すでに壊されたもの、自分の手で壊したものの痕跡を拾い集めて再興する営みを集積する以外にない。・・・シヴァ氏の枠組みに私は先進地域での体験と発想とすり合わせをしながら、学び合いたいと思う」、と結んでおられます。

『京都グローバリゼーション研究所通信』第2号

 佐々木先生とは、今回のサティシュさんの会を通じて、いろいろとお話する機会を得たのですが、この言葉は、過疎の山中でややもすれば孤立して活動している私たちにとっても、これ以上ない励ましとなって響いてくるのです。

 サティシュさんの来日を機縁に、自然共生そして平和という目標を共有する、ささやかではあるが確かな人々の輪が各所に広がり、失われた人間本来の連帯感が甦ることを願ってやみません。

 「ismをwasmに」、つまり「何々主義(capitalism=資本主義やsocialism=社会主義などという時の“ism”=主義、それにbe動詞の現在形である“is”をかけて)は、過去(be動詞の過去形“was”)のものにしよう」とサティシュさんが語りかけておられるのも、もちろん、それぞれの“ism”の内容を歴史的にも十分に吟味する必要があるけれども、先に自分の“主義”を相手に押しつけることによって、互いに語り合い、分かり合えるかもしれない、その糸口までもが失われないよう、連帯の可能性を広げてゆきたいという願いからなのではないかと、受けとめました。今日の人々の分断された状況を考える時、この言葉の真意を深く考える必要があるのではないでしょうか。

菜園家族物語・表紙

 さらに、自分の関心にひきつけて付言させていただくならば、20世紀「ism」のあとに、これを克服して出てくるものを、サティシュさんは、「自然主義(natural way)」の用語を用いて表明されていましたが、「菜園家族」構想の「高度自然社会への道」と、どこが同じで、どこがどう違うのか、また、その時の人間の存在形態はどのようなものなのか、そして、究極のそこへ到達するには、どのような展開過程が想定されるのか、こうしたことをサティシュ思想との対話を通じて、深めてゆければと思っています。
 そのためには、まず、この「構想」を英語に翻訳するという難題を乗り越えなければならないようです。

 また、“準備シンポジウム”でお知り合いになった松尾光喜さんが紹介された、これまたインドの思想家であるサーカーの理論とも対比してみたいものです。


 京都での講演・交流行事をすべて終えた直後、「市民の会・関西」のメーリングリストで、和田先生から総括の文章が届きました。その中で、和田先生は、今回の経験は、「産・官・学」ではなく、「民・宗・学」(民は市民、宗は宗教界)の三位一体のコラボレーション(協働)事例として、素晴らしいものになった旨、書かれていました。

 長くなりましたが、これに関連して、最後にもう一つだけ、付記しておきたいことがあります。
 それは、総人口わずか260万人のモンゴルからも、若き女性が、「民」のひとりとして、果敢にサティシュさんの講演会に参加したことです。

 私たちは、この企画に関わるようになった当初から、モンゴルからもこの講演会に参加し、サティシュさんやシューマッハー・カレッジの思想に触れる人がいればいいだろうになあと、願っていたのですが、とあるご縁で偶然にも京都でモンゴルの留学生と知り合い、お誘いしたところ、早速、講演会に駆けつけてくれました。

 彼女は、首都への一極集中による混乱と地域の荒廃という、近年のモンゴルの惨状を受け、地方自治に関心を持ち、地域自立について考えてゆきたいと、京都の大学院に在籍して、目下勉強中です。


 国家レベルにおいては、アメリカ・日本に今、世界で最も従順なモンゴル。これら市場原理至上主義の「拡大経済」に果たして未来はあるのか、というサティシュさんの問いかけを、彼女はどう受けとめ、「憧れの国・日本」で、これから何を見てゆくのでしょうか。

 ともあれ、自身は首都ウランバートルで生まれ育ったものの、祖母は美しくも雄大なゴルバン・サイハン山脈がそびえる南ゴビの遊牧地域にルーツをもつというこの留学生は、「サティシュさんの語られた自然共生の思想は、モンゴル本来の遊牧民たちの自然観に通ずるものがあります。いいお話を聴かせていただきました」と目を輝かせ、修士論文への決意を新たにしたようです。

 都会の子でありながら、自国の遊牧地域社会や日本の農山村に目を向け、誠実に学びはじめている若い世代の登場に、ここでもまた、新しい時代の息吹を感じたのでした。

里山研究庵よりのぞむ

 このたびの一連の貴重な会に参加する中で、今、世界各地の人々によって、それこそ「同時多発的」に未来への様々な思いが生まれ、地道な試みが重ねられていることを知り、おおいに刺激を受けるとともに、「菜園家族」構想も、世界の中で決して孤立してはいないことに気づき、勇気づけられました。

 日本の各地域、そして、世界の思索と実践との交流の中から、未来への新しい展望がひらかれてゆくのではないでしょうか。
 すてきな会に参加させていただき、本当にありがとうございました。 (伊)


                        

*マクロビオティック月刊誌『むすび』(正食協会 発行)の2007年7月号(6月中旬
  発行予定)に、「共生と平和の哲学」と題して、サティシュさんの来日特集が組
  まれるそうです。編集部の片山明彦さんがご遠方から京都での講演会に参加し、
  取材されました。
  「菜園家族」構想との関連で、小貫(里山研究庵Nomad)も寄稿いたしました。

 

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